シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

固体

2008-03-19 | いいこと
最近、ちょっとへこむことがあったのだけれど、そういうことって本当はステップアップするために存在するんだなってつくづく思います。

誰でも元気なとき、平穏無事に暮らしているときに「こういう風に考えましょう」とか言われたり、本で読んだりしても「そうそう。まさにそう!」って思えるけど、ダウンしているときはとてもそこまで思えない。だからこそ、そのダウンしているときに感情をリリースして、学ぶことをさっさと学ぶ人は起こってくることのスピードが速くなって、自分の思うことを実現して、シークレットの本に出てくる人みたいになるんだろうな・・て思ったりしました。

勿論、そうならないといけないこともないし、自分のペースでゆっくり落ち込んでもいいし、いい悪いはないからね。でも、私も昔に比べたら落ち込む出来事から学ぶことの本質が早く分かるようになってきました。というか分からなければ宇宙に「分からせてください」と頼んでおけば、色々な場面でヒントがたくさん潜んでいることに気づくようになりました。

私は体関係(肉体ではなく。日本語ムズカシイネエ)で落ち込んでいたのですが、唯一相談した相手に「体に何があっても、どんな状態でもそれはとしえ(あ、私ね、かえるの事)の一部だよ。それを含めてとしえなんだよ。」という言葉を聞いて、その言葉、考え方が静かにじわじわ体にしみこんでくる感じがしています。

今までも「痛みをも愛する」という言葉を聞いたことはあるし、痛みがあるときにそう考えようともしたけれど、なんていうか自分の中で無理があったというか・・・。

でも、今はちょっと違う風に捉えることができます。例えば今、吹き出物、おできがでたとします。この吹き出物は、私の細胞が何かを私に伝える為にこうやって表現してくれていると思えば、愛しくなるわけです。お医者さんから見たら、「悪」「敵」であるものでも、私にとっては私の一部。私の大事な一部なのです。痛みだってそう。

そして、こんな話を思い出しました。粒子物理学の世界では、粒子レベルでは全てが繋がっていて、本当はみ~んな繋がっていて、でも目に見える形にしようと必死になって私の細胞が目に見える形として手となり足となり内臓となり・・・つまり、私になろうとして、私という物体をつくらせんがために、この手の細胞が手の形になり、目になり・・と考えると自分の体が愛おしくて涙がでてきました。難しい話だし自分がどこまで分かっているかはハテナだけれど、でもそうやって自分の体をつくってくれている粒子、細胞・・それに対して、自分に不都合があるからといって敵扱い、悪に仕立てるのはおかしいなって思いました。

今日、ちょうどこの粒子や細胞の話をしてくれた人に会ったから「あの話して~」とリクエストすると「それこそが生命そのもの」だと教えてくれました。なるほどねえ。

今まで「自分を愛せない者が他人を愛せない」という言葉を分かったつもりでいたけれど、一番身近な自分の体を愛せていなかったなって感じました。いや、愛せていなかったというよりは、分かってなかった・・かな。

勿論、以前に比べて自分を大切にできるようになり、体と対話するようになりそうなると体のセンサーもより精妙になり、面白い関係ではあるのですが、この体という固体が全て私・・どんな状態でも、その固体に何が入っていても私。人に何を言われようが、全て私の一部。

そして、この「私たらしめている体」を大事にするってことは、自分が100%、200%輝くことをするってこと。

じゃあ私が200%、1000%(どんどん大きくなる数字)輝くことは何なんだろう?と深く探り気づく機会になりました。

今、私の体からのメッセージは「ええ感じやけど、まだまだいけんで。もっともっとやったらええねん(なぜか大阪弁)」と勝手に受け取っています。せやな、がんばるわ。