那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

山本玄峰 無門関提唱

2011年02月04日 | 書評、映像批評



どうか写真をよく見てほしい。これが山本玄峰の晩年の顔。本当に悟った人間の顔である。実に麗しい。

私はこの本を三度読んだ。、一度通読し、二度目は岩波文庫の「無門関」を参照にしながら、感動的な文句には赤ペンを入れて読み直し、3度目は、赤ペンだけを読み直した。
 約五百ページにわたる難解な本だけに、以上の読書をするのに約3ヶ月かかった。

無門関、というのは、禅宗のうち特に臨済宗・黄檗宗で使う「公案」の問題集であり、提唱というのは、その講義解説である。これは、13世紀、中国の宋時代の禅僧無門が収集したものである。
公案とは、いわばナゾナゾのようなものだ。
 以下、岩波文庫の「無門関」の口語訳をもとに、さらに徹底的に簡略化して、無門関に示されている48の公案のうち、はじめの20を示す。
 無門関は、本文と、それに対する無門和尚の感想と、詩の部分があるが、ここでは本文のみを挙げる。
固有名詞はなるべく廃する。それぞれの問答やエピソードがあるが、そのあとに「さて、この意味をなんと理解するかな?」という言葉が隠れている。
 禅の常識を知っていないと解けない公案もあるので、最低限の註を( )の中に入れることとする。

第1.ある僧が和尚に「犬にも仏性がありますか」と聞いた。和尚は「無」と答えた(註:仏教では一切の存在に仏性があると説く)

第2.ある和尚の説法のときにいつも聞いている老人がいた。その老人が和尚に言った。「実は私は仏陀の生まれる前から法を説いていましたが、仏道を完成したものは因果の支配から脱する、と説いたために、五百年の間、野狐になって現在に至りました。どうかこの身を救ってください」。和尚は「因果の支配からは逃れられない」と言ったので、野狐は狐の身から脱することができた。
 この話を僧たちの前で話したところ、弟子の一人が「彼が正しい答えを出していたら、いったい何になっていたでしょうか」と問うたので、和尚が「こっちへこい。教えてやろう」というと、その弟子はいきなり和尚の顔をぶん殴った。和尚は「ここに達磨さんがいたぞ」と喜んだ。

第3.ある和尚は、問答に対して常に指を一本立てるだけであった。その和尚のところにいる童子が、和尚の真似をして一本指を立てた。和尚はその指を切ってしまった。童子が泣きながら逃げようとすると、和尚が童子を呼び止めた。童子が振り返ってみると、和尚がすっと指を一本立てた。その瞬間に童子は悟った。

第4.ある和尚がいった。「いったい何故達磨さんには髭がないのか」(註:どの絵を見ても達磨には髭がある)

第5.ある和尚が言った。「人が木に登って、枝を口でくわえ、両手両足は使えず、口だけでぶら下がっているとしよう。そのとき、木の下に人がいて、禅とはいったい何ですが?と質問したとしたら、どうする」

第6.釈迦が説法したとき、一本の花を持ち上げ大衆の前に示した。そのとき迦葉のみが微笑んだ。そこで釈迦は、この言葉にできない法をお前に付属する、と言われた。

第7.ある僧が和尚に聞いた。「どうか尊い言葉をください」。和尚は「朝飯は食ったか?」とたずねた。僧は「食べました」と答えた。和尚は「それでは茶碗を洗っておきなさい」と言った。僧はその瞬間に悟った。

第8.ある僧が和尚に尋ねた。「ある人が百台の車を作り、しかも車の両輪も車軸も外した、といいます。彼はそれによって、どんな真理を示したのでしょうか」

第9.ある僧が和尚に聞いた「大通智勝仏は、非常に長い間座禅を続けたのに仏道を完成し得ないのは何故ですか」。和尚は答えた「そもそも彼は仏になれないからだ」

第10.ある僧が和尚に言った「私は貧乏です。なにかお恵みをください」。和尚が答えた「あんなに美味しい酒を三杯も飲んでいながら、何も飲んでおらんとはなにごとか」

第11.ある和尚がある庵主のところに行って「おい元気か」と聞いた。彼は拳を上げた。和尚は「こんな浅いところには船は泊められない」といって去っていった。そして別の庵主に「おい元気か」と聞いた。彼も拳を上げた。和尚は「なんと自由に生きていることよ」と言って頭を下げた。

第12.ある和尚は毎日自分に向かって「おい主人公」と呼びかけ、自分で「はい」と答えておられた。(註:主人公とは仏性のこと)

