昨日、二年ぶりに演劇実験室カフェシアターの舞台を観劇。
タイトル 公開ワークショップVol.36 『花札伝綺』
作=寺山修司 演出=中沢清
この劇団は、長野で30年以上も活動を継続している劇団
演出の中沢さんは、寺山修司さんの天井桟敷で活動された経験がある方。
劇団空素さんにしても、カフェさんにしても
30年以上継続できるなんてホント凄いなぁ~と思う。
22年前、長野に引っ越してきて、初めてネオンホールでカフェの芝居を観た時
物凄い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
カフェさんの芝居は、いわゆるアングラ演劇と呼ばれるジャンル。
中沢さんは、一貫して寺山ワールドを上演し続けている。
寺山修司氏について、若干記述しておこう。
寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)
日本の歌人、詩人、劇作家、演出家。
他に小説家、映画監督、作詞家、脚本家、エッセイスト
俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動した。
演劇実験室天井桟敷主宰。
(以上、Wikiより転載)
本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」返すのが常だったとか。
「言葉の錬金術師」の異名をとり、膨大な量の文芸作品を発表し
その一方で、映画や演劇なども幅広く手掛けた人。
1970年代~1980年代はアングラ全盛期。
当時私は、意味不明なアングラ演劇をあまり好まなかったが
寺山修司氏の詩やエッセイは心惹かれるところがあった。
大人になっても子どもの心を持ち続けている人―
その豊かな想像力とことばの発想力に圧倒される。
今回のカフェさんの作品は
中沢さんが人形浄瑠璃にヒントを得て
義太夫的な台詞のみを発する役者
台詞は発せず身体のみで演技する役者
で観せる演出だった。
はっきり言って一度観ただけでは
あのディープな世界を理解することは難しい。
が、観劇後、いくつか心に残る台詞があって
「花札伝綺」の中から台詞を拾ってみた。
“私の親しい友人たち、と申しましても皆、死んだ者ばかりでございますが…彼らが言いますんは、冥土もなかなか住みよくなった、心には何患いもなく、労働もせず、苦痛も知らず、まるで神々のように生きられる。病気は一切なく、祝宴は毎夜ひらかれ、海の幸も山の幸も食べ放題、田園は果しなく、後悔することなど夢のよう……第一、死美人は年を老らないし、娑婆のように「きれいはきたな、きたなはきれい」などという逆説もいらない。それにくらべればこの世はあまりにむごいことばかりだ。悲劇が起るのも生きてる人の間ばかりだし、殺人強盗詐欺にペテン、悪いことが起こるのも生きていればこそなのです。考えてもごらんなさい。あの世じゃ「殺人事件」なんて起る筈がない。二度死ぬことができるのはジェームス・ボンド位のものです。”
“第一、生きている奴をのこしておかないことにゃ、死んでる奴の世界が見えない。光がないと、まるで影がないのと同じようなものだ。”
“生が終わって死がはじまるのではない。生が終われば死も終わる。生につつまれないなんてあるわけがない。”
“逃げたり、追っかけたり……生きていることはほんの鬼ごっこ遊び、つかまるまでのたのしみだ”
(“”部分、「寺山修司戯曲集・4」(思潮社刊)から引用)
『花札伝綺』は、1967年に演劇実験室・天井桟敷により初演された作品だそうで。
そういえば、中沢さんが「寺山さんの初期作品を上演していく」と言っていたのを思い出した。
「生と死」がテーマだと思うが
あちらこちらに社会風刺がたっぷりで
人間の闇の部分をさらけ出し
エログロナンセンスとレトロチックな雰囲気に
どこか心惹かれるものがある。
好みは分かれるだろうけど、私としては
好奇心がそそられるジャンルだ。
寺山修司氏の名言の中の一つを記しておこう。
人間は中途半端な死体として生まれてきて
一生かかって完全な死体になるのだ。
奥が深く、それでいて私にとってはわかりやす言葉―
久しぶりに寺山氏について調べるきっかけになった。
