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先週末は子供の試合であったが、結果は近年まれにみる不本意な成績であった。簡単にいうと、勝たないといけない相手に負け、いい勝負をしないといけない相手に完敗し、格上の強豪にはやはり負けた。
早い話が、ぼこぼこである。全体に厳しいメンバーだとは思っていたが、それ以上に振るわなかったので、意気消沈して家から遠く離れた地での試合会場を後にした。
その日は、予定どおり、映画を見に行ってから帰った。帰りにレストランで食事などをして、試合のことはさっぱりと忘れ、親子の泊まりがけの旅行としてドライブを楽しんだ。帰りの車の中で、人生の話などもできた。
試合で負けはしたが、親子の絆は深まったように感じた。
それから二三日、試合後初の練習の日となった。
試合の日は、負けたことをさっぱりと忘れ、気持ちを切り替えて楽しんだが、ふたたび日々の練習に返るに際して、どうしたものか、と考えた。
子供の不振は、つまり指導というか、練習相手をしている、私の責任である。
かと言って、今までと違うことができるわけではない。そんなことができるのなら、とうにやっているし、もう少し、結果を出せただろう。
いずれにせよ、これは私が選んだ道であり、子供に歩ませている道なのだ。
練習の最初に、反省をした。負けた試合を思い返すことは嫌なことだが、それをしないでいては、向上はのぞめない。そのことも告げて、思ったことを語らせたり、私も話した。幸い、素直に聴いていたので、よかったと思った。
そのあと、基本的な練習を少しだけした。
もともと、今日は、練習をするかどうか、迷ったのだ。
基本の練習の前に、「今日はジョギングでもするかと思っているがどうか?」と、打診したところ、走る走る、と言う。予想外のノリだったので驚いたが、それなら、走ろうということになったのだ。
球を打つのを早い目において、ふたりで、練習場の外にでた。練習場は市の運動公園のすぐ近くにあり、そこを周回するコースが軽いジョギングには手ごろだ。
無理せずに、しゃべりながらぐらいのペースで走ろうと前置きして、急に寒くなった師走の夜の道路を二人で流した。
雪がちらりほらりと、目の前を横切っていた。
私と息子は、ゆっくりとしたペースで公園の周回道路をジョギングした。
「寒いな。でもだんだんあったかくなるだろう」
「うん」
雑談をしながら走った。2.5キロほど。終わりごろになると、体はすっかり温まって、汗をかいていた。
そうだ、技術的に身にはならなくても、基礎体力は鍛えられるぞ。そういえば、先日の試合で、動きが全身を使っていないなあという不満があったし、こうして、全身的な運動するのも一つのレベルアップにつながるかもしれない。
走った後は気持ちがいいし、コミュニケーションもとりやすい。
これはいいかもしれないな、と走り終わったあと思ったものだ。
大事なことは、努力を続けることだ。結果は二の次である。
そんなふうにも感じた。もちろん、別の考え方もある。だが、人の人生にはいろいろな考えかたがあるし、許されると思うのだ。
価値は自分でしか決められないのだから。
ひとつだけ言えることがある。
親は、自分の子供のことはこの世の誰よりも考えているということである。
師走の風は冷たいが、実はそうでもないようだ。
早い話が、ぼこぼこである。全体に厳しいメンバーだとは思っていたが、それ以上に振るわなかったので、意気消沈して家から遠く離れた地での試合会場を後にした。
その日は、予定どおり、映画を見に行ってから帰った。帰りにレストランで食事などをして、試合のことはさっぱりと忘れ、親子の泊まりがけの旅行としてドライブを楽しんだ。帰りの車の中で、人生の話などもできた。
試合で負けはしたが、親子の絆は深まったように感じた。
それから二三日、試合後初の練習の日となった。
試合の日は、負けたことをさっぱりと忘れ、気持ちを切り替えて楽しんだが、ふたたび日々の練習に返るに際して、どうしたものか、と考えた。
子供の不振は、つまり指導というか、練習相手をしている、私の責任である。
かと言って、今までと違うことができるわけではない。そんなことができるのなら、とうにやっているし、もう少し、結果を出せただろう。
いずれにせよ、これは私が選んだ道であり、子供に歩ませている道なのだ。
練習の最初に、反省をした。負けた試合を思い返すことは嫌なことだが、それをしないでいては、向上はのぞめない。そのことも告げて、思ったことを語らせたり、私も話した。幸い、素直に聴いていたので、よかったと思った。
そのあと、基本的な練習を少しだけした。
もともと、今日は、練習をするかどうか、迷ったのだ。
基本の練習の前に、「今日はジョギングでもするかと思っているがどうか?」と、打診したところ、走る走る、と言う。予想外のノリだったので驚いたが、それなら、走ろうということになったのだ。
球を打つのを早い目において、ふたりで、練習場の外にでた。練習場は市の運動公園のすぐ近くにあり、そこを周回するコースが軽いジョギングには手ごろだ。
無理せずに、しゃべりながらぐらいのペースで走ろうと前置きして、急に寒くなった師走の夜の道路を二人で流した。
雪がちらりほらりと、目の前を横切っていた。
私と息子は、ゆっくりとしたペースで公園の周回道路をジョギングした。
「寒いな。でもだんだんあったかくなるだろう」
「うん」
雑談をしながら走った。2.5キロほど。終わりごろになると、体はすっかり温まって、汗をかいていた。
そうだ、技術的に身にはならなくても、基礎体力は鍛えられるぞ。そういえば、先日の試合で、動きが全身を使っていないなあという不満があったし、こうして、全身的な運動するのも一つのレベルアップにつながるかもしれない。
走った後は気持ちがいいし、コミュニケーションもとりやすい。
これはいいかもしれないな、と走り終わったあと思ったものだ。
大事なことは、努力を続けることだ。結果は二の次である。
そんなふうにも感じた。もちろん、別の考え方もある。だが、人の人生にはいろいろな考えかたがあるし、許されると思うのだ。
価値は自分でしか決められないのだから。
ひとつだけ言えることがある。
親は、自分の子供のことはこの世の誰よりも考えているということである。
師走の風は冷たいが、実はそうでもないようだ。