妖艶なエコノミスト・浜矩子は2日、青山学院大学・青山キャンパスに立った。
青学設立135周年・経済学部設立60周年・同窓会設立10周年記念事業の公開講演会に招かれたのだ。演題は「グローバル恐慌をどう生き抜くか」副題は「世界と日本のこれからのシナリオ」で、以下はその語録第1節である。
~・~・~
グローバル恐慌をどう生き抜くか?
そのための、世界と日本のこれからのシナリオにタイトルをつけるとすれば、「新たな夜明けか?永遠の暗闇か?」ということになります。
まさにこれから先が、新たな夜明けに向かって行く歩みになるのか?永遠の暗闇に突入する展開になってしまうのか?ということを規定する要因が、先ほど申し上げた「3つのどこまで」ということになるのです。
~・~・~ その第一番目は「自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?」でございます。
●自分さえよければ病
自分さえよければ病は何者だろうか? 私が思いますところ、自分さえよければ病というやつは、新型インフルエンザよりもはるかにたちが悪い、毒性が強く、感染力の強い流行病だと言えます。
そして、この病気は誰が罹るかによって発症形態は様々でございます。
金融機関が罹れば、貸し渋り、貸しはがし、現金の囲い込みということになります。
製造業がこの病に罹ると、その症状は派遣切り、下請切り、そして大量解雇という格好で(症状が)出てくることになります。
我が銀行さえ存続できればいいのだ、我が社さえ生き残ればいい、自分さえよければ良い、という論理が出てくるのでございます。
ただし、この病気の厄介なところは、
個別金融機関に注目する限り、政策がどうなるかわからない状況の中で、貸出審査を厳しくする、回収できる債権はなるべく早く回収しておく、現金を大事に大事にするという態度は、至って責任ある経営態度、金融機関として節度ある態度であるといえます。いい加減なことをやってしまって金融機関が倒産するようなことになれば、世間に多大な迷惑をかけるわけです。貸付先にも預金者に対しても追い打ちをかけるわけですから、個別金融機関の対応として見る限り、その慎重さ自体を非難するわけにはいかない。
しかしながら、個別的には責めることができない行動を、すべての金融機関がとったならば、金融市場に金が出てこない、金が回らないから経済活動がうまく動かない。結果として経済活動がショック死してしまう、不合理な怖い状況がでてきてしまうのでございます。
メーカーさんでも同様でございます。個別企業を見る限り、こういう状況では派遣切りせざるを得ない。泣く泣く生産を縮減しなければいけませんから、派遣の首を切らなければならないし、下請けに対する発注だって少なくなっていく、なんとかコストを削減し、生産調整をして、この場面を生き長らえていく方向で個別企業が展開していくのは当たり前、これをやめろというわけにはいかない。
しかしながら、個別的にみれば効率的な行動をすべてのメーカーがとることになれば、経済活動がこれまたショック死して、巷には失業者が溢れます。失業した人たちは物を買えませんから、せっかく生産コストを抑え価格を抑えても、物を買う人がいなくなる。
やっぱり、経済活動は行き詰まってしまう。
このように「一人にとっていいことは全員にとって良いことだとは限らない」という厄介な側面を持っているのが、自分さえ良ければ病なのでございます。
こういう現象を、世に「合成の誤謬」というふうに言ったりします。
一人一人の合理的な選択を皆がやると、みんなが破滅の道を歩んでしまう。
●3つの愛国主義
さてさて、自分さえ良ければ病に、国々が感染するとどうなるか?
