mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

旅行記⑪~広州(越秀公園、六榕寺、中山公園)

2011-03-20 12:02:43 | 旅行

今日で広州も最後、夫はフロントで精算をする。 

香港のホテルと、サービス以外はあまり変わらなかったのに、2泊で1140元、随分と差がある。

  フロントで精算する夫

   
ホテルを出ると地下鉄駅までの路上には朝食を売る屋台が並ぶ。 結構客が居るけど朝食をこんなもので済ませるの?

  2
1;お世話になった地下鉄広州東駅の表示を感慨深げに見上げる夫。
2;今回の旅行での移動は殆ど地下鉄を利用、中国地下鉄の券売機に夫はもう手慣れたもの。

 

【越秀公園】
広州市中心部の、総面積約84㎡、自然景観と人工景観が見事に調和した総合的文化公園で、園内には人工湖3つと人工山7つ、丘陵5つがある
美しい景観と文化旧跡の豊富さで有名な越秀公園の主な見どころとしては、海員亭、光復記念亭、南越国宮署遺跡、西漢南越王墓、鎮海楼、明代城壁旧跡、四方砲台遺跡、石碑群、中山記念碑、孫中山執務所記念碑(越秀楼遺跡)、五羊石像などがある。また園内から歴代の羊城八景の中でも名高い“粤台秋月”、“粤秀連峰”、“粤秀松涛”などの美しい景観を望むことができる。

園内の水域面積は5万㎡以上で、北秀、東秀、南秀の三つの人工湖がある。東秀湖、南秀湖は写生に適した優美な湖で、北湖はボートや釣りをするのによい。李白も「緑水曲」の詩で、その美しい風景を讃えている。湖の中に人工の小島があり、湖は互いに橋で結ばれている。嶺南建築の特色豊かな楼閣や高殿、回廊がある。園内には1年中草花が咲き誇り、迎春花や菊などの大規模な展覧会も開かれる。

  公園西門


私達は「放北路」にある、左の門(西門?)から入り、右側の門(東門?)から出ました。

   
広大な敷地には沢山の施設があり、標識もあちこちに立っていましたが、ほぼ迷い子状態で気ままな散策を楽しみました。
早朝にも拘らず、沢山のお年寄りが散歩を楽しんでいます。  

1 2 3 4 5

6 7 8 9 10 
;ベンチに荷物を置いて、一人で体操をしているお婆さん ;奥の方はダンス、手前は武道のよう ;バトミントンの羽のようなのをけって遊ぶ踢毛球 
;乒乓球  5;篮球  6;社交ダンス ;バトミントンのような韓国のスポーツ 8;太極拳? ;扭秧歌?  10;ベンチに座っておしゃべり

中国に来て一番感心するのは、少しでも場所があると色んな体操をしたり、スポーツを楽しんでいる人が居ることです。
ここでは見かけませんでしたが、大きな声で歌を歌ったり、楽器を演奏している人もいます。

 


何と書かれているのか分かりませんが“
竹と林”は分かります。 見事な字なのでパチリ!


ところがこんな所にも不心得者が・・・・・・日本人でないことを祈ります。
以前訪ねた「万里の長城」には、日本語で書かれた落書きもみられました。

a b c  d
a;「龍眼」の木(初めて見ました)  b;木に付いた札には「红花羊蹄甲」と書いてありました。
c;紛れもなく日本と同じ「木瓜の花」、中国原産だそうです  d;名前はついていませんでしたが、赤い可愛い花。

 ① ③   
①;園内にある人工湖の一つ、湖面にはボートも浮かんでいます。  ②③;広州博物館  
②;広州博物館;園内にある5層の建物の1階から4階までを利用した博物館。五層楼とも呼ばれている。鎮海楼は明代の洪武13年(1380年)に、広州城の城楼として建てられたもの。高さは約28メートルあで、南方系の彩色を施してある。かつてここから望むことのできた大海原を鎮めるようにという願いから、鎮海楼の名がつけられた。広東省の先史時代から近代までの歴史的遺産の数々を、年代順に陳列している。中でも、殷・周時代の銅器は大部分が容庚氏旧蔵のもの。また、漢代の墓から発掘された銅鏡、銅器、瓦製明器なども数多く展示されている

    
写真左の城壁脇の下り坂を暫く歩くと、公園東門(中、右)に辿り着きました。

東門までの途中にも逆歩きをしている人や、大きく手を振って体操をしながら歩いている人にたくさん出会いました。
中国人にとって、公園は心身を鍛錬する場なのですね!