第13.ある和尚が食事の時間でもないのに食堂にやってきた。弟子が注意すると黙って引き上げた。この話を別の高弟に話すと、高弟は「和尚ともあろう人が」と嘆いた。それを聞いた和尚が高弟を呼び「お前は俺を馬鹿にしとるな」というと、高弟はなにやら耳打ちした。翌日の和尚の説法はいつもになく素晴らしかった。高弟は大笑いして「これで世の中は和尚に手が出せなくなったぞ」と言った。

第14.弟子たちが猫をめぐって口論しているところに和尚が来られた。和尚は猫を持ち上げて「お前たち、なにか言ってみよ。言えなければこの猫を切るぞ」と言われた。誰も答えられなかったので、和尚はその猫を両断した。高弟が戻ってきたので、和尚はこの話をした。すると高弟は履いていた草履を頭に載せて部屋から出て行った。和尚は「お前がいたらあの猫を救えたのに」と言った。

第15.ある和尚のところに僧がやってきた。和尚は「お前はどこから来たか。この夏はどこですごしたか。いつそこを出てきたか」と聞いた。僧がそれに答えると「お前を棒で60回殴りたいところだ」と言った。翌朝、僧が何故そのようなことをいわれたのか和尚に聞きただすと、和尚は「いったいお前はどこをうろついていたのだ」と言った。その瞬間、僧は悟った。

第16.ある和尚が言われた。「この世界はこれほど果てしなく広いのに、お前たちはどうして鐘が鳴るとそのように行儀よく袈裟などを身に着けるのか」

第17.ある和尚が僧を三度呼んだ。そのつど僧は「はい」と返事をした。和尚は言われた「私のせいでお前は悟れないと思っていたら、お前がもともと私に背いていたから悟れなかったのだ」

第18.ある僧が和尚に聞いた「仏とはどんなものですか」。和尚は言われた「麻三斤」(註:斤とは重さ。麻三斤は一掴みぐらいの麻である)

第19.和尚に高弟が「道とはどういうものですか」と聞いた。和尚は「平常心」と答えた。高弟が「努力すべきですか」と聞くと和尚は「むしろ努力すると逸れてしまう」と答えた。高弟が「何もしないなら、何故それが道といえるのですか」と尋ねると、和尚は「道とは知る、知らないを超えている。もし本当にこだわりなく生きていたら、大空のようにカラリとしたものだ。どうしてああだこうだと詮索することがあろうか」と言った。高弟はいっぺんに悟った。

第20.ある和尚が言った「修行で優れた力を発揮できる人が、なぜ座禅から立たないのか。どうして舌を使って話さないのか」


以上、48まで書くのは大変だから一部を要約して書いた。興味をもたれた方は、無門関の解説本は多数あるので読んでいただきたい。
 一部、なんとなくわかる公案もあるが、ほとんどは理解しがたい。普通の合理的精神では解けない話ばかりである。これらの公案は、一つを解くのに人によっては数年、あるいは10年以上もかけると聞く。
そしてすべて説き終え、悟りが徹底したと認可されると「師家」と呼ばれるようになる。
 臨済宗と黄檗宗ではこの公案を用いるが、曹洞宗では座禅をもっぱらにして公案はほとんど使わない。
いずれにしても見性(悟り)にいたるための手段である。
 ちなみに、提唱(解説)だから、公案の答えが書いてあるかというと、この本にはほとんど解答は書かれていない。解答を書いた本もあるが(例えば安谷白雲著の「禅の真髄 無門関」(春秋社)。この本は非常に優れているので一読をお勧めする)、山本師は、語句の解釈をしてさまざまなエピソードを紹介するのみだ。決して解答は教えない。禅宗ではこれらの解答は、独参入室して、師家に何度もダメ出しされ、やっと許されるものらしい。そしてそのときに語った内容は決して口外してはならない、という規則がある。
 私の興味はこれらの公案の答えではない。
山本師の訓話が実に面白いのである。
 私は、背骨を震わせながらこの本を読んだ。古本屋で1500円で買った本だが、この本は人生を変えてくれるどえらい本だと実感した。

