平安後期、北前船と丸子舟を繋ぐ運河構想があった。平清盛が息子重盛にそれを命じた。
その歴史を探るべく 琵琶湖塩津大川河口から敦賀笙の川河口まで歩いた。
その二、疋田舟川。
愛が発まる(はじまる)と書いて。
旧隧道。
新道R161.
疋田舟川上流部水路。
疋田舟川。当時は川幅約2.8m。
岩座。
船溜り跡?
常夜灯。
天候が順当なこと。五日に一度風が吹いて十日に一度雨が降る。世の中が安泰なこと。
運河計画古図。
運河計画図。
船溜り跡、左の建物が展示室。
民家の敷地を潜る水路。煉瓦造りが!
笙の川。
カヤックで下れるんじゃないかな!
深坂古道を福井県に出た所は愛発・あらちだ。R161に出てJR疋田新駅を過ぎ左に逸れるて疋田の集落へ。旧道入口には煉瓦の隧道ごある。海津とある。そこに流れ込むのが疋田舟川の始まりの用だ。
R161とJRに平行して五位田川が流れている。五位田川は直ぐに笙の川に合流する。
集落の中ほどに進むと水路は1m程に広がる。
疋田舟川舟溜跡で運河構想の資料を展示する愛発舟川の里展示室を見学。
運河に沿って歩く。民家の敷地の下を通って一旦現れ、またR161を潜って笙の川に流入した。
この辺りからアプローチができればカヤックで下れる水量がある。
続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます