長野市の雨、また降りだした・・・
明日にかけて、全国的に大雨が降るらしい。
竜巻や雷の恐れもあるようだ。
何事もなく無事に梅雨前線が通り過ぎてくれますように・・・
北斎ホールシアター2020の題材は「福島正則」公
正則公は、豊臣秀吉公に仕え
戦国時代~江戸時代初期に生きた武将で
賤ケ岳の七本槍の一番槍として名を馳せたお殿様。
治水事業や築城技術の手腕もあり
改易で北信濃に左遷されてからも
小布施町の治水を行い田畑を整備して
稲穂が黄金色に光る村を創出した。
この時代に限らず、人類の歴史は
治水の歴史と言っても過言ではない。
現代も洪水災害は世界各地で起きている。
昨年秋、長野県も千曲川の決壊により大災害に見舞われ
コロナで中断した復興事業がようやく再開したところだ。
中国には「水を治める者は天下を治める」という
ことわざがあるそうで。
世界四大文明の一つ黄河文明の歴史は
黄河との戦いの歴史だった。
その黄河の治水事業を行った人が
ことわざどおり王になった伝説がある。
名前は「禹(う)」で大禹とも呼ばれ
4000年ほど前の古代夏王朝(かおうちょう)の初代王。
伝説だと言われてきたが、近年考古学的な発掘によって
実際に存在したことが認められるようになったそうで。
古代中国には、堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹という伝説上の聖人がいた。
堯王は、黄河の氾濫が治まらないため
誰かに治水を命じようと考えていた。
臣下たちは「鯀(こん)より賢い者はいない」と言って鯀を推薦。
鯀は堤防を固定し、高地を削って低地を埋める
「湮」と「障」呼ばれる方法を用いたが
9年経っても成果を上げることができなかった。
湮(いん):ふさぐ
障(しょう):さえぎる
堯は鯀に代えて舜(しゅん)を登用した。
舜は、前任者である鯀のおこなった治水の様子を視察したところ
羽山(うざん)で死んでいる鯀を発見。
人々は、舜が鯀を殺したのではないかと疑った。
舜はその疑いを解くために
鯀の遺児である禹(う)に鯀の事業を引き継がせた。
禹は放水路を作って排水を行う「導」と「疏」と呼ばれる方法を用いて
黄河の治水に成功したという。
導(どう):みちびく。水を導いて流す。
疏(そ):とおる。とおす。ふさがったものを切り開いて通す。
鯀は堤を高く築くことで洪水を抑えようとしたが
結局国力ばかりを消耗する結果に終わった。
禹は、父の失敗を教訓とし
洪水を起こさせる中国の地勢に目を向けた。
全土を13年にわたり調査して
そのデータを基に築くべき堤を築き
流すべき水は流して洪水を鎮圧した。
鯀は9年間も必死に土を運搬し堤をつくり続けたが徒労に終わった。
禹は13年も調査に費やしたが、その後
大自然に柔軟に対応しつつ対処した。
柔軟な知恵と広い視野があれば
これしか方法はない!
と思い込むことなく、別の良き知恵が閃くんだろうな。
これ、現代に生きる私たちにとっても大切なことだよねー
思い込みが視野を狭くして
悩みや苦しみを倍加させる。
柳のような「しなやかさ」を持ちたいものだ。
この禹の伝説は論語にも書かれていて
孔子、孟子、墨子が長たる者の在り方について
言及している。
論語は戦国時代~江戸時代にかけて
武士の間で広く読まれた書物。
信長公も秀吉公も読んだだろうし
きっと正則公も・・・
残念ながら論語を読んだという記述は見つからないが
兄弟のように親しかった加藤清正公は
論語を常に読んでいたという記述があった。
ならば、きっと・・・
こうやって想像を膨らませながら
芝居は出来上がっていくのです♪