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黛信彦の時事ブログ

「私の母は夜も昼も仕事をしていた・・・」橋下徹知事

2008年07月29日 | 政治・政局
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7月9日大阪府議会本会議一般質問で女性府議と橋下徹知事の間で次のやり取りがあった。
質疑「知事は小さいときに絵本を読んでもらったことはありましたか」
答弁「私の母は夜も昼も仕事をしていたので、読んでもらったことはありません」
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女性府議は、吹田市の「国際児童文学館」廃止の是非について橋下知事を責めたのであった。
しかし、槁本知事の答弁は彼女の胸に暖かく響いたことであろう。

29日付産経新聞「橋下徹研究」は3日目、橋下少年が東京都渋谷区から大阪府吹田市に引越したところから始まっている。又、槁本知事の母親についても詳しく記述がある。

私は28日、橋下少年が母と小学4年生まで暮らしたという渋谷区幡ヶ谷に行ってみた。

新宿から京王新線で2つ目、幡ヶ谷駅と甲州街道を挟んだ斜め向いから商店街が始まる。水道道路までを“6号通り商店街”と呼び、その先が“6号坂商店街”になることがあとでわかる。

6号通り商店街中程の果物屋に聞いてみた。「このあたりに質屋さんはありますか?」
主人が怪訝そうな顔をするので、産経新聞を取り出し「大阪の橋下知事が少年の頃、そのあたりに住んでいたらしい」と言うと、槁本知事と同年輩の美人おかみが出てきて「そうらしいわね。でも学区が違うので、水道通りを渡って聞いてみたらいい」と教えてくれた。

6号坂商店街に入り、菓子屋のおばさんに聞くと質屋はすぐにわかった。
右手に電気屋があって、向かいの花屋の路地を入るとそれはあった。その3階で橋下少年は育った。
路地に面して2階に上がる狭く急な階段があって、3階はその奥から上がるような構造になっている。

その佇まいから、裕福でなかった橋下少年の生活が偲ばれる。しかしそれは又、愛情深い母親が貧しくても厳しく子育てした様子も窺わせる。

私は商店街を後にした。
水道通りの角の小公園で、おばあさんが2人夕涼みをしている。
橋下少年は、近所でも大いに可愛がられたという。
おばあさん達に聞けば、そのこともわかったかも知れないが、目頭を熱くした私は目礼してその場を去った。
午後9時、あの果物屋もシャッターを下ろしていた。


自民党総務会は、道州制導入を次期衆院選のマニフェストに反映させる方針と決めた。
しかし、地方再生は構造の変更で解決する問題ではない。
橋下徹・大阪府知事のように、経世を財民をもってする心構えがあって初めて叶うのである。
中央政府はなおさらのことだ。
15-17年に道州制導入を 自民党が第3次中間報告(共同通信) - goo ニュース

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