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惨めな孤児の王莽

2006-01-28 12:11:47 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読む Ⅲ-2 惨めな孤児の王莽

「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から

初始元年(西暦9年)、王莽は真天子の位につき、国号を新と改めた。漢の太皇太后には兄弟が8人おり、その一人王曼(おうまん)の子が王莽であった。王曼は若くして亡くなったため、諸侯に取り立てられなかった。そのため、王莽は幼児から惨めな境遇にあった。

王莽の従兄弟たちはそれぞれ将軍に取り立てられ、いずれも羽振りが良く、豪華な馬車を乗り回したり、歌舞や女色に耽ったり、遊んでばかりいた。

それに対して王莽は従兄弟たちを横目で見ながら、じっと耐え、恭倹に振る舞った。ひたすら徳行を身につけ、学問に打ち込んだ。外では服装を質素にして、優れた人物とつきあい、内にあっては叔父たちに仕え、礼儀正しさを失わなかった。

こうした努力が認められて、王莽は新都侯に封ぜられた。その後トントン拍子に爵位が上がったが、彼はますます謙虚に振る舞った。彼の評判は、いやが上にも高まった。ついには、叔父たちの勢威をしのいで、国勢の実権を手に入れるまでになった。

哀帝が没すると、彼は平帝を迎えて、擁立した。その五年後、平帝を毒殺して、仮皇帝におさまり、さらに三年後、帝位を簒奪して、国号を新と改めたわけである。

*若いときの彼の行動からすると、平帝を毒殺するなど考えにくいですね。



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