以前に犬を抱っこするのはよくない、という記事を書いたことがある。別にその主張を覆すわけではないが、そのことに関連した出来事があったので紹介する。
私は仕事場へはいつもウォーキング通勤である。だいたい決まった時間に歩くため、見かける人たちも、少数だがある程度固定して存在している。その中でもよく出会うのが、通勤途上にある散髪屋さんのおじさんだ。
おじさんはいつも犬を連れて歩いている。12メートル道路の、私が歩く側と反対側の道路を歩いて来るため、出会うといってもほとんど遠くから見かけるという感じである。町内のゴミの集積所、兼、集会所のようなところに犬を連れて歩いていくのがおじさんの日課のようである。
ある日のこと、久しぶりに道路のひだり側を歩いて行くと、信号待ちのところで反対側に例のおじさんが同じく信号を待っているのに出くわした。ところが、たたずんでいるおじさん、いつもの犬を抱っこしているではないか。
あれれ、犬を抱っこして歩くような人ではないし、またそんな大きさの犬でもない。どうしたんだろう? もしや犬の具合が悪いのか。
普段は挨拶もしないし、話をしたこともないが、心配と興味をかき立てられて、横断歩道の途中で挨拶をして訊いてみた。「どうされました?」
「この犬、肺ガンなんじゃ。たばこも吸わんのになるんじゃなあ」と言う。
果たして、予感があたった。犬は肺がんの末期で、もう歩くこともできないのだ。おじさんは、歩くことの出来なくなった愛犬を不憫に思って、抱っこして散歩に連れていってやっているのだ。
私はおじさんの犬を思う思いに、朝からすこし感動してしまった。
犬を抱っこするのはまさにこういう時であると、感じた朝であった。普通に人間のエゴで抱っこしているのとは、まったく意味合いのちがう抱っこだ。
生き物はせつない。
私は仕事場へはいつもウォーキング通勤である。だいたい決まった時間に歩くため、見かける人たちも、少数だがある程度固定して存在している。その中でもよく出会うのが、通勤途上にある散髪屋さんのおじさんだ。
おじさんはいつも犬を連れて歩いている。12メートル道路の、私が歩く側と反対側の道路を歩いて来るため、出会うといってもほとんど遠くから見かけるという感じである。町内のゴミの集積所、兼、集会所のようなところに犬を連れて歩いていくのがおじさんの日課のようである。
ある日のこと、久しぶりに道路のひだり側を歩いて行くと、信号待ちのところで反対側に例のおじさんが同じく信号を待っているのに出くわした。ところが、たたずんでいるおじさん、いつもの犬を抱っこしているではないか。
あれれ、犬を抱っこして歩くような人ではないし、またそんな大きさの犬でもない。どうしたんだろう? もしや犬の具合が悪いのか。
普段は挨拶もしないし、話をしたこともないが、心配と興味をかき立てられて、横断歩道の途中で挨拶をして訊いてみた。「どうされました?」
「この犬、肺ガンなんじゃ。たばこも吸わんのになるんじゃなあ」と言う。
果たして、予感があたった。犬は肺がんの末期で、もう歩くこともできないのだ。おじさんは、歩くことの出来なくなった愛犬を不憫に思って、抱っこして散歩に連れていってやっているのだ。
私はおじさんの犬を思う思いに、朝からすこし感動してしまった。
犬を抱っこするのはまさにこういう時であると、感じた朝であった。普通に人間のエゴで抱っこしているのとは、まったく意味合いのちがう抱っこだ。
生き物はせつない。