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栃木 黒羽の夏

2012年08月16日 | 旅行
 今は大田原市になっているが、かつては那須郡黒羽町といわれていた。
今回、15日に新盆で訪れたのを機会に、黒羽町だった須佐木(すさぎ)と川上、その途中の雲巌寺を通った。
帰りに久慈川の河原で一休み。

<大田原市須佐木>
 ここは別名「カジカの里」と言われ、カジカが住むほど水がきれいな武茂川が町を貫流している。


新盆(にいぼん)
昨年12月に亡くなった義姉の初盆に訪れた。
門口に白と赤の色が入った提灯を立てる風習。
室内には青竹で組まれた新盆用の祭壇が設けられ、赤いほうずきと緑の杉葉で飾られていた。


須佐木の風景 <クリックで拡大>
義姉が住んでいた家には毎年のように訪れていたが、家から眺める外の風景は四季折々忘れがたいものであった。

 翌日(16日)須佐木から少し奥にある雲巌寺の門前に立ち寄った。

<雲巌寺>
 栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の寺院。
松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄った寺院としても知られ、寺域には当時の住職であった仏頂禅師と芭蕉の歌碑がある。歌碑には  竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚) 木啄も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
の句が刻まれている。


雲巌寺への道


雲巌寺(うんがんじ)山門
朱塗りの反り橋の向こうに山門がみえる。


山門
度重なる焼き討ちに遭いながらも、幾度か再建され、幸いにして、唯一山門だけが残り、現在に至っているとのこと。


反り橋と武茂川の流れ


水戸黄門の御手突石(左側)
この地に黄門さんが来た証し。石碑に由来が書かれている。


水戸黄門の御手突石 <クリックで拡大>


「奥の細道碑」 <クリックで拡大>
当国雲岸寺のおくに佛頂和尚山居跡あり。
  竪横の五尺にたらぬ草の庵
    むすぶもくやし雨なかりせば
と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼梺に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く、苔したゞりて、卯月の天今猶寒し。十景尽る所、橋をわたつて山門に入。 さて、かの跡はいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれば、石上の小庵岩窟にむすびかけたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄も庵はやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残侍し。 (おくのほそ道)


武茂川


白糸の滝

 ここからさらに奥の川上に向かう。川上には妻の叔父が住んでいる。

<大田原市川上>
須佐木のさらに奥、八溝山の山懐にある農村地帯である。


川上の風景1 <クリックで拡大>
突然訪ねた叔父の家で歓待され、しばし歓談し、たくさんの土産まで頂いた。


川上の風景2
叔父の家から眺めた夏の景色


稲穂が伸びている

 帰りは久慈川を見ながら、那珂ICから常磐道で。

<久慈川>


久慈川と橋


真夏の久慈川
水遊びをしていたグループがあった。

 常磐道はお盆明けのせいか、わりと空いていた。
16時前に柏ICを降りることができた。



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