前回からのつづき
島を巡る遊歩道はまだまだ続いて行きます。

階段を登りきりますと、そこには見晴らしのいい
ちょっとしたスペースがありました。

ここはテカエシ台場だった所だそうです。
江戸時代後期、諸外国の船が日本近海に現れるようになると、
鎖国中だった日本では、幕府や諸藩が海岸線に台場を設け、
大砲などを置くようになりました。
このテカエシ台場は、島の北側に位置します。

台場の下を見ますと、広い岩場が広がっておりました。

この場所は千畳敷と呼ばれております。
ちょうど、島の海側にあたるこの場所では、風や波により岩盤が削られ、
こうした地形がつくられたのだそうです。

江戸時代にはここに桜を運んで、宴なんかが催されたようですよ。
何とも優雅ですねえ。



さらに進みますと、今度は灯台が見えてきました。

こちらは鴎島灯台です。

現在の灯台は1951年(昭和26年)に建て替えられたものですが、
その前には木造の灯台が1889年(明治22年)に建てられたそうです。
さらにさかのぼると、江戸時代には地元の豪商関川家によって、
灯台の原形となった灯明台なるものが、
北前船の安全確保のために建てられていたんだとか。

そんな昔から、付近を航行する船のための目印があったんですね。
↓一日一回ポチッとクリックしてね

(北海道部門170位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
↓こちらもよろしく
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階段を登りきりますと、そこには見晴らしのいい
ちょっとしたスペースがありました。

ここはテカエシ台場だった所だそうです。
江戸時代後期、諸外国の船が日本近海に現れるようになると、
鎖国中だった日本では、幕府や諸藩が海岸線に台場を設け、
大砲などを置くようになりました。
このテカエシ台場は、島の北側に位置します。

台場の下を見ますと、広い岩場が広がっておりました。

この場所は千畳敷と呼ばれております。
ちょうど、島の海側にあたるこの場所では、風や波により岩盤が削られ、
こうした地形がつくられたのだそうです。

江戸時代にはここに桜を運んで、宴なんかが催されたようですよ。
何とも優雅ですねえ。



さらに進みますと、今度は灯台が見えてきました。

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現在の灯台は1951年(昭和26年)に建て替えられたものですが、
その前には木造の灯台が1889年(明治22年)に建てられたそうです。
さらにさかのぼると、江戸時代には地元の豪商関川家によって、
灯台の原形となった灯明台なるものが、
北前船の安全確保のために建てられていたんだとか。

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