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入幕の賓

2006-06-27 07:21:34 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読む-Ⅲー119 入幕の賓



桓温の無理押しで即位した簡文帝司馬は、殺されることを恐れて、泣き泣き位についたという。帝位について九ヶ月目に危篤に陥り、急ぎ桓温を召し寄せて太子司馬昌明を補佐させようとした。
帝の桓温にあたえた遺詔は、最初「周公の故事にならって摂政し、わが子が不肖ならば帝位を取れ」との内容だったが、側近の王坦子がこれを破棄し、「王導の例にならって幼主をたすけよ」と書き改めた。
桓温は帝が自分に位を譲るか、少なくとも摂政に任ずるであろうと期待していたが、ことごとく裏切られてしまったわけである。当時、朝廷に重きをなしていたのは、王坦子と謝安の両名である。桓温は、自分の足をひっぱったのはてっきりこの両名に違いないとにらみ、心中ははなはだ穏やかでなかった。




烈宗孝武帝、名は昌明。即位の時はまだ十歳であった。
その翌年、桓温が兵を率いて入京した。勅命により、謝安と王坦子とが責任者として新亭に出迎えることになった。桓温はきっと王・謝の両名を殺し、帝位を奪うに違いない。こんな噂が巷に流れ、部下の人士は戦々恐々として事の成り行きを見守った。王坦子は気が気ではない様子だが謝安の態度は平然として日頃と異なるところがない。




やがて桓温が到着すると、文武百官は道ばたにいならんで拝礼した。桓温は物々しく武装した護衛の将兵を従えて、高官たちを引見した。王坦子は冷や汗をだらだらとながし、笏をさかさまに持つなどの失態を演じたが、謝安は臆する色もなく、席に着くや、こう言いはなったものである。「諸侯が徳義を守りさえすれば、近隣諸邦はおのずから藩屏となる、といわれております。なにも廊下にまで護衛をおくことはありますまい」  




桓温は弁解じみたく苦笑を浮かべた。「身の不徳がおのずと行動に現れた、とでもいいましょうかな」
かくて、ついに護衛を引き払わせ、そのまま謝安と時の経つのも忘れて語り合ったのである。




さて、桓温の腹心の“ち超”は、とばりの背後に身をひそめて会談の一部始終に耳を澄ませていたが、たまたま風がとばりを吹き上げたため、すっかり丸見えになってしまい、またもや謝安の笑いを買った。
「なるほど、“ち”君は、入幕の賓というわけですか」




桓温は、いくばくもなく病気のため姑執る(こじゅく)に引き上げたが、病状はつのる一方である。それとなく手を回して九錫の栄誉を要求してきたが、謝安と王坦子はわざと決裁を下すのを引き延ばしていた。そのうちに桓温は死去した。




「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から




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