禅の目的は見性(悟り)を繰り返し、徹底大悟に至ることである。さらに言えば、その悟りすら忘れて自由自在の境地になることである。
 悟るとどうなるか?山本師が話しているなかで、私が記憶している限りを説明する。
まず、両脇腹がビリビリふるえて、玉の汗がトロリトロリと流れ出る。その状態が3日続く(人によっては一週間、あるいは一ヶ月続く)
そして「天地と我と同根、万物と我と同一」ということが(実感)としてわかる。釈迦も蛆虫も、全宇宙も素粒子もすべてが、キラキラと輝く仏性を持っていることを(実感)する。
 また、天眼通、天耳通、宿命通などの超能力が備わる。言い換えれば、足音を聞いただけでその人の心の内容がわかるし、鳥の声を聞けば鳥の気持ちが分かるようになる。
 人によっては自分の前世をはっきりと思い出す。また来世のことも、はっきりと自分の思ったところに生まれるという確信を得られる。
 これらの「神秘体験」がもとで禅宗は成り立っている。この体験に裏打ちされていない本はどれほどの学者が書いた本でも面白くない。
 例えば、有名な鈴木大拙の「禅とは何か」(角川ソフィア文庫)や、「十牛図 自己の現象学」(上田閑照・柳田聖山、筑摩書房)などは、観念的でちっとも面白くなかった。学者の書いたものはダメである。これらの解説書を読むぐらいなら、徹底的な唯心哲学の理論書「大乗起信論 仏典講座22」(平川彰、大蔵出版)と首っ引きで取り組むか、それとも非常によくできたハウツー本「図解 禅のすべて」(花山勝友監修、光文社・知恵の森文庫)を読んだほうがずっといい。
 
さて、この本を読んで、私は、どうしても見性したいものだ、と思い始めた。どうせ人間として生まれたからには悟った人生を送りたい、煩悩に悩まされ右往左往する人生よりも、ガラーっと悟ってみたい。
 そう思いながら歩いていたら、自宅の近くに禅寺があり、土曜日には座禅会を開いている、と書いてあった。なんとなく宿命じみたものを感じた。
 さっそく、土曜に門を叩いてみた。参加者は5名程度。座禅を組むのは辛いものだと思い込んでいたが、集中力を保つために、普通、座禅は40~50分で終わる。そして、呼吸を数えて(数息観という)、心を真っ白にして座っていたら、あっという間に終わる。(この数息観が非常に難しい。なるべくゆっくりと呼吸をするのがいいとされる。山本玄峰師ぐらいの達人になると3分に一度の呼吸で済むという)
 座禅の後は、法話や質問で、最後に、ものすごく美味しい手打ちウドンを振舞われる。
なんのことはない、実に楽しい時間なのだ。
 初めての座禅体験は、本当に心がスーッとして気持ちがいい、温泉に入って涼しい空気に当たったときのような感覚だった。

それで、週に一度の座禅ではもったいない、毎日やろうと決心して、家でも座禅を組むことにした。
座布団を折って座ってもいいのだが、仏具屋にいって座布という座禅専用の座布団を4千5百円出して買ってきた。高いなあ、女房に作らせたら原材料は千円で済む、と思ったが、これで悟れるなら、と思い奮発した。
 そういうわけで、週に1度は寺で、残りの六日は家で座禅を組む生活が始まって、今日で10日目になる。
かなりの心境の変化があった。まず、私の鬱病の症状で一番苦しんでいた「原稿を書く前に逃避行動をする」癖がなくなった。まず、心が空白になるから苦痛が消えるし、体は「この世の借り物」という気が起きるから、正しいと思う方向へスッスと持っていける。これは大いに助かった。おかげでこの10日で40枚の論文を書いて恩師にメールで見せたら、「大変面白く読んだ」と、普段は絶対に褒めない恩師に生まれて初めて褒めてもらった。
 次に、これは、いいことでもあり、悪いことでもあるのだが、自分の心境が高くなったために、キャバクラ嬢や他人が「動物のように見える」という現象が起こってきた。
 キャバクラに行くと、ホステスたちや客たちが、鳥獣戯画のように動物に見えるのである。女はたいてい鳥のような顔をしている、男は堕落したタヌキのような顔をしている。気持ち悪くて仕方がない。ホステスと話していても、馬鹿馬鹿しくて喋るのも嫌になる。英語に夢中になっているホステスに「まず日本文化を勉強しなさい。馬鹿が英語が喋れるようになっても、英語の喋れる馬鹿でしかないよ」と本当のことを言ってしまって、嫌な沈黙が続いたりした。とにかく、馬鹿馬鹿しくて、話題がなくなるのだ。
 それから、知り合いの女でNPOやらフェミニズムに打ち込んでいるオバサンがたまにメールをくれるのだが、そのメールを読むと心境の低さにげんなりしてしまう。文章の奥に潜む相手の心に、ブリキの洗面器に腐った水がたまっていて、ボウフラがその中に湧いている、というイメージが浮かぶのである。
 そうそう、芸能人なども見ていられない。叶姉妹はもちろん、お笑い芸人やらタレントたちが「人間の顔をした亡者」に見えるのだ。田島陽子なんて女は絶対に悟れないだろうね。小泉首相も竹中も終わっている。
 だから、この10日は、ほとんどキャバクラにも行かず、テレビも見ず、原稿執筆のための研究と、禅関係の本を読むことに集中している。
 もっとも、こういう心境はいいようであり、実は、悟りの世界から見ると悪いのである。というのは、我は清く、人は穢れている、という差別観が生じているからで、本当に悟れば、一切衆生悉有仏性(どんな奴でも仏様)という心境になるのだ。だから、私の現在の心境は、昨日までの私よりはよほど上昇したが、悟りの立場から言えば、まだまだ低いものである。地獄に入ったら地獄の中で遊戯三昧、という心境でなければならないらしい。(でも、やっぱり馬鹿は馬鹿だね、と思うのだが・・・・・・)

