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加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

【事件】「賽の河原」という言葉。

2006年07月19日 23時06分57秒 | 社会時評なんちって
「賽の河原」という言葉を思い出した。

辞書によると、冥土に至る途中にあると信じられている河原で、親に先立って死んだ小児が小石を積んで塔を作ろうとするが、石を積むとすぐに鬼が来て崩してしまうという。
もちろん、小児たちはいつまでもいつまでも成仏できない。転じて「際限のない無駄な努力」を指すようになった。
これではあまりに救いがないと思ったのか、地蔵菩薩が子どもたちを救いにくるという伝承が生まれたようだ。

賽の河原を和英辞典で引くと、

the Children's Limbo

とある。
Limboとは、キリスト教用語であり、「辺獄」と訳され、天国と地獄の中間にあり、キリスト誕生以前に生まれた善人や、洗礼を受ける前に死んだ幼児が行く。
とくに幼児の場合は、「幼児の辺獄」と呼ばれる(つまり大人用と子供用に別れているのだ)。賽の河原はこの「幼児の辺獄」の東洋版ということなのだろう。

和洋問わず、なぜ、人間はこんなものを信じるようになったのだろう?
それぞれの教義にたって厳密に言えば、人間は原罪を背負っているため洗礼を受けなければ地獄に行く定めであるし、父母の供養をすることなくより先に死ぬという罪を冒したのだから、やはり地獄に行かなければならないはずである。
たとえ、乳飲み子であっても、だ。

しかし、これではあまりに忍びない。無慈悲で冷たい教義である。先人がそう思ったのかどうかは知らないが、ともかく、地獄と天国の中間に、そんな不幸な子どもたちを置くようになった。

「賽の河原」という言葉を思い浮かべたのは、下の事件の一連のニュースを読んだときだった。
警察犬うんぬんや、足を滑らせた跡という物的証拠(?)が主要な原因だろうが、「彩香は河原で石を積むのが好きだった」という、母である容疑者の証言が、警察をして、大きな初動捜査のミスをさせたという。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 彩香さん殺害「駄々こねたので」…畠山被告が供述

このニュースは、切ない。

十分な愛情を与えられていない子が、駄々をこねるのはあたりまえではないか。
ふだんは冷淡な母とめずらしく「一緒に遊びに行った」という認識をもっていただろう少女が、帰りたがらないのは、あたりまえではないか。


わたしは、天国も地獄も信じない。
怪しげなファンタジー小説を三冊も出してるわりに、無神論者である。
天国も地獄もない。ましてやその中間的な場所などあるわけがないと思う。
死後の生も無いと思う。人間は死ねば、消え去ってしまうと思う。

だけど、今度ばかりは、いや、今度も、幼い二つの魂の冥福を祈りたいと思った。


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2 コメント

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やるせない・・・ (横着星)
2006-07-23 13:34:18
戦前の話なのですが村で美男美女として評判の二人が居て関係を持ち、女の方は段々お腹が大きくなるも男は結婚を渋り思い余って橋から女性を突き落とし殺害、と言うのがありそれを今回なんか思い出しました(愛する者に殺されるといった点に同じような哀しさ・やるせなさを感じます)。 蛍が綺麗な橋なのでよく近所の子供達を連れて行く所で現在のそこの河原には母子地蔵(?)があり(死んだ女性と産まれる前に死んだ命をを忘れないようにと当時立てた)管理(掃除・献花)を私の家で行っています。 しかし秋田の事件では「忘れるために」と事件現場の家の取り壊しが決まったようですが、私の田舎も今回の事件地域以上に雪深く山深い田舎だし今回の事件で良くきく「村社会」といった点では戦前の話だから今回の事件以上「村社会」であったと思うのですが対応が随分違う(どちらが是か不明だが)。 昔は死者の「存在を許容」、今現在は「存在を許さない」感じになりつつあるのかもしれないですね。
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死者と生者 (加地 尚武)
2006-07-25 00:39:07
死者と生者の間には「黄泉つ比良坂」がありますからね。本来は厳密に区別しないといけない。寂しいけれど。



乳幼児の死亡率が高かった昔は「子供の死」というのがとても重い問題だった。全国津々浦々にあるお地蔵さんも見るたびにそんなことを考えます。
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