パナソニックの株主は、完全になめられている--。
中村邦夫相談役の社長・会長時代の経営戦略の失敗と、それを長らく糊塗したために「傷口」が拡大し、2期連続の巨額赤字の合計は約1兆5000億円にも上り、63年ぶりの無配に転じるパナソニック。それなのに、6月26日に開かれる株主総会の招集通知には2012年度に退任した取締役4人へ支払った退職慰労金の総額が、18億5500万円であることが記されている。
慰労金を支給されたのは、創業者・松下幸之助氏の女婿である松下正治名誉会長(12年7月に死去)、中村邦夫氏、氏の側近だった森孝博・元副社長と坂本俊弘・元副社長の4人だ。それぞれにいくら支払ったかは非開示だ。
開いた口がふさがらないとしか言いようがない。自分の経営判断ミスで巨額の赤字を計上し、多くの社員が「追い出し部屋」に追いやられているのに、自分だけはぬくぬくと慰労金を懐に入れる。株主から預かったお金をドブに捨てて配当もできないくせに、自分だけはいただくものはいただくという考えが、卑しい。しかも中村氏は報酬が出る相談役に居座ったままだ。
中村氏を見ていて、牟田口廉也中将という日本陸軍の高級幹部のことを思い出した。当サイトの読者には若い方も多いと思うので、牟田口がどんな人物だったかここで簡単に説明する。
牟田口中将は、「白骨街道」と言われ、日本兵が2万人以上戦病死した「インパール作戦」の総司令官である。ビルマ(現ミャンマー)側から山岳地帯を経由してインドにいる英軍に攻め入る作戦だったが、食料や弾薬など補給体制もろくに確保せず、部隊は牛を連れて行った。牛を食べながらインドに攻め込む考えで、別名「(焼肉の)ジンギスカン作戦」とも呼ばれた。ところが牛は途中でほとんど死んでしまい、役に立たなかった。牟田口は根性論で前近代的な戦いを強いて、多くの部下を死なせた。
そして、自分はぬくぬくと後方に待機して、芸者遊びと新聞記者接待に夢中だったという。インパール作戦は泥沼の敗戦状態に陥っているのに、新聞記者に「勝っている嘘記事」を書いてもらうために、接待していたのである。
さらに牟田口は、「現場の部隊長から、食料も弾薬も補給がなくて、これ以上の抗戦は無理」との連絡を受けると、激高して上司への命令違反ということで、その部隊長を解任した。通常、軍隊では命令違反の扱いを受けると、軍法会議にかけられるが、部隊長にずさんな作戦計画と現場の実態を軍法会議でしゃべられることを恐れて、牟田口はその部隊長を「精神疾患」扱いとして、軍法会議にかけさせなかった。
戦後、その部隊長が実態を明らかにするなどして、インパール作戦の悲惨さと指揮官の傲慢・無能さが明らかとなった。生き延びた牟田口は戦後、死ぬまで言い訳に終始し、自分の責任を棚上げした。
●赤字招いた中村邦夫元社長、部下に責任取らせ、自身は相談役に居座る
中村氏は牟田口と似ている。社長・会長時代は、正論であっても自分に意見する役員や幹部を徹底していじめて追い出した。結局、中村氏は「裸の王様」になってしまい、パナソニックの凋落が始まった。そして多くの社員を希望退職に追い込みながら、自分は一切責任を取らないばかりか、退職慰労金まで懐に入れ、今でも名誉職である相談役に居座ったままだ。中村氏の「傀儡」であった大坪文雄氏は経営責任を取って会長職を辞任し、特別顧問に退く。「部下」だけに責任を取らせた格好である。
パナソニックでは、中村氏が社長・会長時代のプラズマへの過剰投資や合理性を欠いた三洋電機の買収などの経営判断ミスと、その判断が間違っていたとわかった後でもミスをミスと認めず、早期に軌道修正を図らなかったために赤字額が拡大した。
筆者はこれまで何度も、中村氏の経営責任の問題を指摘してきた。しかし、中村氏にとっては「カエルの面に小便」である。これはもう、株主が怒って行動に出るしかない。株主総会に押しかけ、中村氏の経営責任を追及しよう。
(文=井上久男/ジャーナリスト)
http://biz-journal.jp/2013/06/post_2391.html
