とにかく、本の仕事をしている。ひたすらしている。けど、合間にゲームをしたり、某掲示板やSNSを覗いたり、寝転がって今度出す本とは関係の無い本を読む。
一週間前のヒトラーの本もそうで、今回の「霊の発見」もそう。
「背後霊の背後に何があるのか? 衝撃の霊的ドキュメント」
「霊ブームの歴史的背景を徹底解剖し、日本的霊性の謎に迫る神と仏の対決、気鋭の神道家と霊界を旅する驚愕の書!」
いったいどんな本やねん(笑)。
オビの文句とはかなり違って、ごく普通の対談集である。
対談者のひとりは五木寛之氏。説明の必要はないだろう。
もうひとりは神道家、鎌田東二氏。この方は神主の資格も持ち、神道の研究家としてユニークな活動を続けているひと。この本を買ってから気がついたのだけど、一冊だけ鎌田氏の本を読んだことがある。『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)である。
高名な小説家であり、「蓮如」の本も著した五木氏が仏側で、神道家の鎌田氏が神側で神仏論戦をくりひろげる本ではない。どちらかといえば、老紳士ふたりが鍋でもつつきながら語り合っているような感じの対談集である。
オビと印象がはだいぶ違うけど「日本的霊性の謎に迫る」という点ではとても参考になった。
そんなに外国の事情に詳しいわけではないけれど、日本人ほど「霊的」な文化を作りだし、近代化されてもなお「霊的」としか呼びようの無い文化の中で生きている国民はないのではないか、と思った。
大人の女性が読む「女性自身」にはある霊能者が主人公の漫画(それもびっくりするほど細身で美形になってる)が連載されているし(大人の男性が読む「週刊現代」にも連載がある)、テレビをつければ、(物理的に)でかい顔をした女性「占い師」(注)がひどくおかしな日本語で説教を垂れている。
(注)わたしの知り合いに占い師さんがいるが、知的で品のある文章を書かれる方である。なので、あの細木某を「占い師」と呼ぶのには抵抗がある。
新聞折り込みや雑誌の広告にも幸運を呼ぶという掛け軸だのペンダントだのの広告が載っている。
この本は、そんなわれわれ日本人が漠然と抱いている「霊」ということについて、ある程度つっこんだ知識をわかりやすく与えてくれる。
ホンモノとニセモノの見分け方も。
すぐに読める本だ。その「壺」を買う前に、その「パンフレット」を読む前に、その「新聞」を購読する前に、その「勉強会」に行く前に、この本を読んでおいても損はないと思う。
一週間前のヒトラーの本もそうで、今回の「霊の発見」もそう。
霊の発見平凡社このアイテムの詳細を見る |
「背後霊の背後に何があるのか? 衝撃の霊的ドキュメント」
「霊ブームの歴史的背景を徹底解剖し、日本的霊性の謎に迫る神と仏の対決、気鋭の神道家と霊界を旅する驚愕の書!」
いったいどんな本やねん(笑)。
オビの文句とはかなり違って、ごく普通の対談集である。
対談者のひとりは五木寛之氏。説明の必要はないだろう。
もうひとりは神道家、鎌田東二氏。この方は神主の資格も持ち、神道の研究家としてユニークな活動を続けているひと。この本を買ってから気がついたのだけど、一冊だけ鎌田氏の本を読んだことがある。『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)である。
高名な小説家であり、「蓮如」の本も著した五木氏が仏側で、神道家の鎌田氏が神側で神仏論戦をくりひろげる本ではない。どちらかといえば、老紳士ふたりが鍋でもつつきながら語り合っているような感じの対談集である。
オビと印象がはだいぶ違うけど「日本的霊性の謎に迫る」という点ではとても参考になった。
そんなに外国の事情に詳しいわけではないけれど、日本人ほど「霊的」な文化を作りだし、近代化されてもなお「霊的」としか呼びようの無い文化の中で生きている国民はないのではないか、と思った。
大人の女性が読む「女性自身」にはある霊能者が主人公の漫画(それもびっくりするほど細身で美形になってる)が連載されているし(大人の男性が読む「週刊現代」にも連載がある)、テレビをつければ、(物理的に)でかい顔をした女性「占い師」(注)がひどくおかしな日本語で説教を垂れている。
(注)わたしの知り合いに占い師さんがいるが、知的で品のある文章を書かれる方である。なので、あの細木某を「占い師」と呼ぶのには抵抗がある。
新聞折り込みや雑誌の広告にも幸運を呼ぶという掛け軸だのペンダントだのの広告が載っている。
この本は、そんなわれわれ日本人が漠然と抱いている「霊」ということについて、ある程度つっこんだ知識をわかりやすく与えてくれる。
ホンモノとニセモノの見分け方も。
すぐに読める本だ。その「壺」を買う前に、その「パンフレット」を読む前に、その「新聞」を購読する前に、その「勉強会」に行く前に、この本を読んでおいても損はないと思う。
井沢元彦氏が分析した
「言霊信仰」「怨霊信仰」「穢れ」という
日本人には、自身が認識していないが
いまだに根深く存在しているのだという説には
凄く説得力がありますデ。ダンナ。
そう大袈裟な事ではないのかもしれませんが・・・ちょっと、ね。
そらもう「祟り」も「穢れ」も、日本人の心の中に、生き生きと生き続けてますねー。もちろん、「ハレ」もね。いろいろ弊害もあるけれど、イスラム対近代キリスト教国家という様相を呈してきた昨今、日本人のこのような原始宗教的な部分は、なにか世界に役に立てるのかもしれない。
>道具屋さんへ
いえ、あの、その、もうすぐというか、そのうち正式にお知らせできるかと思います。お待ちください。
>日本人のこのような原始宗教的な部分は、なにか世界に役に立てるのかもしれない。
先日一寸書いた国際連盟関係者が連盟発足前、WW1対独賠償交渉中枢に居たのですがその折、欧州各国関係者に
「かつて敵とはいえ今後も隣同士で暮らしていくのだからあまり過酷な賠償請求すべきではない」
と提言した時
「如何にも東洋的な発想だ」
と一笑にふされた(特に仏蘭西に)との話を祖父に聞いた事があります。 呪いとか祟りと言うのは日本において「強者から弱者を守る最後の盾」の一面もあったと思いますが現在の日本においては人の移動も激しく「365日24時間旅の恥はかきすて状態」で、そういった「安全装置(他の存在(生物・無生物)を徹底的には追い詰めない(それを畏れる))」のようなモノが薄れつつあるのかもしれないですね。 極論かもしれないですが現状米国が近代キリスト教国家代表とすれば「白いモノを黒と相手に認めさせるのが正義」「敗者に正義はない」「だから相手を力で押さえ込む(弱者は悪)」が行動の根底にある気がします、そして日本もそういった風潮になりつつあるのかなぁ・・・と最近色々ありまして時間がたった記事にコメントしちゃいました(苦笑)。