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緑林山の反乱

2006-01-28 19:36:42 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読む Ⅲ-4 緑林山の反乱

「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から

天鳳四年(西暦17年)、荊州(けいしゅう)に反乱が起こった。その指導者は新市出身の王匡(おうきょう)という者で、これに亡命中の馬武、王常、成丹らが加わって、当陽付近の緑林山に立てこもった。

天鳳六年、“瑯や(ろうや)”出身の樊崇(はんすう)、東海出身の“ちょう子都(ちょうしと)”らが、王莽打倒の兵を起こした。三年後、樊崇の率いる反乱軍は赤眉軍と称した。

緑林山にたてこもっていた反乱軍は、その後山を降りて、下江の兵と新市の兵とにわかれた。荊州の平林でも反乱が起こった。

*盗賊や山賊のことを緑林というのは、これに基づく。その主体は、王莽の失政によって生業を離れた流亡の農民で、赤眉軍(見方を識別するため眉を赤く染めた)も同様である。これらの反乱集団は、数百人から次第に数を増し五万、十万と膨れあがった。



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