うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

長崎から天草

2011-05-26 22:55:16 | 旅行記

長崎の夜

ホテルでシャワーを済まし、夜の帳の中、市街電車で繁華街へ。 市街電車はどの町で乗っても、その土地の人に近づけるような気がする。  不案内な町歩きでも安心して乗れるのはこの近さのせいであろう。

中華街や観光通りをそぞろ歩き、老舗の吉宗本店へ。

 前日からの寝不足と長距離ドライブ、伊万里、有田の歴史探訪で、きっと酒の回りが速いのだろう。

お店の元気なお姉さんに手間を取らせて探して貰った純米吟醸を一合飲んですっかり良い気分である。

名物の茶碗蒸しと蒸寿司と鯖寿し、地魚のお造りと蛸のワサビ合えを食す。美味 鯖寿しは食べ切れなくて折にして貰った。  ホテルまでそぞろ歩きして、そのままバタンキュー

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長崎発

長崎茂木港発7:00のフェリー  ホテルを6:00発で30分程度で港へ到着 乗船手続きして船待ちの間に待合室で朝食

昨夜の残りの鯖寿しと、待合室の産直店で買い込んだ揚げタテのさつま揚げが美味であった。

産直店は6:30頃から続々と地元の漁師らしき人々が持ち込む魚が、旨そうな事と安価な事に思わず買い込みそうになり、家人に窘められたものである。 鰺や甘鯛、蛸にイトヨリ、黒鯛など等 フグなどは下ごしらえ済みの切り身4尾分で400円である。天麩羅で食したら旨そうだ。

後ろ向き乗船も珍しく積載車も10台位の小型フェリーで定刻、茂木出港である。

甲板から望む小さな漁港は、私の物語そのものを彷彿させるものであり、ますます構想沸くおもいである。

あいにく薄曇のうえ、黄砂の影響でもあろう10分も沖合いに出ると長崎側も天草側も島影が全く見えなくなった。

小船でしかも方位計も持たない昔日の海人は、きっと迷った海日和であろう。

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40分位の航海でいよいよ天草だ。

天草

島影が見えたと思ったら、直ぐに入港だ。 目の前に真新しい白い煙突と白い大きな建物がある。

福島の原発を思わせ不気味な思いがしたが、やはり九州電力の火力発電所であった。

原発災害と東南海沖地震からの脱出旅行のつもりであったから、現実に引き戻される思いである。

素朴な港に入港して岸壁から海を覗くと、すばらしい透明度の海には小魚が群れ泳いでいる。

汚染された福島の取り戻せない海の無念に心が痛む。

天草富岡城址に、おそらく火力発電所誘致の見返りで建てたのであろう、立派な県立ビジターセンターがあつた。

展示物や城塞を模した建築物は箱物行政そのもののようで、見るべきものは無かった。

ほとんどこの地とかかわりの無い筈の勝海舟と頼山陽の銅像は折角の訪問を鼻白む思いにさせた。

政治や行政の関わるものとは対照的に、自然の景観や空気や海と空の色の美しさは、これだけで充分だという思いを抱かせる。 矮小な人間どもよ余計なことをするな!!と・・・・

そして、いよいよ今回の天草訪問の主目的地である、高浜である。

ここは、磁器製陶の原料である陶石の産地である。合わせて高浜焼の陶磁器窯元がある。これだけなら取り立てて旅の主目的にはならないのだが・・。 ここは私の故郷、鹿児島県川内の平佐焼原料を調達していた歴史がある場所なのである。

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次回へ続く

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