goo blog サービス終了のお知らせ 

世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

イエス

2013-12-04 08:50:29 | 詩集・空の切り絵

野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
     (ルカによる福音書12,27)

    ***

保険がどうの年金がどうのと悩んでばかりで何になるね。
明日のことは明日やればよい。
神と自分を信じていれば、難しいこともなんとかなるものなのだ。

明日のことばかりに思い悩んで、今やるべきことをさぼるほうが害というものだ。

自分を信じよ。神の愛を信じよ。

見てみなさい、野の花を。
働きもしないのに、あれほどの美を神はくださっている。
あなたがたは、この野の花よりも、神に愛されているのだよ。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

種をまく人

2013-12-04 05:42:39 | 虹のコレクション・本館
No,24
ジャン・フランソワ・ミレー、「種をまく人」、19世紀フランス、写実主義。

これは芸術作品というよりは、何らかの見えない存在がミレーに描かせた、メッセージである。
絵には、ときにこういう珠玉がある。

ゴッホはそれに気づいて、これを喜んで模写した。

何らかの大きな愛が、人間存在を導くために、画家ミレーを用いて、自分の愛を表現したのだ。

ミレーは、技術的にも、人間的にも、その仕事をすることができる、すばらしい画家だったのである。

人間は、これを絵としてだけでなく、魂の奥に深くとりこみなさい。何かの刺激を受けるはずだ。このイメージは、強烈だ。ゴッホの、この絵を模写した絵は、まるで光が爆発したかのように描いてある。彼が、この絵を見て、衝撃を受けたからだ。

芸術作品の中には、時に、このようなふしぎなものがある。探してみなさい。絵の中に、深い愛がある。探してみるのだ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローレライ

2013-12-03 08:57:02 | 詩集・空の切り絵

なじかはしらねど こころわびて
むかしのつたえは そぞろ身にしむ
わびしくくれゆく ラインの流れ
入日に山々 あかくはゆる
   (「ローレライ」ハインリヒ・ハイネ、近藤朔風訳)

どうしてだろう 心が寒いのは
忘れた記憶の中に 何かがあるのが苦しいのだ
ライン川の流れは さびしく暮れてゆく
夕陽に赤く映える山々は 何をわたしに言おうとしているのか

  ***


現実問題
遊んで殺した女は
何人いるね?

神話の中に塗りこめて
忘れ去ろうとしても
罪は罪だ

死んだ女は再び戻ってくる
ローレライのように
岩根に立ち
美しい声で歌い
しなやかに踊り

男を凌辱しにくる

馬鹿にした女も同じだ



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日に一度は

2013-12-03 04:50:43 | 月夜の考古学・本館

朝 風や光を入れるために
家の窓をあけるように
一日に一度は
目を 深く閉じて
神さまの顔を見よう
そして
霧の向こうに つないだ船を
たぐり寄せるように
本当の自分を 確かめよう

日々のあくたにまみれたまま
心を見捨ててしまわないために
一日に一度は
風に耳を浸し
花に耳を寄せて
神さまの歌を聞こう
岩の上で日を浴びる
トカゲのように
額をあげて
暖かく大きな光の中に
飛びこもう

一日に一度は
一日に一度は
神さまの前に立とう
鳥が翼をひらくように
大きく
心のカギを ひらいて





  (2002年4月、種野思束詩集「種まく人」より)





コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アダム

2013-12-02 09:09:03 | 詩集・空の切り絵

なんてとこなんだ ここは

エデンなんて 最低だ

蜂みたいに
ぶんぶん騒ぐやつばっかりだ
ちくちく刺してばかりで
痛い 痛い 痛い
みんな
人から盗んでばかりいる
何もわかってない

苦しいよ
おれだけなのか
わかっているのは




おや
気づいたやつが
いるぞ




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自画像

2013-12-02 04:50:24 | 虹のコレクション・本館
No,22
フィンセント・ファン・ゴッホ、「自画像」、19世紀オランダ、後期印象派。

これは男性を描いた肖像画の中では、最も美しいものである。
瞳が激しく澄んでいる。

だが、この男は、狂っている。
魂の世界と決別した現実世界の中で、魂の世界そのものの法則によって、生きようとしたからだ。

このような男は、狂うか、死ぬしかない。

ジーザスのように、現実世界では、美しい真実の男は、こういうことにしかなりえなかったというのが、現実なのである。

そう、美しい男とは、死んだ男のことなのだ。
生きている男は、すべて、醜いのだ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オンディーヌ

2013-12-01 08:53:49 | 詩集・空の切り絵

貝の殻を脱いだ
白い鼠が
空に帰ってゆく

あんなものなど
いらないと
人間が言ったので
神さまが鼠を帰したのだ

知らなかった
知らなかった
何にも
知らなかった

あんなものが
いたから
楽しかったなんて
知らなかった

オ ン ディ ー ー ー ヌ … !

かえってこい



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オフェリア

2013-12-01 05:07:11 | 虹のコレクション・本館
No,21
オディロン・ルドン、「オフェリア」、20世紀フランス、象徴主義。

象徴主義の絵は淋しい。苦しい。人間が、人間の魂の故郷を失い、心の世界をさまよっているという感じがする。

オフェリアは、男世界の現実に殺された女である。花と水で美しく描かれるが、その向こうにあるのは、腐乱水死体だ。もっとも恐ろしい死である。

その恐ろしくも、激しく惨い死に方を、あまりにも美しく描くのは、現実世界から魂が遊離し始めていることを教えている。

現実世界が、魂の世界と決別したのである。その中で、芸術家の魂は、激しく痛みながら、そこに夢幻の劇薬を塗って麻痺させつつ、表現していたのである。

19世紀から、20世紀に向かって、人間は文明を進歩させながら、魂の世界では、奈落に落ち続けていたのである。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする