奈良町は門前町として発展した。
その中心となる寺院が元興寺である。
元興寺は南都七大寺の1つに数えられた大寺であった。
今はわずかに残った極楽坊(曼荼羅堂)と甍に残る飛鳥時代の行基瓦で往時を偲ぶことができる。
江戸末期に火災で五重塔を失い、礎石址に寂しさが漂う。
奈良町に小寺が多く見られるのは、平城京の外京として発達したためである。
その中の高林寺と誕生寺を参拝した。
高林寺を訪ねると住職珠慶尼が丁寧に説明と案内をしてくれた。
中将姫の父である藤原豊成の屋敷跡と伝えられている。庭に豊成公古墳がある。
尼寺として代々細々と寺を守ってきた気概が感じられた。
本堂に豊成公と中将姫父子の木像が安置されているが、この日は他の行事があり木像は拝見できなかった。
誕生寺では留守番のおばさんが案内してくれた。本堂には中将姫自作と伝えられる座像が置かれていた。境内に中将姫産湯の井戸、二十五菩薩の石像が極楽堂へと順序良く並べられている。
表通りでは観光客がそぞろ通り過ぎていくが、この2つの寺は静寂として観光客も訪れないようだ。たまに団体客が参拝にくるとのこと。小寺ながら境内もきちんと掃き清められていて、心休まるひとときであった。
その中心となる寺院が元興寺である。
元興寺は南都七大寺の1つに数えられた大寺であった。
今はわずかに残った極楽坊(曼荼羅堂)と甍に残る飛鳥時代の行基瓦で往時を偲ぶことができる。
江戸末期に火災で五重塔を失い、礎石址に寂しさが漂う。
奈良町に小寺が多く見られるのは、平城京の外京として発達したためである。
その中の高林寺と誕生寺を参拝した。
高林寺を訪ねると住職珠慶尼が丁寧に説明と案内をしてくれた。
中将姫の父である藤原豊成の屋敷跡と伝えられている。庭に豊成公古墳がある。
尼寺として代々細々と寺を守ってきた気概が感じられた。
本堂に豊成公と中将姫父子の木像が安置されているが、この日は他の行事があり木像は拝見できなかった。
誕生寺では留守番のおばさんが案内してくれた。本堂には中将姫自作と伝えられる座像が置かれていた。境内に中将姫産湯の井戸、二十五菩薩の石像が極楽堂へと順序良く並べられている。
表通りでは観光客がそぞろ通り過ぎていくが、この2つの寺は静寂として観光客も訪れないようだ。たまに団体客が参拝にくるとのこと。小寺ながら境内もきちんと掃き清められていて、心休まるひとときであった。