那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

縄文土器の価値

2016年10月19日 | 歴史

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今月の「春名先生を囲む会」では病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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縄文土器(縄文時代)の時期区分

 

  • 草創期:約16,000年前~(ただし、縄文文化的な型式の変遷が定着するのは草創期後半から)
  • 早期:約11,000年前~
  • 前期:約7,200年前~
  • 中期:約5,500年前~
  • 後期:約4,700年前~
  • 晩期:約3,400年前~(ただし、晩期から弥生時代への移行の様相は地域によって相当に異なる)

 

上記の年代は放射性炭素年代測定を較正した暦年代観に従っているが、いずれにせよ精度の高い推定は難しく、現在でも研究途上である。

 

縄文土器の出現はどうやら氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いものだが、大陸側の極東地域[2]には同時期の土器文化の存在が知られ、東アジア一帯で世界最古期の土器が同時並行的に出現したとみられており、相互の関係が注目される。

 

現在までに知られている日本列島最古の土器は青森県大平山元I遺跡茨城県後野遺跡(うしろの)・神奈川県寺尾遺跡[3]などから出土した文様のない無文土器[4]であり、大平山元I遺跡から発見された土器の年代測定の算定は16,500年前(暦年較正年代法による)とされている。

 

また、愛媛県久万高原町美川の上黒岩岩陰遺跡の最下層の第9層から細隆起線文土器、第6層から薄手の無文土器、第4層から押型文土器と厚手の無文土器が出土している。その中でも細隆起線文土器は約1万2000年前のもので、日本最古級の土器の一つである[5]

 

日本列島最初の土器は次の4段階をたどると考えられている。まず最初の第1段階は無文土器[6]を特徴とし、第2段階は豆粒文土器[7]隆起線文土器[8]であり、第3段階は爪形文土器群[9]であり、第4段階は多縄文土器群[10]である。

 

ちなみに、弥生時代になってからも、東日本では縄文土器の伝統を反映した弥生土器、北海道では縄文土器の直系と言える続縄文土器、沖縄諸島では貝塚時代前半の系統を引く土器が作られた。(以上wikipediaより)

縄文式土器と言えば岡本太郎によってその芸術性が語り尽くされた感があるが、私なりの意見を述べることにする。弥生式土器と比べてみると明らかだが、弥生式土器は単なる機能性のみで作られており、ただの器でしかなく、その傾向は現在まで続いている。要するにものが入ればいいという観点から最も単純な形が選ばれている。

一方縄文式土器は、火焔文様と呼ばれる取っ手から上部にかけての飾りがあり、これは単なる器ではなく、芸術性というか、遊び心の産物があったとしか考えられない。ということは、縄文人は余程生活に余裕があったのだろう。ちなみに土器は現在で言えば冷蔵庫とガスコンロを兼ねたような役割をしており、木の実や穀物や肉を保存するだけでなく、それを煮ることが出来たのである。東アジアで同時発生的に生まれたとしても縄文土器が日本にあったことは日本人として誇らしく思う。

 


『魏志倭人伝』を読む

2016年10月19日 | 八王子早稲田会

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倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国。」


 倭人は帯方郡の東南、大海の中に在る。山島に依って国邑を作っている。昔は百余国あり、漢の時、朝見する者がいた。今、交流の可能な国は三十国である。


從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
「郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、たちまち南し、たちまち東し、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。」


(帯方)郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を通り過ぎ、南へ行ったかと思うと、いきなり東へ行ったりしを繰り返しながら、その(=倭の)北岸の狗邪韓国に到着する。七千余里。


始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食べて自活す。船に乗り、南北に市糴す。」


 始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る。その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。


又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」


 また(さらに)、南に一海を渡る。千余里。名はカン海という。一大国に至る。官は、また(対海国と同じく)、ヒコウといい、副はヒドボリという。およそ三百里四方。竹、木、草むら、林が多い。三千ばかりの家がある。いくらかの田地がある。田を耕しても、やはり、住民を養うには足りないので、また(対海国と同じく)、南北に行き、商いして米を買い入れている。


又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之
「又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」


 また、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる。草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない。魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅にかかわらず、みな、水に潜ってこれを取っている。


東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
「東南陸行。五百里。伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」


 (末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸が有る。代々、王が有り、みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。


東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
「東南、奴国に至る。百里。官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有り。」

 
 (伊都国から)東南、奴国に至る。百里。官はシバコといい、副はヒドボリという。二万余戸が有る。


東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
「東行、不弥国に至る。百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」


