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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

茶臼山の茶臼ケ城、修那羅城、篠ノ城探索。布施氏の山城は想像以上に大規模でした(妻女山里山通信)

2015-12-10 | 歴史・地理・雑学
 長野市篠ノ井の茶臼山の麓に近い所に、篠ノ城(しののじょう)または、威ノ城(たけのじょう)、御座平ともいわれる城跡があります。かねてより行きたいと思っていたのですが、なかなか行けず今回初登頂となりました。小さな本郭なので小規模な山城だろうとでかけたのですが、さにあらず600mの尾根には十数個の段郭が連続する想像以上に大規模な山城でした。城主は、望月・滋野系の布施氏の様ですが、かなり複雑なので最後に概要を記します。

 行き方ですが、本郭に最も簡単に行けるのは、茶臼山動物園の北口駐車場(無料)から。新田の集落の西側から入り、三軒目と四軒目の舗装路を登ります(下の地図参照)。墓地を抜けるとほどなく分岐のある小さな峠(左)。そこを右へ辿るとすぐに草地に出ます(中)。目の前の高い広葉樹の向こうに見えているシルエットが篠ノ城の本郭。草地を進むと、一段下がって削平地の向こうに本郭。手前に深い空堀があります(右)。

 深く広い空堀は、中央に岩があり二条の堀の様に見えます(左)。堀の両側は深い谷。堀から見上げる本郭の切岸(中)。ここは急過ぎて登れないので右手(南面)の腰郭に回ります。南面は本郭を取り巻くように三段の郭で構成されています(右)。竹が密生していて迷路のようです。枯れた枝で目を突かない様注意が必要。危ない枯れ枝は剪定バサミでカットしていきました。太さからこれは真竹でしょうか。

 竹につかまりながら本郭によじ登りました(左)。快晴の昼間なんですが、薄暗く不気味な雰囲気が漂っています。折れた竹が折り重なっていて進むことも全貌を見ることもできません。本郭の東の端に石祠がありました(中)。しかし、地震で屋根が落ちてしまった様です。重くてとても一人では元へ戻せません。下りて本郭を見上げたところ(右)。別名の威ノ城は、竹ノ城ではないのかと思えるほど竹だらけの本郭です。標高は550mを少し欠けるぐらいでしょう。

 そこから東へ郭を辿るのですが、竹が行く手を阻みます(左)。まるで迷路を抜けるように竹の隙間を探して進みます。東へ回りこんで本郭の東端の切岸を見上げたところ(中)。北側は急斜面ですが中央に郭が見えます。ただ東側からそこへ通じる郭はありません。崖地です。次に尾根を東へ下りることにしました。東側の尾根を進みます。やはり酷い竹藪で、その先には笹薮も(右)。尾根の両側はかなりの急斜面なので滑落に要注意。積もった枯れ葉は滑ります。実は一回枯葉の下の根っこで滑って2mほど滑落しました。昔、体操部サッカー部で剣道柔道もやったので受け身をとって無傷でしたが、左右の谷に落ちたら30m位は落ちたでしょう。やれやれ。

 笹薮を抜けると尾根は明るい広葉樹の森になります(左)。落葉期なので善光寺平や遠くの山がよく見えます。どこまで段郭が続いているのか下ってみることにしました。それぞれの郭の切岸は、高さ1mぐらいのものから3mぐらいのものまで様々(中)厚く積もった枯葉で滑るので、ルートの選定を慎重にしました。また、各所に鋭い棘をもったヤマガシュウがあるので、これも剪定バサミで切りながら抜けました。尾根の左右はかなりの急斜面ですが、何本か南へ支尾根が出ており、そこにも段郭が見られます。結局、長さ600mほどの尾根を先端まで下りましたが、十数個の段郭が連続する大規模な山城でした。尾根の先端は、これも人工的に削られた高さ10mほどの切岸で終わっており、その下は草薮でリンゴ畑へと続いています。確認しながら元へ戻りました。

 篠ノ城の分岐に戻り、今度は茶臼山方面の中腹にある修那羅山(671m)を目指し、右へ山道を登ります(左)。道は小ピークの北側を巻いていますが、気になったので登ってみました(中)。すると、ピークの西側に人工的な窪地(削平地)がありました(右)。ここも篠ノ城の後背の砦とかがあったのでしょうか。

 小ピークの先で右へ曲がり緩く登って行くと尾根に乗り左へ曲がります。気持ちのいい尾根道が続きます(左)。前方には修那羅山のシルエットが。その右奥には茶臼山の山頂も見えます。進むと高さ20m位の崖地(中)。道は大きく右へ巻いて左に折れこの上に登るようになっています。修那羅山の山頂周りは郭と思われる削平地があります(右)。

 山頂は直径30m位の円形でほぼ平らです。数はそう多くはありませんが、石碑や石祠が並んでいます(左)。中央には塚があり、小さな石像が立っています(中)。天武神とか上田城主松平伊賀守とか書いてある内容はバラバラで、民間信仰のバリエーションの豊富さを物語っています。茶臼山へ続く西側にはかなり深い空堀があります(右)。茶臼山の茶臼ケ城と下の篠ノ城の中間の山城でしょう。しゅならやまと読むのが正式ですが、当地では訛ってしょならやまといいます。

