内田樹の基調講演と、女性憲法学者4人による戦争と女性というテーマでの、パネルディスカッションだ。
全体のテーマが、グローバル化と国民国家 (国家は何を守るのか?) で、あった。
内田は言う。
戦後政治の基本戦略だった対米従属を通じた対米自立、 暖簾分け戦略の形骸化が進行した。 沖縄返還以来、具体的成果もないまま、対米従属戦略の仕組みだけが残り、今では、これが身体化した吉田や岸のエピゴーネンが、その中身も伴わないまま、その戦略をとることだけで、支配的勢力圏内に居ることができるという、ある意味それが政治風土化してしまった。
この結果、対米従属しながらも一方では具体的な国家利益を一つ一つ取り返すという、息の長いネゴシェーターとしての政治勢力が当初あったのだが、今では自らの支配的勢力を得るためだけの対米戦略と成り果てた。
従属される米国としても、日本の政治の対米従属政策を理解できないのではないだろうか。 特定秘密保護法や集団的自衛権行使法など国民の基本的人権や平和憲法を投げ出しても米国に奉仕しようという施策は、従属以上の国家利益投げ出しの売国的行為ではないか。 このことの潮目がはっきりしたのが、鳩山首相の普天間海外移転案提出後の、官僚、政治家、マスコミ総力を挙げての追い落としキャンペーンであった。
米国が要求もしないのに、国家的利益を実現しようとした鳩山を自主的に黙らせ追い落とし、米国に媚を売るのである。 何故こんな政治姿勢になるのであろうかと考える時、このような政治姿勢をとる事こそ自分が支配的地位に留まることが可能となると考える勢力がいるという事だ。
これを買弁政治家と言わずしてなんであろう。自らの個人的利得のために国家的利益を売り渡すのである。
清朝末期に跋扈した買弁資本家と同じである。 これに対抗するとしたら、私たちも辛亥革命を起こさなければならないのだろうか??
国家とは空間的平面的に表象するのではなく、時間軸も考えるべきである。 国破れて山河在りという。
山河があれば国は立て直すことができる。政治体制などと言うものは成長消滅栄枯盛衰当たり前だが、山河(自然景観や文化、技術、習慣など)と、もう一つ死者と未だ生まれざる者たちを構想すれば国は立て直せる。
死者の残した負債をきちんと負うこと、次世代への債務をなるべく少なくすること、まだ見ぬこの世に無い理想を構想希求し掲げることこそ、これからの方向性であろう。
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