 (奴国から)東に行き不弥国に至る。百里。官はタボといい、副官はヒドボリという。千余りの家がある。


南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
「南、投馬国に至る。水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。五万余戸ばかり。」


 (不弥国から)南、投馬国に至る。水行二十日。官はビビといい、副はビビダリという。およそ五万余戸。


南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」


 (投馬国から)南、邪馬壱(ヤバヰ)国に至る。女王の都である。水行十日、陸行ひと月。官にイシバがある。次はビバショウといい、次はビバクワシといい、次はドカテイという。およそ七万余戸。


自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
「女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。次に斯馬国有り。次に巳百支国有り。次に伊邪国有り。次都支国有り。次に弥奴国有り。次に好古都国有り。次に不呼国有り。次に姐奴国有り。次に対蘇国有り。次に蘇奴国有り。次に呼邑国有り。次に華奴蘇奴国有り。次に鬼国有り。次に為吾国有り。次に鬼奴国有り。次に邪馬国有り。次に躬臣国有り。次に巴利国有り。次に支惟国有り。次に烏奴国有り。次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。」


 (ここまでに紹介した)女王国より以北は、その戸数や距離のだいたいのところを記載出来るが、その他のかたわらの国は遠くて情報もなく、詳しく知ることは出来ない。次にシバ国が有る。次にシハクシ国がある。次にイヤ国がある。次にトシ国がある。次にミド国がある。次にカウコト国がある。次にフウコ国がある。次にシャド国がある。次にタイソ国がある。次にソド国がある。次にコイフ国がある。次にカドソド国がある。次にキ国がある。次にヰゴ国がある。次にキド国がある。次にヤバ国がある。次にキュウシン国がある。次にハリ国がある。次にシユイ国がある。次にヲド国がある。次にド国がある。ここは女王の境界の尽きる所である。


其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里
「その南、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず。郡より女王国に至る。万二千余里。」


 その(女王国の)南に狗奴(コウド、コウドゥ)国があり、男子が王になっている。その官に狗古智卑狗(コウコチヒコウ)がある。女王には属していない。郡より女王国に至るまで、万二千余里。


男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫 夏后少康之子封於會稽 斷髪文身 以避蛟龍之害 今 倭水人好沉没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾 諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差 計其道里 當在會稽東治之東(東治は東冶の転写間違いと考える)
「男子は大小無く、皆、黥面文身す。古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。後、稍(しだい)に以って飾と為る。諸国の文身は各(それぞれ)に異なり、或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。」


 男子はおとな、子供の区別無く、みな顔と体に入れ墨している。いにしえより以来、その使者が中国に来たときには、みな自ら大夫と称した。夏后(王朝)の少康の子は、会稽に領地を与えられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。今、倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた(少康の子と同様に)大魚や水鳥を追い払うためであったが、後にはしだいに飾りとなった。諸国の入れ墨はそれぞれ異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分の尊卑によっても違いがある。その(女王国までの)道のりを計算すると、まさに(中国の)会稽から東冶にかけての東にある。


其風俗不淫 男子皆露紒 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連略無縫 婦人被髪屈紒 作衣如單被 穿其中央貫頭衣之
「その風俗は淫ならず。男子は、皆、露紒し、木綿を以って頭を招(しば)る。その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うこと無し。婦人は被髪屈紒す。衣を作ること単被の如し。その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。」

 その風俗はみだらではない。男子は皆、(何もかぶらず)結った髪を露出しており、木綿で頭を縛り付けている。その着物は横幅が有り、ただ結び付けてつなげているだけで、ほとんど縫っていない。婦人はおでこを髪で覆い(=おかっぱ風)、折り曲げて結っている。上敷きのような衣をつくり、その中央に穴をあけ、そこに頭を入れて着ている。


種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同
「禾稲、紵麻を種(う)え、蚕桑す。緝績して細紵、縑、緜を出す。その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲無し。兵は矛、盾、木弓を用いる。木弓は下を短く、上を長くす。竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃。有無する所は儋耳、朱崖と同じ。

 稲やカラムシを栽培し、養蚕する。紡いで目の細かいカラムシの布やカトリ絹、絹綿を生産している。その土地には牛、馬、虎、豹、羊、カササギがいない。兵器には矛、盾、木の弓を用いる。木の弓は下が短く上が長い。竹の矢は鉄のヤジリであったり、骨のヤジリであったり。持っている物、いない物は儋耳、朱崖(=中国・海南島)と同じである。



倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也 食飲用籩豆 手食

「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。屋室有り。父母、兄弟は異所に臥息す。朱丹を以ってその身体に塗る。中国の紛を用いるが如し。食、飲には籩豆を用い、手食す。」


 倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。屋根、部屋がある。父母と兄弟は別の場所で寝たり休んだりする。赤い顔料をその体に塗るが、それは中国で粉おしろいを使うようなものである。食飲には、籩 (ヘン、竹を編んだ高坏)や豆(木をくり抜いた高坏)を用い、手づかみで食べる。


其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐
「その死には、棺有りて槨無し。土で封じ冢を作る。死に始まり、喪を停めるまで十余日。当時は肉を食せず、喪主は哭泣し、他人は歌舞、飲酒に就く。已に葬るや、家を挙げて水中に詣(いた)り澡浴す。以って練沐の如し。」

 人が死ぬと、棺に収めるが、(その外側の入れ物である)槨はない。土で封じて盛った墓を造る。死に始まり、喪を止めるまでは十余日。その間は肉を食べず、喪主は泣き叫び、他人は歌い踊って酒を飲む。埋葬が終わると一家そろって水の中に入り、洗ったり浴びたりする。それは(白い絹の喪服を着て沐浴する)中国の練沐のようなものである。


其行來渡海詣中國 恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人 名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹
「その行来、渡海し中国に詣るに、恒に一人をして、頭を梳らず、蟣蝨を去らず、衣服は垢汚し、肉を食らわず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰と為す。若し、行く者に吉善ならば、共にその生口、財物を顧す。若し、疾病が有り、暴害に遭うならば、便(すなわ)ち、これを殺さんと欲す。その持衰が謹まずと謂う。」

 その行き来し海を渡って中国にいたる際は、常に一人に、頭をくしけずらせず、シラミを取らせず、衣服をアカで汚したままにさせ、肉を食べさせず、婦人を近づけさせないで喪中の人のようにさせる。これをジサイという。もし無事に行けたなら、皆でジサイに生口や財物を対価として与えるが、もし病気になったり、危険な目にあったりすると、これを殺そうとする。そのジサイが慎まなかったというのである。


出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉
「真珠、青玉を出す。その山には丹有り。その木には枏、杼、橡、樟、楺櫪、投橿、烏號、楓香有り。その竹は篠、簳、桃支。薑、橘、椒、襄荷有り。以って滋味と為すを知らず。獮猴、黒雉有り。」


 真珠や青玉を産出する。その山には丹がある。その木はタブノキ(枏=楠)、コナラ(杼)、クロモジ(橡)、クスノキ(樟)、?(楺櫪)、?(投橿)、ヤマグワ(烏號)、フウ(楓香)がある。その竹はササ(篠)、ヤダケ(簳)、真竹?(桃支)。ショウガや橘、山椒、茗荷などがあるが、(それを使って)うまみを出すことを知らない。アカゲ猿や黒雉がいる。


其俗 擧事行來 有所云為 輒灼骨而卜 以占吉凶 先告所卜 其辭如令龜法 視火坼占兆 
「その俗、挙事行来、云為する所有れば、すなわち骨を灼いて卜し、以って吉凶を占う。先に卜する所を告げる。その辞は令亀法の如し。火坼を視て兆しを占う。


 その風俗では、何かをする時や、何処かへ行き来する時、ひっかかりがあると、すぐに骨を焼いて卜し、吉凶を占う。先に卜する目的を告げるが、その言葉は中国の占いである令亀法に似ている。火によって出来た裂け目を見て、兆しを占うのである。


其會同坐起 父子男女無別 人性嗜酒
「その会同、坐起では、父子、男女は別無し。人性は酒を嗜む。」

 その会合での立ち居振る舞いに、父子や男女の区別はない。人は酒を好む性質がある。

注…魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀
「魏略(*)いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている。」《*/「魏略」…魏の歴史を記した書、現存しない》


見大人所敬 但搏手以當跪拝 其人寿考 或百年或八九十年
「大人を見て敬する所は、ただ搏手し、以って跪拝に当てる。その人は寿考、或いは百年、或いは八、九十年。」

 大人を見て敬意を表す場合は、ただ手をたたくのみで、跪いて拝む代わりとしている。人々は長寿で或いは百歳、或いは八、九十歳の者もいる。http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

一番最後の行を見て下さい。魏志倭人伝と言えば邪馬台国論争ばかりですが、非常に長寿で現在よりも長生きだったことが分かります。おそらく、当時の人は毎晩酒を飲んで踊っていたのでしょう。つまりストレスのない時代だったわけです。医学が発達して今は長生きになったと言われていますが、それが完全に嘘だったことが分かります。