MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

昨夜出会ったビックリふたつ。

2008-06-11 | コラム
昨日夕方、黄金町の映画館、ジャック&ベティの左隣にオープンしたカフェで集まりあって、少し遅れて参加。

一応カフェの名前はJ&Bカフェに決定(仮かも)

わたくしの案は『若干ベティーカフェ』だったが無視されあえなく撃沈。(洒落ですけど)

もう一個提案したのは、今日舞台挨拶しにジャック&ベティにやって来る某フォ-クシンガーに付けてもらおうと言う案。

だって宣伝効果バツグンじゃん。あの人(誰だか分からない人は一昨日のブログのジャック&ベティのサイトをチェック)が名前を付けてくれたカフェって。
ついでに題字もお願いしたい。
この案、まだ若干希望あるかも!。


あーだこーだ、こんなことあんなこと、みんなでアイデア出しながら、パーティ突入。
後からぞくぞく仲間がやってきた。

カフェの外ではピンポン大会始まるわー、スクリーンにはYOUTUBEのU2の映像てんこ盛り。

いつのまにかダーツ大会に変わり、11時半ぐらいに京急の時間が気になり、この日知り合った、バチスカーフ(勿論ハンドルネーム)さんと一緒にお先に失礼。

なんとバチスカーフさんの勤めている会社が、オイラの家のすぐ傍だと知ってビックリ。

お散歩してたらバッタリ遭遇!なんて事がありそー。

この集まりで、あった ビックリPART2。

近所のカフェ『HAPPY GARAGE』のマスターが、お店の記事が載ってる単行本を持って来ていた。

出版社はどこかいなと思って背表紙見たら、なんと山海堂

オイラ、この会社でF-1やF-3000(現フォーミュラー日本)などの取材をやっていたのであります。

家に帰って、みんな元気なのかと山海堂を検索したら、去年12月に倒産していた。なんたるちーや。

もともと土木関係の出版社として有名だった山海堂だが、モーターレーシング雑誌のオートテクニックなども出していた。

F-1速報誌(GPX)なるものを最初に作ったのが、この会社。

当時、山海堂は倒産の危機にあったらしいが、GPXが大当たり!。
会社借金返して復活したと当時聞いた。

GPXを作ったのはモーターレーシング界の名物編集長、山ちゃんこと、山口正己さん。

冗談ばっかり言っている人だったが、レースの事になると目の色変わる。

その山口さんも数年前に退社しちゃったし、F-1も人気無くなっちゃったので、どーなるかとは思っていたけど。

創業111年で幕を閉じた山海堂。
再度救世主は現れなかったのね。

コメント (2)
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