球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

はちおーじ。みなみの(しつこい)。

2007-02-17 | 初期の投稿
IZAM離婚
ばりの。スポニチかと。言わんばかりの恨み言。

いや、昨日、音楽聴きながら帰社をしていたら、
『つぎは、はちおうじ。』の声をきいて、続く『みなみの。』を聞かずに
下車してしまったという話なんですよ。
なんで『八王子みなみ野』と一気にいかないのかと思った話です。
肺活量ですかね。



まぁ、それはさておき… 
今日は、呪文をどうやって体得するかの話をします。

高卒が大学院の講義を受けても数式が理解できないように、
(高卒がいきなり微分方程式を解けたら俺は驚くよ。)
習熟していない分野の数式を見て、物理的な意味を捕捉するのは本当に大変なことです。
複素数とインテグラル(積分記号)とシグマ(和記号)がなければ存続し得ない世界。
すぐフーリエ級数展開とか使うし、ベッセル関数とか出たりするしさ…
そんな時、頭に選択肢が浮かびます。

①数式とにらめっこ。あっぷっぷぅ。どうしても、この場で理解せねば…
②しょうがねぇから先生の話だけでも聴いとくか

→私のanswer。前半、①。後半、②。

最初は数式とにらめっこしていたのですが、結局物理的なイメージがちっとも付随してこないことに嫌気が差し、
先生の話を聞き逃さないことだけに注力するようになりました。
テキストの中身は見てませんが、呪文(自分の力を大きく超えるもの)を相手にするときは
文字列を見るより人を見た方がいいらしい、と思いました。

講師の方がある程度優れた人であったので、数式を見ているより
その人の話のイメージを自分に写像する方がよほど理解への近道になったからです。

音楽をやっている人なら、楽譜を見ているより
優れた演奏家の音のイメージを自分に写像… と置き換えてもらえばいい。

作家を志す人と画家を志す人に対するアナロジーは、思いつきませんでした。



大学時代、講義中教科書を写すだけみたいな板書+説明をする講義をする人がいたけど、
あれってつくづくクソだったのだなぁ、と今になって思います。
コメント (2)
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