摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

写真特集 続・路面電車の消えた街

2005-10-29 23:44:20 | 写真集
2週間前の日曜に廃線を歩いた際、
連れ合いが一眼レフで撮影した写真をデータにしてもらった。
その中からいいものを選んでみた。


長良川鉄道の関駅から、新関駅の方を見る。
使われなくなった線路に花が張り出してきていた。



岐阜市と関市の境界付近にかかる鉄橋。
ここに電車が通っていたら、どんなに美しいだろう。



真桑駅付近から見たまっすぐな線路。
なぜかこの付近では雑草があまり生えていなかった。



北方真桑駅。
かつて連れ合いが利用していた。



北方真桑駅の伝言板。
3月31日の日付に、「今までどうもありがとう」の言葉が。



行き先表示板が落ちていた。


市民交通会議を傍聴して

2005-10-29 00:52:30 | 社会活動
9時30分から、市民交通会議が開かれた。
今日は部会活動の報告と
総合交通政策方針(案)を正式なものとするための
意見交換が議題だった。

8月の会議を傍聴した際は、
経済同友会のA委員から「路面電車は時代遅れ」
という趣旨の発言があり、目が点になった。
市民公募で選ばれた別のA委員から
世界では路面電車復活の流れがあるとの反論が
すぐ出された。
交通のことを少し調べれば、こんなことはすぐに分かる。
このような事実さえ知らない人が副委員長を務めていた
経済同友会の「公共交通を考える委員会」と
そこが出した「公共交通に関する提言」の信頼性について
疑念を持たざるを得なかった。

今月から2年目を迎える市民交通会議は、
委員の入れ替えがあり、経済同友会のA委員は退任した。
今日の議論は、8月の会議に比べ
ひどく先進地域の流れから外れるようなものは
なかったように思う。

私がごく身近に知っている
NPO代表のHさんも委員を務めている。
彼の発言の一つは、今日の議論で
私が最も重要だと考えた部分に入っている。
それは、経済同友会のH委員から
バス路線はその路線の採算性を考えて
設定すべきという意見から始まった部分である。

「公共交通の採算性」というのは、本来おかしな話である。
交通と環境の問題に詳しい上岡直見さんは、
著書「持続可能な交通へ」の中で以下のように書いている。

(以下引用)
欧米の交通関係者に日本の公共交通の経営状況を説明するとき、
日本で一般に言われている公共交通を「パブリック・トランスポート」と翻訳すると、
怪訝な顔をされることがあるという。
日本では、公営であっても交通事業は独立採算性が
原則であるかのように認識されているが、
なぜそれがパブリック(公共)と言えるのかという疑問を呈示されるのである。
政策担当者、事業者、利用者を含めて、独立採算性が
原則であるかのような認識に囚われていることが、
日本での公共交通の充実を妨げる要素のひとつとして挙げられるであろう。
(引用終わり)

NPOのHさんは、「バス路線は1路線だけを取り上げて
採算性を議論すべきでない」と主張したが、
経済同友会のH委員はそれでも、
「採算性は度外視できない」として、譲らなかった。
会議後に、NPOのHさんに採算性について語るなら
公共交通の多様な効果もすべて含めて議論する必要があると
指摘するべきだったと伝えた。
だが、彼は「あれ以上議論しても仕方ないと思った」と言った。
しかし、同友会のHさんのような主張はよく聞かれるものだから、
公の場で先進地の動向を知っている人が
それに対する反証を示しておく必要があったのだ。

普通の市民の立場で参加していても、
公の会議で発言する際は、
その発言の影響力を十分意識する必要があることを
あらためて思った。