日米地位協定の不利といえば、NHK大河ドラマ『篤姫』の時代から始まる。1853年、ペリー提督が浦賀に入り、黒い軍艦の錨を降ろした日からの因縁である。
3年後、日米和親条約を締結、引き続き諸外国と条約を結ぶが、特に米英との条約が地位協定において不平等であることを、日本国及びその国民が、身に染みて実感したのは、1886年に起きた、ノルマントン号事件の悲劇であった。
そして、1951年、日米安保条約が締結されるが、これも米国本位のものであり、1960年に改定され、ようやく現状のものに近くなったのである。
さて、2月25日のTV朝日の最終コーナーは、沖縄基地米軍人の少女暴行事件に絡んで、日米地位協定の問題だった。
(以下、敬称略)
浜田幸一
「本来人間を一番尊ばなければならない、人間の自由を一番大事にしなければならないというアメリカ、その国の人間が、自分の支配している国で、虐待行為などがあった場合に、意の一番に自分たちで捕まえて、日本に引き渡すべきだ。」
原口一博・・・・・相槌
高市早苗
「PKOで、自衛隊が海外に派遣されて、万一不祥事を犯した場合には、その国の法律でその国で裁判を受けるのではなく、日本は自国民保護ということで、それを拒否している。」
三宅久之
「今回の事件の根源は、日米安保条約の『片務協定』だし、日本は集団的自衛権を持たない。だけどね、私も地位協定は変えたほうがいいと思うけど、そういうことを要求していくのは大事だけれども、急場に間に合わない訳ですよね。彼ら(米軍人)がいて沖縄住民がいる。やっぱり自衛措置を講じてもらいたいんですよ。
ビートたけし
「三宅さんの言う、危険があるということを自覚するということで、日本も日米安保の考え直しを、日本もそろそろ国民を挙げて考えなければならないんじゃないの?やっぱり(アメリカに)頼っているところがあって、触れないようにしていたんだから。ちょこちょこ出るたびに言うけれども、以外に国民投票的な、大きなあれでやらないと。責任の所在という言葉がよくあって、各自が責任を負うということがあって、それが、意外に責任の押し付け合いになっているという可能性もあって、もっと潔い(いさぎよい)人たち、というふうにしなければいけないと思う。
3年後、日米和親条約を締結、引き続き諸外国と条約を結ぶが、特に米英との条約が地位協定において不平等であることを、日本国及びその国民が、身に染みて実感したのは、1886年に起きた、ノルマントン号事件の悲劇であった。
そして、1951年、日米安保条約が締結されるが、これも米国本位のものであり、1960年に改定され、ようやく現状のものに近くなったのである。
さて、2月25日のTV朝日の最終コーナーは、沖縄基地米軍人の少女暴行事件に絡んで、日米地位協定の問題だった。
(以下、敬称略)
浜田幸一
「本来人間を一番尊ばなければならない、人間の自由を一番大事にしなければならないというアメリカ、その国の人間が、自分の支配している国で、虐待行為などがあった場合に、意の一番に自分たちで捕まえて、日本に引き渡すべきだ。」
原口一博・・・・・相槌
高市早苗
「PKOで、自衛隊が海外に派遣されて、万一不祥事を犯した場合には、その国の法律でその国で裁判を受けるのではなく、日本は自国民保護ということで、それを拒否している。」
三宅久之
「今回の事件の根源は、日米安保条約の『片務協定』だし、日本は集団的自衛権を持たない。だけどね、私も地位協定は変えたほうがいいと思うけど、そういうことを要求していくのは大事だけれども、急場に間に合わない訳ですよね。彼ら(米軍人)がいて沖縄住民がいる。やっぱり自衛措置を講じてもらいたいんですよ。
ビートたけし
「三宅さんの言う、危険があるということを自覚するということで、日本も日米安保の考え直しを、日本もそろそろ国民を挙げて考えなければならないんじゃないの?やっぱり(アメリカに)頼っているところがあって、触れないようにしていたんだから。ちょこちょこ出るたびに言うけれども、以外に国民投票的な、大きなあれでやらないと。責任の所在という言葉がよくあって、各自が責任を負うということがあって、それが、意外に責任の押し付け合いになっているという可能性もあって、もっと潔い(いさぎよい)人たち、というふうにしなければいけないと思う。
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