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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

【1930年頃の日本】OLD JAPAN-1930s と 東京復興の父・後藤新平【妻女山里山通信】

2011-12-14 | 歴史・地理・雑学
 1930年(昭和5)年は、Wikipediaから引用すると、「大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済は、世界恐慌の発生とほぼ同時期に行った金解禁の影響に直撃され、それまで主にアメリカ向けに頼っていた生糸の輸出が急激に落ち込み、危機的状況に陥る。株の暴落により、都市部では多くの会社が倒産し就職難の者(学歴難民)や失業者があふれた(『大学は出たけれど』)。恐慌発生の当初は金解禁の影響から深刻なデフレが発生し、農作物は売れ行きが落ち価格が低下、1935年まで続いた冷害・凶作、昭和三陸津波のために疲弊した農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増して社会問題化。生活できなくなり大陸へ渡る人々も増えた。」という切羽詰まった時代。軍国主義が台頭し、国際社会からの孤立を深めていきました。

 文化的には、古き良き日本も残っていた時代ですが、都会では西洋文化(1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いたアール・デコ)の影響で、欧米化が進み「モボ・モガ」なる風俗が流行りました。それは下のスライドショーでも分かります。男子の普通選挙が実施され、大正デモクラシーの流れがモダニズムを押し進めた(近代化推進)のですが、軍国主義と覇権主義の台頭の中で抑制され、短い期間で終わりを告げました。動画の中に出て来る運河沿いに建つ写真のビルのデザインに、その影響が見られます。しかし、この美しかった首都東京も、10数年後には焦土と化し、70数年後には放射能汚染されるのです。

OLD JAPAN-1930s 【1930年頃の日本】

★Youtubeのページでは、720p HDでご覧頂けます。著作権満了のナショナル・ジオグラフィックからスキャニングして私が作ったスライドショーです。BGMは、ガレージバンドで作りました。
 このタイトルの写真が、何気に凄いと言われます。お母さんが髪を結っているのは地毛でしょうね。私の祖母の昔の写真も地毛で髪を結っていました。203高地なんていう髪型も流行りました。子供達もいい着物を着ています。女の子はモボ・モガの影響でしょうか、おカッパ頭。今はショートボブといいますが。右側の女の子の後ろには、百科事典と思われる書物も。しかし、食べているのがどうやらお茶漬けという庶民食。座卓も四角い杢の入った高級品ではなく、たぶん折りたたみの円卓。どういう家庭なんでしょうね。ナショナル・ジオグラフィックの本文を読み返してみましょうか。



 このスライドショーの写真を見ると、都会と地方の格差が非常に大きかった時代だということが分かります。実はわが家には、この少し前に晩年の後藤新平が訪れて、祖父(後列右から二人目)等と撮影した記念写真があります。昭和2年5月2日のことです。妻女山麓の清野小学校に後藤新平子爵が来校。松代・西条の高等科生徒も加えて講演を聴いたそうです。彼は、まだ若かった祖父に「定慧(じょうえ)」という禅の書を残して行きました。「定慧の二法(禅定と智慧)を成就すれば、すなわち自利利他の法みな具足す」禅の言葉です。「定慧円明」といって、定は必ず慧を発し、慧は必ず定に基礎づけられ、打って一丸となった円かに融け合って明らかなものでなければならないということ。完全に身・息・心が統一され、安定した状態を「定」といい、覚醒した状態から世界を照らし見る働きを「慧」ということです。

 彼に感化されたのでしょうか、祖父は若い村会議員として、清野村内の道が坂だらけの山際にしかなかったため、畑地に広い新道(駐在所の前より大村への道)を建設する等の事業を遂行したということです。ちなみに私は祖父の連れ合いの祖母似なので祖父とは似ていません。それにしても、明治の男たちは、こんな信州の片田舎でも凛として威厳がありますね。私が生まれた時には既に祖父は他界していたので知りませんが、連れの祖母は背が高く、背筋が真っ直ぐ伸びた優しいけれど厳しい人で、朝ドラの「おはなはん」が大好きでした。産めよ増やせよの時代で、10人の子を授かり、男子ひとりが少年時代に病死。女子ひとりが看護婦時代に結核にかかり病死。8人が無事に育ち家庭を持ち、末っ子の男子は大学卒業後、ブラジルに移民しました。これらのことが、私が後に南米を放浪するきっかけとなったのは因果を感じます。
 後藤新平は、台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、東京市(現・東京都)第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局(のちのNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長を歴任しました。




