十八史略を読む-Ⅲー150-陳3-郭璞の予言
随は、晋王楊広(のちの随帝煬帝(ようだい)を総司令官とし、陳征討に乗りだした。楊素(ようそ)の軍団、韓擒虎(かんきんこ)の軍団、賀弱弼の軍団と、数方面にわかれての進撃である。総参謀長の“高けい”が、部下の薛道衡(せつどうこう)に、「首尾良く江東を占領できるだろうか」
後主長城公煬(よう)、名は叔宝(しゅくほう)。太子の頃から補佐官の江(こうそう)を相手にして酒浸りの生活を送っていた。薛道衡はきっぱりと断言した。「成功は間違いありません。郭璞の予言に「東晋王朝は江東に分離独立したが、三百年の後に、ふたたび中原と合体するであろう」とありますが、その期限ももういっぱいになろうとしております」
武官上がりの将軍は無学ということで軽蔑され、いささかでも過失があれば容赦なく解任されてしまう。このため、行政機構も軍の指揮系統も、まったく体をなさなくなってしまった。
「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から
随は、晋王楊広(のちの随帝煬帝(ようだい)を総司令官とし、陳征討に乗りだした。楊素(ようそ)の軍団、韓擒虎(かんきんこ)の軍団、賀弱弼の軍団と、数方面にわかれての進撃である。総参謀長の“高けい”が、部下の薛道衡(せつどうこう)に、「首尾良く江東を占領できるだろうか」
後主長城公煬(よう)、名は叔宝(しゅくほう)。太子の頃から補佐官の江(こうそう)を相手にして酒浸りの生活を送っていた。薛道衡はきっぱりと断言した。「成功は間違いありません。郭璞の予言に「東晋王朝は江東に分離独立したが、三百年の後に、ふたたび中原と合体するであろう」とありますが、その期限ももういっぱいになろうとしております」
武官上がりの将軍は無学ということで軽蔑され、いささかでも過失があれば容赦なく解任されてしまう。このため、行政機構も軍の指揮系統も、まったく体をなさなくなってしまった。
「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から