それから、非常に重要な夢を一晩に二つ見た。一つは、私が池田大作になって講演している夢である。私は池田大作は国賊、仏敵だと思っていて、いつかは首を切り落としたいと祈っているほどに嫌いな人間だ。この夢はユングの言うところの究極の「影」の夢である。あの池田と調和したのだから、無意識の領域においては自己実現は完了したのではないか、と思う。
 次いで、家が新築になり、庭の池の水が泥水から清流に一挙に変化している夢を見た。さらに、トイレで小便をしようとすると、トイレが消えて布団の上や居間に小便が流れてしまう。その度に小便を止めてトイレを探すという夢である。これまでの夢解釈の経験から、私の夢の中では、家は心の象徴だ。これまで無数の家の夢を見たが、いつも古く、ガタが来ていて、トイレの床などは今にも踏み抜きそうに腐っていた。また家の地下に秘密のクラブがあって、そこには酒をついでくれる不思議な顔をした女性たちがいる・・・・など、私の家は壊れかけていて、隠微だった。今度の夢は、生まれて初めて見た新築の頑丈な家である。心が生まれ変わったのだろう。さらに、トイレがない、というのも面白い。あまりに清浄な心になると、小便=性的排泄もできなくなるよ、家の中にトイレは残しておきなさい、とセルフがアドバイスしているのだろう。私はそう解釈した。いずれにしても劇的な変化である。

そういうわけで、この本は私の人生を変えた一冊である。
本当に全力を尽くして、私は毎日座禅を組んでいる。いつか「見性体験記」が書けるようになりたいものだ。
心に悩みのある人、死ぬのが怖い人、大きな目標を達成したい人には是非読んでもらいたい。

最後に、山田耕雲禅師が悟ったときの様子を自身が書いている文章(手紙)があるので、それを引用してこの書評を閉じる。見性とは以下のような劇的神秘体験を伴うもののようである。

今日、小生自身の体験を御報告することになろうとは思いませんでした。 貴山へ伺った翌二十四日、ちょうど所用で東京へ出て来た家内と帰りが一緒になりましたので、夕方五時頃二人で横須賀行の電車に乗りました。小生は読みかけの『損翁禅話』という書物を開きました。御承知かも知れませんが、損翁というお方は元禄時代、仙台に居られた曹洞宗の尊宿なる由。

  丁度大船より少し手前のあたりで書中「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり」(付記『正法眼蔵即心是仏』の巻にありと)の句に逢着致しました。この文字は決して初めてお目にかかった訳ではないのですが、何かしらハッと固唾を呑む思いでした。謂えらく「自分も禅に参じて七、八年。ようやくこの一句がわかるようになったか」と。そう思うと急に涙のこみ上げてくるのをおさえることが出来ません。人中なのできまりがわるく、ソッとハンカチで眼を拭って居りました。鎌倉へ着き、裏道を帰る途々、何となくすっきりした気分です。

「今日はなんだか大変すがすがしいよ。」
「それはようございましたね。」
「何となく、僕はえらくなれそうな気がする。」と二度ほど同じようなことを申しますと、
「困りますわね、お父様ばかりえらくおなりになって、距離が出来すぎて。」
「いや、大丈夫だ、どんなにえらくなっても心はいつもすぐ側に居るんだから」と、
子供みたいなことを言い合いながら家へ着いたのですが、その間幾度となく、  
「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」と、
繰り返し繰り返し心でとなえていたことを覚えています。