 そこから尾根の一本道を登ると、300m位で道は尾根の左(南)にずれて行きますが、廃道になっているので、かまわず直進すると100mも行かないうちに山頂のわずかに北側の登山道に出ます。山頂の北には東西に深い空堀があります(左)。茶臼山の山頂には、崩れてしまった南峰と合わせて茶臼ケ城があったらしく、よく見ると削平地らしきものも見えます(中)。茶臼山山頂(729.9m)(右)。やや南北に長い山頂は展望がありません。西側にある登山道に下り少し北へ進むと西側に北アルプス展望台、さらに下って少し進むと東側に善光寺平展望台があります。拙書では、今回のコースは載せていませんが、本書の地形図をコピーして登山道を自分で描き入れていただくといいと思います。

 下って茶臼山自然植物園の南側の農道から、今回の尾根を撮影してみました。三枚の望遠カットを繋げてあります。歴史探索もできる非常に魅力的なコースだと思います。倒木が何本かあり、修那羅山手前でトラバースの道が崩れている箇所がありますが、整備すれば面白いコースになるでしょう。完全に落葉すれば、ここからでも段郭が見えるかもしれませんが、その凄さは、やはり実際に歩いてみないと分からないと思います。篠ノ城跡から右下へ、尾根は更に600mほど続いています。しかし、人類は古代より戦ばかりしていますね。それを回避する方法を編み出せなかったのが人類の限界なのでしょうか。戦争が公共事業の側面を持っていたのは戦国時代でも同様です。それを世界で展開しているのが米。自由と正義の国が聞いて呆れます。
 茶臼山自然植物園では、来年の「全国植樹祭」に向けて大規模な改修工事が行われています。手前に見えるのは、新しく造成された大きな駐車場。
 実は撮影しているこの農道の反対側の崖の上に、建設省の茶臼山菱形基線測点があるはずなのですが、そこに登る道の上が酷い藪で登れませんでした。後日行くことにしました。

 上のカットの篠ノ城から先の尾根は上の様に先端で高い切岸(崖)になっています。尾根の麓は笹薮と葛の藪で取り付けません。実は左に支尾根がでていて、その右側の笹薮を抜けて尾根に登ると上の尾根に至ります。
 拙書で載せている国土地理院の地形図に今回のコースを青色で描き入れてみました。茶臼山の他のコースは、拙書で詳しく紹介していますので、そちらをお求めください。尾根の先端から登るコースは、草薮を超えて笹薮を抜けて取り付くので、ルートファインディングの能力が必要です。◆国土地理院地形図データ使用
 修那羅山から茶臼山までは、下記の記事の下部をご覧ください。
中尾山・茶臼山ハイキング2015。蒼天のもと紅葉の里山歩き(妻女山里山通信)

 茶臼山山頂からの帰りに立ち寄った有旅大池。人工の溜池ですが、江戸時代の絵図には既に載っているので、かなり古いものの様です。この西山地域には、あちこちに無数の溜池があります。

 戻って信里小学校の前の道から北アルプス。左に五竜岳、右に白馬鑓ヶ岳、杓子岳。信州ではこんな風に日常の風景の中に雄大なアルプスが見える場所が無数にあります。
 さて、篠ノ城の城主といわれる望月・滋野系の布施氏ですが、望月氏は、滋野氏が信濃へ入部する以前の豪族で、後に入った滋野氏と血縁関係を深めていったといわれています。『滋野系図』によると、鎌倉時代において望月氏を代表する人物として活躍した望月重隆は鶴岡八幡宮弓初めの射手に選ばれ、弓の名手として武名をあげ、『保元物語』『吾妻鏡』『平家物語』『源平盛衰記』『承久記』『相良文書』など、当時の望月氏関係者のうち、もっとも多く記録に残されているそうです。
 その望月重隆には長男望月盛重、次男諸星義広がおり、望月盛重には長男望月宗重、次男布施助重、三男望月助義がいます。 次男の布施助重には長男布施幸重がおり、布施幸重には長男布施長重、次男布施貞綱がいます。 この辺りが篠ノ城の源流となったのでしょう。 布施氏は、西山の山布施はもちろん、善光寺平に布施、富部(とべ:戸部)という地名があるように、その勢力は絶大なものがあった様です。
 望月氏、滋野氏は海野氏、真田氏とも深く繋がり、同系には土豪の小田切氏などもいます。望月氏、滋野氏から書き始めると膨大な文章量になってしまいます。興味のある方は、ご自分で調べてみてください。楽しい底なし沼が待っています。

◉記事を書く際に、下記のサイトや歴史館の書籍などを参考にさせていただきました。感謝申し上げます。
小助の部屋/滋野一党/望月滋野氏
長野電波研究所 共和村の歴史と伝承 岡田城跡
「長野県のホームページ 第1章 奈良・平安時代の川中島平 第2章 川中島平の開発と伊勢神宮領御厨(みくりや)

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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