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ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

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しょこたんinほん怖

2007-08-28 23:45:02 | 中川勝彦


*じゃあ勝ちゃんは誰のそばにいるの!?

しょこたんこと中川翔子ちゃんがカスペ!の『ほんとにあった怖い話』で女優?デビューしていた。

もとは毎週月曜19時(現在のネプリーグ枠)にオンエアされていた、吾郎さんが小学生の子供たちと視聴者から寄せられた恐怖体験を紹介する心霊バラエティ??で、番組終了後も幾度となくスペシャル版が編集されているのである。

しょこたんは以前住んでいた家での「怖い話」を自ら演じていたのだけれど、思いがけずパパである故勝彦氏のことが話題に上って(写真出演も)ちょっと胸が痛んでしまった。
彼女の心霊体験が父親を亡くした時から始まっていたり、霊能者の先生に「お父様はあなたのそばにはいません」なんてハッキリ言われていたり、なんかかなりかわいそうだったよ。
本人が「そばにいないなんて言われて寂しかったけど、ホントはちゃんと見守っていてくれるんだ」と喜んでいた出来事までしっかりと否定されちゃって
娘が質の悪い霊に取り憑かれているというのに、ダメパパじゃん!
じゃあ一体、あなたは誰のそばにいるの!?

思えば命日までひと月ないんだなぁ。
勝ちゃんが亡くなった13年前の9月17日はとっても暑い日だった。
今年のお盆休み、汗だくになって埃を拭き取ったブラインドを部屋に取り付けた年だったのよ!そういえば(爆)。
その作業がホント大変で汗が床にしたたり落ちたわ。
季節はずれの夕立のあと一瞬にして涼しくなり、見たこともないほど大きな虹が出て―。
その時刻に勝ちゃんが亡くなったと知ったのは、数ヶ月も後になってからだったけれど…。
今も昨日のことのように思い出す。
でも、その時の彼に両親とお姉ちゃん以外の「家族」がいたことを知るのは、さらにもっとずっと後になってから。
出来ちゃった結婚していようと、実はデカい娘の父親だろうと、私の中の中川勝彦像は変わらなかった(自分でもチョト驚き)。
自分にとっての特別な存在なのだと何年もかけて思い知った気がします。

うまい表現が思い浮かばないけれど、とにかく私はしょこたんに幸せになってほしい。
彼女が勝彦の娘ってことは私の娘も同然(違うだろ)みたいな…なんか他人と思えない妙な親近感が彼女にはある。
彼女の守護霊は勝ちゃんであってほしかったなぁ。
番組の中で、浄霊が無事終了したしょこたんに「(憑きものが落ちて)恋愛上手になったしょこたんを見たら、天国のパパが嫉妬しちゃうかもね」と声をかけていた吾郎さん。
紳士すなぁ。ギザヤサシス

⭐しょこたんが4つくらいの時のパパ

昔の雑誌の切抜きです(スキャナで取り込み→jpg変換に初挑戦)。
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「雨の動物園」

2007-02-20 17:41:32 | 中川勝彦



勝ちゃんのDNA

“しょこたん”こと中川翔子ちゃんである。
故中川勝彦さんが22歳の時に「できちゃった結婚」していたことは、彼女のプロフィールを見るまで全く知りませんでした。
翔子ちゃんが16歳でミスマガジンに輝いた5年前、没後7年経って初めて知りました。
まさに寝耳に水―っていうか、やっぱフクザツでしたよね。
その昔、勝ちゃんとはバンド仲間ぐるみでけっこう夜遊びしたけれど、家庭を持つ男にはとても見えなかったし…。
家で奥さんと2歳の子どもが待っていたなんて!当時の誰もが想像も出来なかったはず。
後で聞いた話によれば、ごくごく一部の関係者しか知らないことだったらしい。
「ファンをだまし続けていたのね!」ではなく、勝ちゃんほどの正直者でも「やっぱりホントのことは公表出来なかったか…」という意味で、軽くショックでした。
そりゃそうか。
当時はデビューしたばっかで、これからバリバリ「お耽美路線」で売り出そうって時に、22歳でコブつきではシャレにもならないもんね。
なんたって勝ちゃんこそは「元祖ヴィジュアル系」J-Popアーティストなのだから(苦笑)。

