うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

西へのキャンプ旅 帰路(最終)

2016-07-11 07:52:38 | 旅行記

  帰路は一人旅である。 京都から米原市、伊吹山麓のグリーンパーク山東でキャンプ、2日目に伊吹山へ挑むも、予てよりの膝痛で敢え無く5合目で退却とした。

 この山は若者の登山客が意外に多く、彼らの飛び跳ねるような登下山の足取りと己の軋む膝関節を比して、一年毎の体力衰退を認識したものである。とぅとう1377mの山も登れなくなったのか・・・!!

登れぬ山に駐車料金1000円と登山協力金300円を支払った。登山口から1合目までの泥濘と悪路を放置して何が登山協力金なんだ!! 下りの滑る泥濘は余計な膝への負担と痛みで協力金300円を呪ったものである。

 3日目は関ケ原の合戦場を車で廻った後、途上名古屋圏でのモーニングで有名らしい小倉餡トーストを食し、昼食には、未だ食したことの無かったソースカツ定食を頂いた。名古屋食文化・・・・???

讃岐うどん程の感激は無いというより、比較すべきでは無いのだ!! もう一度は??無い!

 

帰路行程の最後の期待の目的地は、馬籠宿、妻籠宿である。

「木曽路は全て山の中である」で始まる、あの”夜明け前“で描かれる宿場町である。 町並み保存条例を含めて文化景観を、価値として観光資源として、積極的に取り上げた最初の地域である。

 しかし旅往路で辿った高山村、白川郷と同じく期待を裏切られた結果となった。

 それでも馬籠宿は、まだそれなりに近世の歴史や藤村文学への引き合いから、そぞろ歩きくらいはと費やしたものである。 石畳で整備された昔日の木曽街道は、物流や其れに基づく産業の為ではなく、往年の幕藩体制下での軍事、防衛目的のためであったのだろう。成る程、大部隊の軍隊移動は不可能だろう。

 馬籠の次の妻籠宿で急遽探した旅館が又、大外れであった。

午後4時頃投宿し、妻籠宿メイン通り辺りを散策でもと思ったのであるが、其処まで歩いて2~30分往復1時間は歩けない。車で行けば有料駐車場である。 宿側からの往復、あるいは片道でも送迎を期待したのだが????  仕方なく「行ってみても馬籠宿と大差は無いのだろう」と・・諦めた!!

旅館の食事が又、ガッカリである。殆どが土産物売り場に並ぶアレである。イワナの甘辛煮、山菜の佃煮、お漬物、蒟蒻田楽 等々、如何にも真空パックビニールから出しましたである。 これで食事つき1泊10000円。

 同宿していた白人系外国人3人組が、大きな体をして食事しながら話していた“ミステイク”の連発は、きっと期待した日本文化と旅館の選定を“間違えた”と・・・言っていたのだろう。

 

今回の旅で思ったのは、有名な観光地へは足を踏み入れないこと! 間違っても宿泊はしないこと!

観光立国、観光立県、観光立町、観光立村は、そのうち閑古鳥が鳴く場所になるだろう。

金、金、金 である。 売っている土産物「木曽の伝統豆」のはずが、佐賀の製造元である。外国人には判らないだろうとの魂胆が見え見えである。

ということで、妻籠の写真は無い!

後は、一路中山道を塩尻~和田峠~佐久~軽井沢~松井田妙義からは上信越道路~関越自動車道の有料道路利用となった。 到着時の我がプリウスの走行距離メーターである。 総走行距離3427kmの走破であった。

ガソリン経費総額15309円 1km当たり4.4円であった。1リッター当たり26kmの走行実績である。

 

往路、 郡上八幡、松坂牛、九度山手作りキャンプ場、うだつの街、讃岐うどん、道後温泉、臼杵大仏

帰路、 京都(本能寺、一の傳、鳩居堂) 印象に残ったのは、これくらいかなー??

コメント (1)
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