古関メロディのリズミカルで明るい曲が私は好きだが、それは和製スーザといわれるほどの行進曲の作曲家でもあったからだ。
古関裕而は1909年福島県福島市大町にあった呉服店に生まれる。幼少の頃から音楽の中で育ち、家業を継ぐため商業学校に入ったが、学業より作曲に夢中だったという。ところが在学中に家業の呉服店が倒産する。声楽家志望の内山金子(きんこ)と裕而20歳、金子18歳でスピード結婚ををするが、晩年までおしどり夫婦であったという。
コロムビア専属の作曲家になるが、実家が経済的に破綻してからは、ポピュラー畑に転身していく。1935年、『船頭可愛や』が大ヒット。また早稲田大学応援歌「紺碧の空」などの応援歌、戦中は「暁に祈る」などの戦時歌謡で数々の名作を残している。戦後は、鎮魂歌『長崎の鐘』。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』。1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』。現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』。その他にも『フランチェスカの鐘』、『君の名は』、『高原列車は行く』などの格調高い曲を多く作曲している。
私の好きな古関メロディ:ベスト5
1938年「愛國の花」(作詞:福田正夫、歌:渡辺はま子)
軍歌の中でまるでワルツのように優美なこの古関メロディーは
多くの婦人の共感を呼び、愛唱された。
最近でも戦中ドラマの曲中歌として時々取り上げられている。
1940年「かへり道の歌」(作詞:竹中郁、歌:加古三枝子)
戦前の国民歌謡の曲だが、懐かしいような不思議な歌詞だ。
亡くなった義兄が酒を飲むとよく歌ったのを思い出す。
この曲は、「心に残る歌謡曲~その1」に歌詞を載せている。
最近では声楽家藍川由美のCDにこの曲が入っているのが唯一だ。
1947年「夢淡き東京」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
古き良き東京を彷彿とさせる軽快な曲である。
1953年「みどりの雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
”箱根にみどりの雨が降る”という歌詞が印象的だ。
カラオケ店の曲目に載っていないのが残念だ。
1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
軽快な歌で会社の宴会の余興で歌った思い出がある。
《この一曲》 愛國の花
福田正夫作詞
古関祐而作曲
1 真白き富士のけだかさを
こころの強い楯として
御国につくす女等は
輝く御代の山ざくら
地に咲く匂い国の花
2 勇士の後をあとを雄々しくも
家をば子をば守りゆく
優しい母や、また妻は
まごころ燃える 紅桜
うれしく匂う国の花
3 御稜威のしるし菊の花
ゆたかに香る日の本の
女といえど生命がけ
こぞりて咲いて美しく
光りて匂う国の花
女性の凛々しい美しさが印象的である。祖国同様に女性を愛し続けたインドネシアの故スカルノ大統領がデビ夫人を同伴して、ジャカルタに入港した日本の見本市船サクラ丸の甲板上でこの曲を日本語で唄ったことがあった。
(写真は福島市古関裕而記念館サイトから借用しました)
古関裕而は1909年福島県福島市大町にあった呉服店に生まれる。幼少の頃から音楽の中で育ち、家業を継ぐため商業学校に入ったが、学業より作曲に夢中だったという。ところが在学中に家業の呉服店が倒産する。声楽家志望の内山金子(きんこ)と裕而20歳、金子18歳でスピード結婚ををするが、晩年までおしどり夫婦であったという。
コロムビア専属の作曲家になるが、実家が経済的に破綻してからは、ポピュラー畑に転身していく。1935年、『船頭可愛や』が大ヒット。また早稲田大学応援歌「紺碧の空」などの応援歌、戦中は「暁に祈る」などの戦時歌謡で数々の名作を残している。戦後は、鎮魂歌『長崎の鐘』。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』。1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』。現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』。その他にも『フランチェスカの鐘』、『君の名は』、『高原列車は行く』などの格調高い曲を多く作曲している。
私の好きな古関メロディ:ベスト5
1938年「愛國の花」(作詞:福田正夫、歌:渡辺はま子)
軍歌の中でまるでワルツのように優美なこの古関メロディーは
多くの婦人の共感を呼び、愛唱された。
最近でも戦中ドラマの曲中歌として時々取り上げられている。
1940年「かへり道の歌」(作詞:竹中郁、歌:加古三枝子)
戦前の国民歌謡の曲だが、懐かしいような不思議な歌詞だ。
亡くなった義兄が酒を飲むとよく歌ったのを思い出す。
この曲は、「心に残る歌謡曲~その1」に歌詞を載せている。
最近では声楽家藍川由美のCDにこの曲が入っているのが唯一だ。
1947年「夢淡き東京」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)
古き良き東京を彷彿とさせる軽快な曲である。
1953年「みどりの雨」(作詞:丘灯至夫、歌:藤山一郎)
”箱根にみどりの雨が降る”という歌詞が印象的だ。
カラオケ店の曲目に載っていないのが残念だ。
1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫、歌:岡本敦郎)
軽快な歌で会社の宴会の余興で歌った思い出がある。
《この一曲》 愛國の花
福田正夫作詞
古関祐而作曲
1 真白き富士のけだかさを
こころの強い楯として
御国につくす女等は
輝く御代の山ざくら
地に咲く匂い国の花
2 勇士の後をあとを雄々しくも
家をば子をば守りゆく
優しい母や、また妻は
まごころ燃える 紅桜
うれしく匂う国の花
3 御稜威のしるし菊の花
ゆたかに香る日の本の
女といえど生命がけ
こぞりて咲いて美しく
光りて匂う国の花
女性の凛々しい美しさが印象的である。祖国同様に女性を愛し続けたインドネシアの故スカルノ大統領がデビ夫人を同伴して、ジャカルタに入港した日本の見本市船サクラ丸の甲板上でこの曲を日本語で唄ったことがあった。
(写真は福島市古関裕而記念館サイトから借用しました)