関宏夫著 崙書房 2002年
帝国大学国文科生で二十四才の正岡子規は
明治二十四年三月二十五日~四月二日の間、房総を旅して
「かくれ蓑」「隠蓑日記」「かくれみの句集」を残しました。
この房総旅行で手にした蓑と武蔵野旅行の笠を
子規は根岸庵の柱に終生掛けていて、ありし日を偲んだそうです。
著者の関氏は「かくれみの」三題の現代語訳に留まらず
房総へ旅立つきっかけとなった漱石の「木屑録」や、その後の子規の房総に関する作品、
そして子規の交友関係、また当時の房総の状況など様々な方向から
子規の房総旅行を読み解いています。
明治前期の房総風土記としても楽しめます。
著者関氏の子規と蓑と房総への愛情が感じられる作品でした。
「山はいがいが海はどんどん。菜の花は黄に、麦青し、すみれ、たんぽぽ、つくづくし。」
海に囲まれ、北部は平坦ながら川・沼・湿地が多く
南部は九十九谷と云われる山々が連なり起伏が多い房総は
子規が旅した明治24年には未だ鉄道も無く、道路事情も悪かった時代なので
子規の房総旅行は馬と船に少し乗っただけで、あとは自分の足で歩いた旅だったそうです。
日焼けして真っ黒になって房総旅行から帰ってきた子規は
房総には何事かござると人に聞かれて、上記の返答をしたとのこと。
山はいがいがは鋸山を表しているのですが
房州の起伏の多い道を実際に歩いたイメージも重なっているようで
微笑ましく感じる一節です♪
「 蓑一つ 十年前房総に遊びし時のかたみなり。
春の旅は菜の花に曇りていつしか雨の降りいでたるに、
宿り求めんには早く、傘買はんもおろかなり
いでや浮世をかくれ蓑著んとて、とある里にて購ひたるが、
著て見ればそゞろに嬉しくて、雨の中を岡の菫に寝ころびたる其蓑なり。」
蓑掛けし病の床や日の永き 明治三十二年四月十七日
子規が好きだった曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の一節も載っていました。
「 濁世煩悩色欲界、誰か五塵の火宅を脱れん。
~略~
観ずれば夢の世、観ぜざるも亦夢の世に
いずれか幻ならざりける。 」