ってことは、奥さんと翔子ちゃんは勝ちゃんが華やかに活動(実際はそれほどメジャーでもなかったが^^;)している間、ず―っとその存在を隠され続けていたわけだよね。
翔子ちゃんはパパに甘えたい盛りに堂々と外で遊んでもらったり出来なかったんだろうな。
若くて、あんなに麗しい父親がいたのに内緒にしなきゃならないなんてカワイソス(T-T)。
しかもパパは信じられないくらい早く逝ったんだもの。
私的には、子どもを先に作ってあたふたと結婚する男って大っキライ(のわりにはそういうのを好きになっては失望させられる…。キム○クしかり、谷○章○しかり)なので、その点では結構ガッカリさせられたんですね、実は。
まーガッカリも何も、本人はとうにこの世にはいないわけですが。

でも、今はこれで良かったのだと思っています。
32歳で亡くなることが彼の寿命だったなら、23歳でDNAを後世に残せたことは幸運だったのだと。
しょこたんは神様が授けてくれた生命だったのかもね。

しょこたんと愛猫のマミタス(ギザカワユス)
パパが生きていたら、娘がこんなハレンチな格好でグラビアを飾ることは絶対に許さなかっただろうなぁ。

翔子ちゃんが最近ブログでパパのことを語っておりました。
おじいちゃん、おばあちゃん(勝ちゃんのパパとママ)、親バカなのね。
私も同じ雑誌の切抜き持ってるよ。
ちなみに、おじいちゃんが翔子ちゃんに「カバーしてほしい」と言った「雨の動物園」という曲は、中川勝彦の記念すべきデビューアルバム『してみたい』のラストに収録されているバラード。
作曲したのは原田真二。
松尾由紀夫によるシンプルな歌詞が胸に染みる、私も大好きなナンバーです。
「愛せいいっぱい」というフレーズにキュンときます。
※歌詞はコメント欄に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【2023年5月追記】
とのことなのでわしも訂正させていただきます。

「早く子どもを作ろう」と言ったのはかっちゃんの方らしいです。奥様の桂子さんは「どうしてまだデビュウしたばっかりなのに?」と思ったそう。
「忙しくなって会えない日が増えるから子どもがいたら淋しくないだろう」とのこと。

ホントに早く作って良かったよ~(/ _ ; )
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中川勝彦 (なかがわかつひこ)

2006-09-18 23:19:38 | 中川勝彦
   

「鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うやうに 私はあなたを愛するのでしょう」

急性骨髄性白血病のため、32歳の若さで勝ちゃんが亡くなってから12年…。
愛娘の翔子ちゃんがもう成人というんだから、ホント時の流れは矢のように速い。
でも私は、干支が一回りした今もまだ大きな喪失感を拭えません。

----------------------------------------------------
本名:同じ
生年月日:1962年7月20日
出身地:東京都文京区
初出演映画:『ねらわれた学園』(1981年)
アルバムデビュー:『してみたい』(ワーナー・パイオニア/1984・2/22)
初ライブ:渋谷ライブIN(1984・2/29)
没年:1994年(9/17 17:40 享年32)
----------------------------------------------------

〓ラジオの『全米トップ40』で洋楽ファンとなり、小学校低学年で音楽に目覚める。1978年、慶応高校入学と同時にバンドを結成し、3年生の時NHK『ヤングミュージックフェスティバル』に出演。歌手デビュー前の‘81~‘83年はチョイ役で映画出演も。‘84~‘87年にワーナーパイオニアからアルバム5枚、シングル8枚をリリース。精力的にライブ活動も展開。‘88年9月にNECアベニューに移籍、アルバム・シングルともに2枚リリース。‘91年7月、11月にはセルフプロデュースのアルバムをアルファレコードより発売し、ライブ拠点はホールからライブハウスへ移す。‘92年9月、急性骨髄性白血病に倒れ、約9ヶ月の闘病生活へ。‘93年クリスマスに絵本『アンノウン・メモリー~未知の記憶~』を出版。‘94年8月、白血病再発のため再入院。9月17日夕刻、永遠の眠りにつく。〓

   