 丁度その日は、弟夫婦が泊まって居りましたので、一緒にお茶などを飲みながら、龍沢寺へお詣りした話、そこから黒衣姿のアメリカの青年が居て、只見性のみを求めて両度渡日したその物語を、貴兄から伺ったまま話してきかせました。お風呂へ入って寝に就いたのは十二時近かったと思います。

  夜中にフッと眼がさめました。初めは何か意識がはっきりしないようでしたが、フト、 「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」 の句が浮かんできました。それをもう一度繰り返したとたん、一瞬電撃を受けたようなピリッとしたものを全身に感じたと思うが否や、天地崩壊す。間髪を入れず怒涛の如くワッと湧き上がって来た大歓喜、大津波のように次から次と湧きあがり押し寄せる歓喜の嵐。あとは只口いっぱい、声いっぱいに哄笑する。哄笑の連続。  

 ワッハッハッ ワッハッハッ  
 ワッハッハッハッハッハッハッ

なあんにも理屈はないんだ。なあんにも理屈はないんだ。とこれも二度ほど叫びました。

 ワッハッハッ ワッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッ

虚空が真二つに割れて大口を開き、ワッハッハッハッハッ ワッハッハッハッハッ ワッハッハッハッハッと、腹一っぱいに笑ってるいるのです。家の者の話では人間の笑い声ではなかった由。

  最初は寝ていたのですが、途中から起き上がるなり、両腕の折れるほど力いっぱい布団をたたきつけ、たたきつけ、両膝で床を破れるばかりに踏みならしながら、  

 ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッハッ

果ては立ち上がって天にのけぞり、地に伏し、   

 ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッハッ です。

  側には妻と末の男の子が寝て居りましたが、この青天の霹靂にビックリギョウ天し、妻は私の口を両手で押えつけながら、「どうなさいました。どうなさいました。」と連呼したそうです。子供は気違いになったと思ってゾッーとしたそうです。妻の呼ぶ声はたしかに聞いたように思いますが、口を押さえられたことは全く記憶なし。

   「見性したんだ。見性したんだ。ああ、仏祖我をあざむかず。」

と叫んだのはしばらくたってからでしょう。その間どの位の時間だったでしょうか。自分では二十分位の感じがしているのですが、妻の話では、二、三分位だろうと申します。 やや落ち着きました。何事かと驚いて下りてきた二階の人達に、どうもお騒がせしてと言う位のゆとりも出て来ました。

   ややあって私は、貴兄より頂いたあの観音様の御写真と、原田老師の御写真と無我相山の老師から頂いた金剛経と安谷白雲老師の御著書(御写真がないので)の前にお線香を立てました。そして只無心に礼拝致しました。それからそのまま端坐致しました。線香一本、二、三分位の感じでした。

   その後は全身の皮膚がピリピリ動くような感じがいつまでも続き、実はこうして、ペンを操っている今でも、その余震がつづいています。  

   朝になると私は、練馬関町の道場に安谷老師をお訪ねしました。うかがってみますと、明日から真光寺に接心があるため、一足違いでお出かけになった後でしたので、私はまた、そのお寺のある埼玉県の小川町まで足を延ばしました。

   入室をお願いしまして、天地崩壊の一瞬を述べんとするに至って

   「うれしくてうれしくて。」  

  と言ったままこぶしをあげて膝を連打し、身もだえしながら大声に慟哭致しました。(付記、五日を経た今、この時打った膝が内出血で大きな黒いあざとなっています。子供が見て気持ちが悪いと申します)止めようと思っても止まらないのです。一所懸命体験の有り様をお話ししようとするのですが、口がもつれて殆ど言葉にならず、ついには老師の膝に額を伏せて泣きむせびました。老師は静かに背をなでて下さいました。そして

  「ウンそれでよい、それでよい。そこまで痛快にいく事は珍しいことなのだ。これを心空及第という。よかった。よかった。」

と言われました。

   小生はただ、

「お蔭様で、お蔭様で。」

と言いながら、またうれし泣きに泣きむせびました。そしてしっかりやらなければ、しっかりやらねばと繰り返しつつ申しました。  

  その後で諄々と御懇篤な御注意と御垂示がありました。そして最後に平伏した私の耳許で、お目出とうございました、という静かな老師のお言葉を聞きました。

  暗い道を老師が懐中電灯を持って山のふもとまで送って下さいました。

   それが丁度昨日の今頃です。それから一昼夜たちましたが、今もって余震絶えず、からだ中がピリピリ動いています。独りで笑ったり泣いたりしながら一日を過ごしました。