球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

加減

2007-02-20 | マジメな話
"壊さないと、加減がわかんねぇんだよ。"
これは会社での先輩の話。
仕事の関係で機械(正確な表現ではありません)をいじることがあり、
僕がそれを技量不足(不注意、とかではない)ゆえに壊してしまったときにボソッと言った一言。

今日は業務的に直系にあたる先輩にそんな感じのボソッとアドバイスを
数点いただけて、とても"よいことがあった"日でした。
"とてもよい日"とは違います。

失敗の意義はつまるところこれであり、
失敗をしたときは、何かが足りなかったか、何かをやりすぎたかに
原因を求めるのは明快であり正確でもあるように思えます。
"過ぎたるは及ばざるがごとし"って言葉を作った人は、
何をやりすぎたのか、想像に余りある。



そんなへっぽこ社員ながらもよその会社の方から
"1年目とは思えない"という言葉をいただくことがあり、正直、励みになっています。
時間より経験とは言うけれど、自分がそれを体感できる機会をもらえたことが嬉しいんですね。
2年目からは上みたいな言葉はないので、あらん限りの失態を
3月までにやりつくしてしまおうかなんてことも考えます。



ここで普段なら最終段落に移るところですが、
今日はまだ書きたいことが残っているのでもう1トピック(本当は後3つくらいある)。
最近、先輩が進路変更のトリガーとして、死について書いていたことがありました。
それと直接関係はありませんが、インスピレーションがあったのでそれを書きます。

社会人を8ヶ月やって思うことがあります。
僕は定年を迎えてしまったら後は死ぬだけってことを結構考えている
(というよりそこまで長生きする予定が無い)のですが、
その考えがちょっとシフトし、"社会人になったら死ぬまでリーチ"という考えが生まれてきています。

ちょっと極論ですが、大した仕事も大した趣味もできずに日々過ごしているのは、
もはや死んでるなぁって感じるようになったということです。

毎日毎日同じことの繰り返しか、それとも一見そう見える生活に味を与えられるかは
携わるものへの自分の真剣さと仕事のパフォーマンスの高さが決める、と思う。
この辺は色んなひとが実に色んな表現で書いているので、
読者の皆さんも自分の開発した言葉があることでしょう。

というわけで、皆死線を背に今日も頑張っていたわけだよね、多分。
死線は、呑まれたら死んでしまうけどギリギリの一歩手前くらいのところを
走り続けるには実に刺激的でよいような気もして困ります。
言葉こそ違えど似たようなことを思う人は他にも沢山いるはずです。

"なんとかなんじゃね?"
これは、僕が好きな友人の名台詞。

コメント
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