1980年代半ば、当時の彼氏がバンドをやっていたことがきっかけで勝ちゃんに出会うことが出来ました。
ちょうどテレビ朝日の深夜バラエティ『ミッドナイト・イン六本木』の司会を務めていた頃だったかな。
彼氏と破局するまでの数年間、ちょっとした「お友達」だったと勝手に思っています。
今思えばあの時すでに一児の父だったわけで…。全く気付きませんでした(^^;)。
白血病で倒れたことも、懸命に闘病していたことも、亡くなる数ヶ月前に知りました。
久々の再会が再入院の直前で、結局それが最後となってしまいました。
すっかり気が動転していた私と対峙した勝ちゃんは、終始穏やかな微笑をたたえ、まるで悟りを開いた高僧のようでした。
「明日死ぬことになっても、90まで生きても、人間の一生なんて宇宙の悠久の営みの中ではほんの瞬きに過ぎないんだよ。長く生きることが幸せではなく、納得のいく生き方が出来たかどうかが重要なんだと思う」
自分の運命を受け入れ、こんなに安らかな表情を見せられるまでに、一体どれほどの葛藤があったのかと思うだけで、私はとても平静ではいられなかったのに…。

2年遅れて耳にした訃報には目の前が真っ暗になりました。
もう大ショックで、日常生活に支障をきたしたほど。
この世には神も仏もいないのだと思い知ったというか。
愛されるために存在していたような人があんなに早く逝くなんて。
私も含めてクズみたいな人間はいっぱいいるのに―。
生まれて初めて「私が代われるものなら」と思いました。
きっと、当時彼の周りにいた人はみんな同じ気持ちだったことでしょう。

最近、しょこたんがめざましテレビの「広人苑」で取り上げられていて、思いがけず勝ちゃんの映像を見ることが出来ました。
しょこたんのぶっ飛びキャラにも唖然だったけど、幼少時にパパから受けた影響が思った以上に大きいのだと知って、更にビックリ!
彼女が取り憑かれたように(笑)ブログを更新するのは、若くして亡くなった父親のことが起因しているのかも。「明日死んじゃっても、生きた証が残せるかと思って」なんて21歳の女のコの口から聞くと、ちょっと切なくなったりもした。
彼女にはパパの分まで長生きして欲しいです。

■Albums■

上段左から、
🟥してみたい(1984・2/22) 🟥Double Feature(1984・9/25) 🟥ペントハウスの夏(1985・5/25) 🟥FROM PUBERTY(1986・6/25) 
🟥MAJI-MAGIC(1987・2/25)/ワーナー・パイオニア
🟦ラヴァー・ピープル(1988・9/21) 🟦HUMAN RHYTHM(1989・8/21)/NECアベニュー

没後リリースされたメモリアルアルバム
🟦Rebirth(1995・10/21) 🟦Again,Me…(1994・12/21)

非常に残念ながら、現在全て廃盤となっています。
コメント (6)
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勝ちゃんの虹

2006-09-17 17:40:00 | 中川勝彦
   


*またこの日がやってきた…。

写真は今年5月20日に鎌倉で見た虹の二重橋。
梅雨入り前は不安定な天気が続き、この日も大雨警報が発令されたにもかかわらず、夕刻にはいきなりピーカン。
当時入院中の母親を見舞った後に立ち寄った【Kamakura BANA-BANA】で遭遇した光景です。
近くに火葬場のデカい煙突が見えるのですが、丁度煙が出ていました。
BANA-BANAオーナーの小栗さん曰く、「よっぽど徳の高い人が亡くなったんだねぇ」。
生前多くの人々に愛された方は、天国へと召される時に「虹の橋」を渡れるんですって。
それにしてもすごい虹でした。

以前にもこのくらい大きな虹を見たことがある。
いつだったっけ―。
忘れもしない、12年前の今日。
9月17日の夕方でした。

12年前の今日は、中川勝彦さんが亡くなった日です。
勝ちゃんも虹の橋を渡って天国へと旅立ったのかな。
尤も私が訃報を聞いたのはちょっと後になってからでしたが…。

今日は薔薇の花を買って、『ペントハウスの夏』聴いて、生前の勝ちゃんを偲ぶことにします。

ちなみに「ナンシー・Chang!」はこのアルバムの5曲目です。
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