ここで、私達は六榕寺を目指しますが、夫は1時間余りの散策で疲れたのか、地理が定かでないのかタクシーを拾います。

 

 【六榕寺】
南朝479年に創建された古刹で、市の中心街に建つ。元々は「浄慧寺」といったが、宋代の詩人、蘇東坡がここをを訪れた際境内にあった6本の榕樹(ガジュマルの木)の美しさを讃えて“六榕”と書き残して以来、六榕寺と呼ばれるようになった
境内中央に立つ広州で最も古い仏塔「花塔は、高さ57.6メートルの八角形をした塔で、九層ある。塔の上からは、寺周辺の街並みが一望できる。

  
入場券を買い、山門を入る。


案内図を拡大すると「花塔」を中心にすぐ上に「大雄宝殿」、左に「六祖殿」、六祖殿の左上に「弘法堂」、左下に「観音殿」がある。

 

   
3体の大仏様が並ぶ大雄宝殿の前は線香の煙が立ち込めている。

 「観音殿」に安置されている観音様 

   
門を入ると正面に見える「花塔」。 右端は別の角度から見た「花塔」

  境内にある6本のガジュマルの木の内の1本

   
有名なお寺なので観光客も多かったが、人気の場所以外は人も少なく荘厳な感じが漂う。
右端はこげ茶色の法衣を纏った僧侶

     
このお寺には沢山の生花が供えられていて驚く。  今まで旅して見学した中国の寺院にはあまり生花は供えられていなかった。
上の写真の中と右は献花用に売られている花。 

   

【中山記念堂】
1931年、辛亥革命の指導者孫文を記念して、広州市民と海外華僑の献金によって建てられたもので、総統府が置かれていた場所(現在の越秀公園の南)に建てられた。 紺色の瑠璃瓦が美しい八角形のホールの高さは58メートル。5000人を収容できる内部には、柱は一本も使用されていない。ホールの前には高さ5メートルの孫文の銅像が立っている。 

    
この公園もかなり広く、歴史が感じられる木々がたくさん植えられている。
ホールでは何かの公演があっていたようだが、時間が合わず入れて貰えなかった。

 

昼食のためのレストランを 探して歩く。 以下の写真は街の周辺の様子。

       やっとレストラン「山東老家」を見つけて入る 

慌てていて料理名を控えるを忘れましたがどれも美味でした。
広州料理は余程の物でない限り日本人の口に合うと思います。

1 2 3 4
1;鍋?具は茸、春雨、骨付き鶏肉など  2;骨付き牛のロースト  3;涼菜 4;粥

 

駆け足でしたがこれで広州の観光は終わりました。
地下鉄で広州空港に向かいます。最後に広州の地下鉄の情報を。 

初めに発券機で切符を買うのですが、古いお札は感知してくれませんので大変でした。
他は四角いカードなのですが、なぜか広州はコイン様の物です。
よく分かりませんが、プリペイドの地下鉄カードを使っていた人もいたような気がしますが、定かではありません。

1 2 3
①コインを投入すると、②の扉が開きます。  
③イギリス仕様の地下鉄電車はシートがステンレスで滑るので、座り慣れるまで要注意です。

 

 

広州の飛行場で疲れていたのでハーゲンダッツのアイスを食べると、2個で149元(1860円強)もしました。

そういえば、今日の昼食は全部で100元でした。  食べた後に計算してびっくりです!!!

搭乗は時間通りでしたが、離陸が予定より遅れ機内で35分も待ちました。

いつものことですが、「簡単な状況説明くらいは欲しい!」といつも思うのです。

 

青島に帰り着いてみると、ご覧の通りの残雪に驚き! 
南の方はもうクーラーが入っていました。  中国はやはり広いです!


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