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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

北アルプスの絶景を求めて茶臼山へ。仁科三山、白馬三山の絶景を堪能(妻女山里山通信)

2016-12-07 | アウトドア・ネイチャーフォト

(左)篠ノ井から86号を登って茶臼山動物園の入口前を通り、信里小学校の校門の前を右折するとすぐに茶臼山登山の駐車場。100mほど登ると、大正時代に立てられた川中島合戦の石碑。(右)武田信玄が布陣というのは看板にもある様に江戸時代後期の『甲越信戦録』からの引用で、これは極めて物語性が強く史実とはとうてい思われません。それ以前の文献には信玄の茶臼山布陣は全く見られません。

(左)大正時代に崩壊してしまった茶臼山南峰のあった場所。双耳峰で、ここに北峰と同じ高さの山があったのです。古い写真でも残っています。山頂には山城の跡や空堀があったといいます。古墳があったという伝承もあります。(中)15分ほど登って北アルプス展望台へ。丸太のベンチがあります。(右)信州の里山の原風景のかなたに北アルプスのスカイライン。この山里は、古代より信濃の豪族望月氏系の布施氏の領地でした。茶臼山を中心として東西南北に布施神社(布制神社)があります。

 茶臼山の北アルプス展望台からの白馬三山。左から唐松岳・不帰ノ嶮・天狗ノ頭・白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。右手前に神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(初夏) 
妻女山展望台から見た北アルプスの大パノラマ。山座同定(冬)

 鹿島槍ヶ岳から白馬三山のパノラマ。北アルプスの大パノラマが望める里山は、鏡台山、太郎山、大林山、虫倉山、大姥山などがありますが、いずれも拙書で紹介しています。特におすすめは鏡台山からの大パノラマ。北アルプスの北から南までほぼ全てが見えます。このパノラマ写真は、拙書の鏡台山のページに載せています。

 鹿島槍ヶ岳。山頂右(北側)の大きな谷は、平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」。日本で4例目の氷河かもしれないと雪渓の調査がされましたが、その可能性があるそうです。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。かくね里は、鹿島川最上流部の標高1800〜2200mにあり傾斜もきつく、雪崩や落石も多くとても人が住めるようなところではなさそうです。もし落人が住んでいたとしても、もっと下流の方かも知れません。

 白馬三山の勇姿。左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が命名。
 代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍とあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と適当に命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)

 2014年(H26)11月22日22時8分に白馬村を震源として発生したM6.7の神城断層地震で、山頂が4割崩壊してしまった虫倉山。崩壊した赤茶色の崖が生々しく見えます。1847年5月8日(弘化4年3月24日)の善光寺地震でも大規模な山崩れが発生し、死者総数8,600人強、全壊家屋21,000軒、焼失家屋は約3,400軒を数えました。折しも善光寺御開帳の真っ最中で死者が増えました。参拝者の生存率は1割ぐらいとか。松代藩の立てた慰霊碑が、妻女山展望台の裏にあります。
 虫倉山は、上部が硬い凝灰角礫岩(荒倉山火砕岩層)で、下部が柔らかい砂岩など。その境界部辺りの岩石が大崩落し、大田の集落を全滅させました。崩落地点のすぐ左側を登って山頂に到る人気のさるすべりコースは、登山禁止のままです。
虫倉山。神城断層地震で崩壊した山頂へ。無常と360度の大展望と。登山情報(妻女山里山通信)崩落した山頂の写真がご覧いただけます。

 同じく展望台から山布施の集落。左の布施神社の右の道を15〜20分ほど登ると、布施氏の須立之城跡。
山布施の布施神社と石川流木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
大彦命と布施氏の布制(布施)神社詣でと茶臼山ラッセル(妻女山里山通信)
茶臼山の茶臼ケ城、修那羅城、篠ノ城探索。布施氏の山城は想像以上に大規模でした(妻女山里山通信)

(左)茶臼山山頂(729.9m)。布施氏の茶臼ケ城跡で、南北に長い変形ですがおそらく地滑りや侵食で当時の形ではないと思います。北側から南を見たところ。(中)北の端から北側の段郭らしき部分を見下ろしたところ。右(東)へ伸びる尾根を下ると、修那羅城、篠ノ城へ。(右)山頂から尾根の登山道に戻り北アルプス展望台を過ぎて北へ200m足らず下ると、右に善光寺平展望所。手前で男性に遭遇。マイナーな小松原コースを登ってきたというので、どこで知りましたと尋ねると拙書を持っていました。嬉しいですね。載っていないコースなどを紹介しました。

 善光寺平展望所から見る根子岳と四阿山。拙書で詳しく書いていますが、四阿山は真田の修験の山で、山頂には麓の山家神社の奥宮が二つあります。神社には、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が現存します。その手前に松代東条の奇妙山とさらに手前に東条氏の山城がある尼巌山(あまかざりやま)。いずれも拙書で紹介しています。根子岳もほとんど積雪がありません。これではスキーはできませんね。この日の善光寺平は、地面から300m辺りまで薄い霧がいつまでもかかっていました。
四阿山から根子岳縦走。多くの方とお話ができました(妻女山里山通信)

 同じく展望台から横手山の望遠カット。山頂へのリフトの白い線が見えます。標高は2307mで、横手山・渋峠スキー場は、日本一標高の高いところにあります。横手山山頂ヒュッテのパンとボルシチときのこスープは人気です。山頂へは、のぞきの駐車場からスカイレーターとリフトで、渋峠の駐車場からはリフトで。周辺にはトレッキングコースもいくつもあります。左の梢の向こうに見える三角の山は、笠ヶ岳。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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