結果的に出てくる症状は「保護主義」ということで、物が外から入ってこない、「我が国さえ良ければ症候群」ございます。
今の地球経済を見渡せばちょっとした「愛国づくし」とでもいうべき状況が見られます。その筆頭は愛国消費、そして、それをいち早く打ち出したのがバイアメリカン。
オバマ大統領は、輝かしい若きヒーロー、21世紀のために出現した雰囲気のある大統領ですが、そのオバマさんが初仕事のように打ち出したのが「バイアメリカン」でしたから、残念なことでございます。
グリーンニューディール政策などの大型の経済対策の予算を使って行う公共事業に対しては、例えば鉄鋼などがそうですが、外国のものを使わないように、まさに愛国消費でございます。
同じようなことはヨーロッパでもやっています。スペインのサバテーロ首相は国民に対して愛国消費を呼び掛けています。フランスも然りでございます。
愛国主義スタイルは国々が保護主義に走るとすぐさま必ず出てくることですが、今回は、加えてあと2つ、問題の多い愛国主義が出てきております。
まず、愛国金融でございます。
今回の問題への対応の一環として各国で金融機関に公的資金を投入して、それを元手に貸し渋りをやめて貸し出しを増やしてくださいねというわけですが、同時に言われていることは、「我が国の人々に、我が国の企業にお金を貸してくださいね」「外国企業に、外国人に貸すんじゃありませんよ」というものなのです。こらがまさに愛国金融といわれるものです。
そして3番目が愛国雇用ということでございます。
「外国人を雇う余裕があるのだったら、自国民を優先して雇ってくださいよ」ということでございます。しかしながら、(世界で)皆が外国人を締め出すようになれば、それこそお互いがお互いの首を絞めあうということになるわけですが、実体として、例えば、イギリスで「イギリスの職場はイギリス人のために」という結構露骨な愛国雇用を求める声が上がっているのです。
そういうことをしないのがイギリス人の良さだったはずですが、ここに至って、そのイギリスさえそういうことをする。
かくして、愛国消費(物)・愛国金融(カネ)・愛国雇用(人)という、厳しい症状が出てしまっているのでございます。
「人・物・カネが世界を自由に動き回る、国境に制約されず、人・物・カネが地球を経巡って行くことで経済活動がかつてなく豊かに花開く」のがグローバル時代の特徴だと言われたわけでございますが、グローバル時代の3大主役である人・物・カネのいずれにさえも、自分さえよければ病に伴う愛国という症状が出てしまっている・・・・・
これがどこまで進むのか、たいへん気がかりだということをお伝えしたい。
自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?というテーマでございます。~・~・~
以下、次節
(3つのどこまで)
第一節 (60) 自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?(090702、青学-1)
第二節 (61) オバマはどこまで不本意男化するか?(090702、青学-2)
第三節 (62) 元の木阿弥化はどこまで進むか(090702、青学-3)
第四節 (63) 地球経済開けゴマ 魔法の言葉(090702、青学-4)
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青学設立135周年・経済学部設立60周年・同窓会設立10周年記念事業の公開講演会に招かれたのだ。演題は「グローバル恐慌をどう生き抜くか」副題は「世界と日本のこれからのシナリオ」で、以下はその語録第1節である。
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グローバル恐慌をどう生き抜くか?
そのための、世界と日本のこれからのシナリオにタイトルをつけるとすれば、「新たな夜明けか?永遠の暗闇か?」ということになります。
まさにこれから先が、新たな夜明けに向かって行く歩みになるのか?永遠の暗闇に突入する展開になってしまうのか?ということを規定する要因が、先ほど申し上げた「3つのどこまで」ということになるのです。
~・~・~ その第一番目は「自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?」でございます。
●自分さえよければ病
自分さえよければ病は何者だろうか? 私が思いますところ、自分さえよければ病というやつは、新型インフルエンザよりもはるかにたちが悪い、毒性が強く、感染力の強い流行病だと言えます。
そして、この病気は誰が罹るかによって発症形態は様々でございます。
金融機関が罹れば、貸し渋り、貸しはがし、現金の囲い込みということになります。
製造業がこの病に罹ると、その症状は派遣切り、下請切り、そして大量解雇という格好で(症状が)出てくることになります。
我が銀行さえ存続できればいいのだ、我が社さえ生き残ればいい、自分さえよければ良い、という論理が出てくるのでございます。
ただし、この病気の厄介なところは、
個別金融機関に注目する限り、政策がどうなるかわからない状況の中で、貸出審査を厳しくする、回収できる債権はなるべく早く回収しておく、現金を大事に大事にするという態度は、至って責任ある経営態度、金融機関として節度ある態度であるといえます。いい加減なことをやってしまって金融機関が倒産するようなことになれば、世間に多大な迷惑をかけるわけです。貸付先にも預金者に対しても追い打ちをかけるわけですから、個別金融機関の対応として見る限り、その慎重さ自体を非難するわけにはいかない。
しかしながら、個別的には責めることができない行動を、すべての金融機関がとったならば、金融市場に金が出てこない、金が回らないから経済活動がうまく動かない。結果として経済活動がショック死してしまう、不合理な怖い状況がでてきてしまうのでございます。
メーカーさんでも同様でございます。個別企業を見る限り、こういう状況では派遣切りせざるを得ない。泣く泣く生産を縮減しなければいけませんから、派遣の首を切らなければならないし、下請けに対する発注だって少なくなっていく、なんとかコストを削減し、生産調整をして、この場面を生き長らえていく方向で個別企業が展開していくのは当たり前、これをやめろというわけにはいかない。
しかしながら、個別的にみれば効率的な行動をすべてのメーカーがとることになれば、経済活動がこれまたショック死して、巷には失業者が溢れます。失業した人たちは物を買えませんから、せっかく生産コストを抑え価格を抑えても、物を買う人がいなくなる。
やっぱり、経済活動は行き詰まってしまう。
このように「一人にとっていいことは全員にとって良いことだとは限らない」という厄介な側面を持っているのが、自分さえ良ければ病なのでございます。
こういう現象を、世に「合成の誤謬」というふうに言ったりします。
一人一人の合理的な選択を皆がやると、みんなが破滅の道を歩んでしまう。
●3つの愛国主義
さてさて、自分さえ良ければ病に、国々が感染するとどうなるか?
結果的に出てくる症状は「保護主義」ということで、物が外から入ってこない、「我が国さえ良ければ症候群」ございます。
今の地球経済を見渡せばちょっとした「愛国づくし」とでもいうべき状況が見られます。その筆頭は愛国消費、そして、それをいち早く打ち出したのがバイアメリカン。
オバマ大統領は、輝かしい若きヒーロー、21世紀のために出現した雰囲気のある大統領ですが、そのオバマさんが初仕事のように打ち出したのが「バイアメリカン」でしたから、残念なことでございます。
グリーンニューディール政策などの大型の経済対策の予算を使って行う公共事業に対しては、例えば鉄鋼などがそうですが、外国のものを使わないように、まさに愛国消費でございます。
同じようなことはヨーロッパでもやっています。スペインのサバテーロ首相は国民に対して愛国消費を呼び掛けています。フランスも然りでございます。
愛国主義スタイルは国々が保護主義に走るとすぐさま必ず出てくることですが、今回は、加えてあと2つ、問題の多い愛国主義が出てきております。
まず、愛国金融でございます。
今回の問題への対応の一環として各国で金融機関に公的資金を投入して、それを元手に貸し渋りをやめて貸し出しを増やしてくださいねというわけですが、同時に言われていることは、「我が国の人々に、我が国の企業にお金を貸してくださいね」「外国企業に、外国人に貸すんじゃありませんよ」というものなのです。こらがまさに愛国金融といわれるものです。
そして3番目が愛国雇用ということでございます。
「外国人を雇う余裕があるのだったら、自国民を優先して雇ってくださいよ」ということでございます。しかしながら、(世界で)皆が外国人を締め出すようになれば、それこそお互いがお互いの首を絞めあうということになるわけですが、実体として、例えば、イギリスで「イギリスの職場はイギリス人のために」という結構露骨な愛国雇用を求める声が上がっているのです。
そういうことをしないのがイギリス人の良さだったはずですが、ここに至って、そのイギリスさえそういうことをする。
かくして、愛国消費(物)・愛国金融(カネ)・愛国雇用(人)という、厳しい症状が出てしまっているのでございます。
「人・物・カネが世界を自由に動き回る、国境に制約されず、人・物・カネが地球を経巡って行くことで経済活動がかつてなく豊かに花開く」のがグローバル時代の特徴だと言われたわけでございますが、グローバル時代の3大主役である人・物・カネのいずれにさえも、自分さえよければ病に伴う愛国という症状が出てしまっている・・・・・
これがどこまで進むのか、たいへん気がかりだということをお伝えしたい。
自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?というテーマでございます。~・~・~
以下、次節
(3つのどこまで)
第一節 (60) 自分さえよければ病はどこまで蔓延するか?(090702、青学-1)
第二節 (61) オバマはどこまで不本意男化するか?(090702、青学-2)
第三節 (62) 元の木阿弥化はどこまで進むか(090702、青学-3)
第四節 (63) 地球経済開けゴマ 魔法の言葉(090702、青学-4)
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