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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(58) 「もっと」「ノット」「ちょっと」欧州議会(毎日新聞・時代の風090607)

2009年06月07日 | 浜矩子語録
妖艶なエコノミスト・浜矩子は6月7日付毎日新聞・時代の風欄に「もっと、ノット、ちょっと――中途半端な欧州議会」を寄せた。
EUの、中途半端さの中に見え隠れする「自分さえよければ病」に対して、「旗幟を鮮明にせよ!」と諫言している。

以下、寄稿文から抽出(写真↑も記事から転載:shibuya tokyo)
~・~・~ 世の中で最も注目されない選挙の一つが、目下、投票の最終局面を迎えつつある。その名は欧州議会選挙だ。(欧州議会は)包括的に立法権を集約した本格派の議会とはいえない。中途半端な立法府だ。
中途半端でどうもよく解らない。存在感が薄い。だからこそ、世の中の関心も低い。選挙は5年ごとに行われるが、過去2回の投票率はいずれも40%台だった。
議会選挙といえば、民主主義の主役である市民たちにとって、その民主主義的権利を履行する大舞台だ。その花のステージこのように不人気では、EUの将来はおぼつかない。
EUは、その立法府的なるものが本当の立法府として立派に機能するよう、なぜ、もっと努力しないのか。

おのずとわく疑問なのだが、EUにとって、実はこれが一番答えに窮する問いかけだ。なぜなら、万事における中途半端さの中にこそ、EUのこれまでの存続の秘訣があったからである。
EUとしての超国家的な求心力を何とか高めようとしながら、実際的には、主要国家間の連携組織としての色彩がいまなお濃厚だ。要は中途半端さを隠れ蓑にしているのである。

「もっとEU」を掲げながら、その実は「ノット(not)EU」なのである。あるいは「ちょっとEU」に止まっている。そうであればこそ、人々はEUの存在を容認している。そんな力学が統合欧州の水面下で働いている。
この点を浮き彫りにしたのが、ほかならぬリーマン・ショック後の金融大激震だ。

危機的状況に当面して、EU各国の通貨金融当局は、完全に「ノットEU」的振る舞いに徹した。それぞれが自国の金融機関と自国の預金者のことだけを考えて、早い者勝ちの行動に走った。金融市場の統合を進め、単一通貨の導入を推進しながら、金融行政と金融監督は各国の権限下に残されている。この中途半端さが、いざという時に「もっとEU」路線の足をすくった。
「もっとEU」なのか、「ノットEU」なのか。やはり旗幟鮮明にする勇気が必要だ。
連合国家EUなのか、国家連合EUなのか。それを突き詰めずにフワフワと緩やかな求心力を保っていきたい。それもわかる。だが、それでは、最終的に民主主義の主役たちに大いなる不義理をすることになる。 ~・~・~
※注記:欧州議会とは、EU(欧州連合)の立法府的ものである。古くは、欧州統合の歩みの出発点となったECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の共同総会だった。それが、1962年に欧州議会に解明された。(本文より)

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