加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

「ママチャリお遍路1200㎞」を読んで、お遍路の意味について考えた。

2014年05月18日 16時31分13秒 | 自転車と旅、メシ。
ママチャリお遍路1200km―サラリーマン転覆隊
本田 亮
小学館


土曜日に茂木健一郎氏の講演会に行って、時間待ちのために併設されている図書館で、本田亮という人の「ママチャリお遍路1200㎞ サラリーマン転覆隊」という本を見つけた。
パラパラと10ページほど読み、おもしろそうなので借りてみた。

東京でサラリーマンをしている仲のいい7人組が、少しずつ休みを取って、ママチャリで四国八十八カ所を巡るというエッセイである。もちろん、1200㎞もの距離を一気に走れるほど休みを取れるわけがない。八十八を大きく四つのステージに分け、連休にかけて有給休暇を取ることによって走り抜けようというのだ。本の最後にあるが、とった有給休暇はたったの七日だという。
しかし、早朝に四国を発ち、9時の会議に出席したりとか、半端なスケジュールではない。

しかも自転車の扱い方がおもしろい。一万円足らずのママチャリを通販で買って、徳島の一番札所の近くにある宿に送ってもらい、そこから第1ステージを開始するのだ。東京に帰るときはどうするのかと思っていたら、知り合いやファンや親類に次にまとまって休みが取れる時まで預かってもらうというぐあい。

彼らの汗と涙のママチャリ遍路がおもしろくて、この本は一気に読めてしまう。

読み終わって、「オレも遍路に出たい」と強烈に思っている自分に気が付く。
愛媛に住んでいるオレは彼らよりずっと有利ではないか。
ロードバイク、シクロクロス、折り畳み自転車という異なるタイプの自転車を三台持っているし、それらを組み合わせれば、彼らよりずっと速く回れるんじゃないか、なんて夢想している。

もちろん、可能だろう。

「だけど、なんのために?」と思っている自分もいる。
遍路に出るためには、それなりの「願い」が必要じゃないか、なんて思ったりする。
この本の筆者の願いは「妻の病(具体的な病名は書いていないけれど、おそらく癌)が再発しないように」だった。
じつに立派な願いだと思う。

でも、「現世の御利益」を求めるのに「立派」もなにもないんじゃないかな、とも思うのだ。

もちろん、僕にも願っていることはいくつかある。でもそれは、つきつめて考えると、「人が決めること=自分がコントロールできないこと」なのだ。
冒頭の茂木健一郎氏の講演にもあった。「世界を二分しよう! 自分がコントロールできること。できないこと。そして、自分がコントロールできないことはきっぱりとあきらめよう。そうすればストレスは無くなりますよ」と。
(もちろん、自分がコントロールできること=自分磨きなどは全力を尽くすのだ)
うえの「ストレス」を、満たされぬ思い、生きていく上での不如意、と言い換えてみれば、いまの僕には「お遍路」に出るべき理由が無い、ということになってしまう。

三年前に亡くなった僕の娘のために? 遍路は誰かを弔うためじゃないと思うし、死者と語らうことが目的ならば「恐山」に行くべきだろう。冗談のようだが、そうマジメに思う。震災直後に書かれた恐山のご住職の本を読んでるだけに、よけい。

いや、そもそも、あんまりむずかしく考えなくてもいいのではないか。

「遍路は道なり」

とりあえず、旅の空の下で、その旅に出た理由を考える。
そんな遍路がいてもお大師様は許してくださるのではないか。

とりとめもない話になったけど、今年になって読んだ遍路の本にハズレがない。

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