音楽中心日記blog

Andy@音楽観察者が綴る音楽日記

実録・連合赤軍

2008年03月24日 | 映画の感想
 先週の土曜日、名古屋シネマスコーレで「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(監督 若松孝二)を観てきた。

 3時間を超える上映時間。見終わった感想は……うーん。なんだかすごく複雑な感情を抱いてしまった。傑作と言い切ることもできず、こんなものはダメだと切り捨てることもできず。もやもやする。

 おおざっぱに分けると、最初の1時間が時代背景の説明と、連合赤軍メンバーたちが山岳ベースで軍事訓練を始めるまでの経緯。
 次の1時間は「総括」要求により制裁・リンチが行われ、次々とメンバーが命を落としていく部分。
 そして最後の1時間、あさま山荘での籠城と銃撃戦が、山荘内部からの視点で描かれる。

 最初の1時間があまりに説明的過ぎ、また、ニュースフィルムの多用と劇中シーンのバランスがあまりよくないようにも感じた。
 また「革命」を指向すること自体がまるでア・プリオリなものであるかのように語られているので、感情移入がしにくく、ドラマに入って行く事がなかなかできない。

 しかしその経緯説明が終わり、山岳ベースでの総括要求→制裁・リンチ→メンバーの死という過程が繰り返されるようになると、知らぬ間に映画に没入してしまった。
 とりわけ、核となる遠山美枝子(演ずるのは坂井真紀)の死への過程については丹念すぎるくらい丹念に描かれるので、見ているのがつらくなるほど。ここには、どの時代にも存在する普遍的な「闇」が存在しているように思う。

 最後のあさま山荘での銃撃戦は、徹底して山荘内部からしか描かれない。もちろん予算や時間の制約もあるのだろうけれど、連合赤軍メンバーがひとりひとり生身の人間として扱われているのに、機動隊員など権力側の人間は、人格のないその他大勢としてしか描写されない。姿すらほとんど映らない。声と音だけ。そのあたりももやもや。まあ、これはそういう映画じゃねえんだよ、と言われればそれまでですが。

 それから、最後の大見せ場での加藤三兄弟末弟のセリフ。そういう落とし方はねえだろ、と思ってみたり、いややっぱり(映画的には)ああいうやり方しかないかと思ってみたり。ここでももやもや。
 
 役者は皆いい。この映画の美点は、彼らの存在感・実在感だと思う。
 特に永田洋子役の並木愛枝、森恒夫役の地曵豪、坂口弘役のARATAは素直に凄いと思った。坂井真紀もキャスティングが適切かどうかは別にして熱演している。奥田恵梨華が杉崎ミサ子役で出演しているのも嬉しかった。(ファンです。)
 それから早岐やす子役を田島寧子って人がやってるんだけど、これってオリンピック銀メダリストのあの人でしょうか。「めっちゃ悔しぃ~!! 金がいいですぅ!!」の。すぐ処刑されてしまうのでよくわからなかったのですが。

 なお、「実録」と銘打ってあり、登場人物はすべて実名であるものの、経緯をはしょってある部分や、設定や登場人物の役割等、史実と異なる箇所は複数ある。
 たとえば、山岳ベース跡が発見されてからの山越えは実際は夜に行われたが、ここでは昼(ただし吹雪の中の行軍)になっている。赤軍兵士たちは、あさま山荘に立て籠もる前に別の山荘(さつき荘)に侵入しているが、その描写は全くない。また、遺棄された赤ん坊(山本夫妻の娘 頼良)を運ぶ人物は、実際は中村愛子であったのに、彼女は途中で脱走してしまったことになっており、杉崎ミサ子にその役が割り当てられている。などなど。

 音楽はジム・オルーク。70年代ぽいギターサウンドを具象的に聞かせるのが意外だった。もっと抽象的な音楽をひねり出してくるのかと思っていたので。
 クライマックスで流れるヴォーカル入りの情緒的な曲はなんだろう? オリジナルなのかな。(※)

 いずれにしろ、いろんな点でどうにももやもやが残ってしまっているので、DVDが出たらもう一度見なきゃならないかも。

 それにしても、任務中の空き時間に銭湯に入ったことを理由に「敗北死」させられてしまったり、森恒夫の目がかわいいといっただけで制裁を受けて結局死んでしまったり、つまみぐいは反革命であったり(「あんたの食べたクッキーこそ反革命の象徴だ!」)、革命を目指すってのはつくづく不自由なもんだなあと思いました。

 ちなみに、この映画のパンフレット替わりに出版された本は、かなり充実した内容でした。連合赤軍事件の基礎資料としても十分役に立ちます。

 予告編。
 

※3/25追記
 Bill FayというSSWの「Pictures of Adolf Again」という曲をジム・オルークがカヴァーしたものらしい。これ
 オリジナル・ヴァージョンはここで聴ける。


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