十八史略を読む-Ⅲー148-陳1-陳王朝の創始者
陳の高祖武帝、姓は陳、名は覇先(はせん)。呉興(ごこう)の出身である。
梁の武帝の大同年間に広州の幕僚となり、反乱鎮圧の功によって将軍となった。ついで交州の幕僚長を経て高要(こうよう)郡の知事と西江(せいこう)の軍司令官を兼務し、七郡の兵を率いて再三に渡る反乱を平定した。
侯景が国都建康を占領したとき、彼は始興(しこう)郡の知事であったが、郡内の剛勇の士の協力を得て追討の軍を起こし、まず江州を奪ってその長官となり、各地の軍を糾合してついに侯景を覆滅させた。こうしてやがて大将軍、相国となり、梁から帝位を譲り受けることになったのである。
「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から
陳の高祖武帝、姓は陳、名は覇先(はせん)。呉興(ごこう)の出身である。
梁の武帝の大同年間に広州の幕僚となり、反乱鎮圧の功によって将軍となった。ついで交州の幕僚長を経て高要(こうよう)郡の知事と西江(せいこう)の軍司令官を兼務し、七郡の兵を率いて再三に渡る反乱を平定した。
侯景が国都建康を占領したとき、彼は始興(しこう)郡の知事であったが、郡内の剛勇の士の協力を得て追討の軍を起こし、まず江州を奪ってその長官となり、各地の軍を糾合してついに侯景を覆滅させた。こうしてやがて大将軍、相国となり、梁から帝位を譲り受けることになったのである。
「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から