中村邦夫相談役の社長・会長時代の経営戦略の失敗と、それを長らく糊塗したために「傷口」が拡大し、2期連続の巨額赤字の合計は約1兆5000億円にも上り、63年ぶりの無配に転じるパナソニック。それなのに、6月26日に開かれる株主総会の招集通知には2012年度に退任した取締役4人へ支払った退職慰労金の総額が、18億5500万円であることが記されている。
慰労金を支給されたのは、創業者・松下幸之助氏の女婿である松下正治名誉会長(12年7月に死去)、中村邦夫氏、氏の側近だった森孝博・元副社長と坂本俊弘・元副社長の4人だ。それぞれにいくら支払ったかは非開示だ。
開いた口がふさがらないとしか言いようがない。自分の経営判断ミスで巨額の赤字を計上し、多くの社員が「追い出し部屋」に追いやられているのに、自分だけはぬくぬくと慰労金を懐に入れる。株主から預かったお金をドブに捨てて配当もできないくせに、自分だけはいただくものはいただくという考えが、卑しい。しかも中村氏は報酬が出る相談役に居座ったままだ。
中村氏を見ていて、牟田口廉也中将という日本陸軍の高級幹部のことを思い出した。当サイトの読者には若い方も多いと思うので、牟田口がどんな人物だったかここで簡単に説明する。
牟田口中将は、「白骨街道」と言われ、日本兵が2万人以上戦病死した「インパール作戦」の総司令官である。ビルマ(現ミャンマー)側から山岳地帯を経由してインドにいる英軍に攻め入る作戦だったが、食料や弾薬など補給体制もろくに確保せず、部隊は牛を連れて行った。牛を食べながらインドに攻め込む考えで、別名「(焼肉の)ジンギスカン作戦」とも呼ばれた。ところが牛は途中でほとんど死んでしまい、役に立たなかった。牟田口は根性論で前近代的な戦いを強いて、多くの部下を死なせた。
そして、自分はぬくぬくと後方に待機して、芸者遊びと新聞記者接待に夢中だったという。インパール作戦は泥沼の敗戦状態に陥っているのに、新聞記者に「勝っている嘘記事」を書いてもらうために、接待していたのである。
さらに牟田口は、「現場の部隊長から、食料も弾薬も補給がなくて、これ以上の抗戦は無理」との連絡を受けると、激高して上司への命令違反ということで、その部隊長を解任した。通常、軍隊では命令違反の扱いを受けると、軍法会議にかけられるが、部隊長にずさんな作戦計画と現場の実態を軍法会議でしゃべられることを恐れて、牟田口はその部隊長を「精神疾患」扱いとして、軍法会議にかけさせなかった。
戦後、その部隊長が実態を明らかにするなどして、インパール作戦の悲惨さと指揮官の傲慢・無能さが明らかとなった。生き延びた牟田口は戦後、死ぬまで言い訳に終始し、自分の責任を棚上げした。
●赤字招いた中村邦夫元社長、部下に責任取らせ、自身は相談役に居座る
中村氏は牟田口と似ている。社長・会長時代は、正論であっても自分に意見する役員や幹部を徹底していじめて追い出した。結局、中村氏は「裸の王様」になってしまい、パナソニックの凋落が始まった。そして多くの社員を希望退職に追い込みながら、自分は一切責任を取らないばかりか、退職慰労金まで懐に入れ、今でも名誉職である相談役に居座ったままだ。中村氏の「傀儡」であった大坪文雄氏は経営責任を取って会長職を辞任し、特別顧問に退く。「部下」だけに責任を取らせた格好である。
パナソニックでは、中村氏が社長・会長時代のプラズマへの過剰投資や合理性を欠いた三洋電機の買収などの経営判断ミスと、その判断が間違っていたとわかった後でもミスをミスと認めず、早期に軌道修正を図らなかったために赤字額が拡大した。
筆者はこれまで何度も、中村氏の経営責任の問題を指摘してきた。しかし、中村氏にとっては「カエルの面に小便」である。これはもう、株主が怒って行動に出るしかない。株主総会に押しかけ、中村氏の経営責任を追及しよう。
(文=井上久男/ジャーナリスト)
http://biz-journal.jp/2013/06/post_2391.html
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