 記念写真は、制服フェチとも言われた後藤新平を含め約半数が当時最先端の紳士のファッションであった3ピースのスーツ姿で、残りが羽織袴という出で立ち。また、半数が口ひげを生やしています。「政治の倫理化」を唱えて全国を遊説中に当地へも来訪したようです。それだけ、政治も腐敗していたのでしょう。興味深いのは、その腐敗防止のために政治家を教育したりするのではなく、全国を遊説して一般の市民教育に情熱を傾けたということです。写真は、彼が亡くなる二年前のものです。


 
 関東大震災後の首都復興の計画のあまりの壮大さに「大風呂敷」などというあだ名までつけられましたが、その先見の明は常人のそれをはるかに越えるものでした。東京復興は、彼の都市計画への見識と情熱がなければなし得なかったに違いありません。鉄道に彼の推した広軌道を採用しなかったのは、日本の鉄道史最大の過ちだったという人もいます。
 新平が倒れる日に残した言葉は「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」であったという逸話は有名です。昭和4年4月13日に彼は鬼籍に入りましたが、その後日本は戦争の時代へまっしぐらに突入して行きます。なんだか今が、その当時と似ているような気がして不安を覚えます。東京は、そう遠くない将来に必ず震災に襲われます。その上に放射能汚染。果たして二度目の復興は叶うのでしょうか。

子爵 後藤新平著『政治の倫理化』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)ここでは、内務大臣・外務大臣・逓信大臣などの要職を歴任した後藤が、金権政治に走る党人達と己の利益に走る視野の狭い官僚とを痛烈に批判しています。明治のステイツマン(Statesman:政治家)の後藤には、腐敗した大正・昭和の政治家は「ポリティシャン(politician:政治屋)」にしか見えなかったのでしょう。更にボーイスカウト日本連盟初代総長を務めたのも、将来の人材の育成が必要であると強く感じたからでしょう。震災からの復興を成し遂げた現東京の父ともいうべき後藤新平が、腐敗しきった現在の政治家、官僚、財界人と放射能で汚染された東京を見たらなんと言うでしょうか。




関連動画もぜひ視聴を。モダンから軍国主義へと180度変換した当時と現在があまりにも似ている。



これはあなた方のおばあさんかひいおばあさんの時代の話なんだが、恐ろしいほど今に似ている。現在の極右政権を打倒し、米の植民地から脱却し、真の独立国になるためには市民の力だけしかありません。右とか左とかの問題ではない。イデオロギーの時代は既に終わったのです。どうやって人類が生き延びるか。そういう時代です。バイオテロや偽旗作戦は既にいくつも行われています。


 信じられますか。これが大正時代のモガの超有名な写真です(1930年前後)。彼女が平成の銀座を歩いていても違和感が全くありません。むしろ周りを圧倒するでしょう。しかし、この時代があっという間に終わり、日本は軍国主義に染まり、世界大戦へと向かうのです。戦争は全てを奪います。傍観しているだけでは平和は守れません。右とか左とかイデオロギーは無関係。戦争をして暴利を貪る輩はどちらにもいます。たった1%の世界を牛耳る輩の奴隷で甘んじる時代を終焉させるべきだと思います。覚醒が必要です。

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プルトニウム粒子「ホット・パーティクル」の毒性 は極めて強く、微粉末1、2個が入るだけで肺ガンを起こす。4月に東京の人は1日当たり10個吸い込んだ計算。マスクを!(肺の細胞を破壊する写真)
●現在販売されているもの:放射性セシウム除去剤「ラディオガルダーゼ」、プルトニウムを排出する薬剤「ジトリペンタートカル」「アエントリペンタート」、放射線防護効果「ラクトフェリン」
α線β線の内部被曝の恐怖「内部被曝についての考察」琉球大学 矢ヶ崎克馬教授 体内では、アルファ線は40μm程度しか飛ばない。ただ、この40μmの所に、アルファ線の多くは4メガエレクトロンボルトというエネルギーを持っている。何と10万個の分子切断をしてしまう。
■「首都圏に居住できない二つの理由」Cs-137はロシアの安全基準に抵触・プルトニウムは放射線管理エリアに相当


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