徐々に創作意欲が湧いて来た感じです。
タイトル 公開ワークショップVol.36 『花札伝綺』
作=寺山修司 演出=中沢清
この劇団は、長野で30年以上も活動を継続している劇団
演出の中沢さんは、寺山修司さんの天井桟敷で活動された経験がある方。
劇団空素さんにしても、カフェさんにしても
30年以上継続できるなんてホント凄いなぁ~と思う。
22年前、長野に引っ越してきて、初めてネオンホールでカフェの芝居を観た時
物凄い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
カフェさんの芝居は、いわゆるアングラ演劇と呼ばれるジャンル。
中沢さんは、一貫して寺山ワールドを上演し続けている。
寺山修司氏について、若干記述しておこう。
寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)
日本の歌人、詩人、劇作家、演出家。
他に小説家、映画監督、作詞家、脚本家、エッセイスト
俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動した。
演劇実験室天井桟敷主宰。
(以上、Wikiより転載)
本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」返すのが常だったとか。
「言葉の錬金術師」の異名をとり、膨大な量の文芸作品を発表し
その一方で、映画や演劇なども幅広く手掛けた人。
1970年代~1980年代はアングラ全盛期。
当時私は、意味不明なアングラ演劇をあまり好まなかったが
寺山修司氏の詩やエッセイは心惹かれるところがあった。
大人になっても子どもの心を持ち続けている人―
その豊かな想像力とことばの発想力に圧倒される。
今回のカフェさんの作品は
中沢さんが人形浄瑠璃にヒントを得て
義太夫的な台詞のみを発する役者
台詞は発せず身体のみで演技する役者
で観せる演出だった。
はっきり言って一度観ただけでは
あのディープな世界を理解することは難しい。
が、観劇後、いくつか心に残る台詞があって
「花札伝綺」の中から台詞を拾ってみた。
“私の親しい友人たち、と申しましても皆、死んだ者ばかりでございますが…彼らが言いますんは、冥土もなかなか住みよくなった、心には何患いもなく、労働もせず、苦痛も知らず、まるで神々のように生きられる。病気は一切なく、祝宴は毎夜ひらかれ、海の幸も山の幸も食べ放題、田園は果しなく、後悔することなど夢のよう……第一、死美人は年を老らないし、娑婆のように「きれいはきたな、きたなはきれい」などという逆説もいらない。それにくらべればこの世はあまりにむごいことばかりだ。悲劇が起るのも生きてる人の間ばかりだし、殺人強盗詐欺にペテン、悪いことが起こるのも生きていればこそなのです。考えてもごらんなさい。あの世じゃ「殺人事件」なんて起る筈がない。二度死ぬことができるのはジェームス・ボンド位のものです。”
“第一、生きている奴をのこしておかないことにゃ、死んでる奴の世界が見えない。光がないと、まるで影がないのと同じようなものだ。”
“生が終わって死がはじまるのではない。生が終われば死も終わる。生につつまれないなんてあるわけがない。”
“逃げたり、追っかけたり……生きていることはほんの鬼ごっこ遊び、つかまるまでのたのしみだ”
(“”部分、「寺山修司戯曲集・4」(思潮社刊)から引用)
『花札伝綺』は、1967年に演劇実験室・天井桟敷により初演された作品だそうで。
そういえば、中沢さんが「寺山さんの初期作品を上演していく」と言っていたのを思い出した。
「生と死」がテーマだと思うが
あちらこちらに社会風刺がたっぷりで
人間の闇の部分をさらけ出し
エログロナンセンスとレトロチックな雰囲気に
どこか心惹かれるものがある。
好みは分かれるだろうけど、私としては
好奇心がそそられるジャンルだ。
寺山修司氏の名言の中の一つを記しておこう。
人間は中途半端な死体として生まれてきて
一生かかって完全な死体になるのだ。
奥が深く、それでいて私にとってはわかりやす言葉―
久しぶりに寺山氏について調べるきっかけになった。
徐々に創作意欲が湧いて来た感じです。