Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

真の福祉とは?

2005-12-20 22:06:04 | Weblog
昨日はバスの中で嫌な思いをした話を書きましたが、今日はそのバスを待っていたターミナルでの出来事を。

そのバスターミナルには、何故か分からないけど多くの障害者がいたんですね。
「ア~ア~~」と大声を出す人や僕の顔を覗き込んでくる人。
薄暗い場所ということもあり、その空間はかなり不気味で正直怖かった。
早くバスが来てくれって気持ちでしたね。
で、5分ほどしてやっとバスが来ると、列の先頭だった僕は当然のごとく一番に乗車しようとしました。
すると推定30代半ばといった風体の障害者の男性が僕の前に乱入してきたんです。
それだけならまだしも、彼に続いて障害者様ご一行が一気に乗り込もうとしてきた。
しかし僕は先頭の男性の腕を払い先頭を主張し、一番に乗車しました。
何のために長く並んでたのかって話ですからね。

恐らく彼らは毎日ああやってバスを利用しているんでしょうね。
非常に慣れた段取りのように感じましたから。
何故そうなったかと言えば、周りが障害者だからといって黙認してきたからでしょう。
注意すれば障害者をいたわっていないかのように考えてしまう。
でもそれこそが「差別」なんですよ。
言っても理解できないから、つまり下に見ているから誰も黙認する。
障害があろうと割り込みがいけないことに違いないでしょう。
だったら教えてやればいいじゃないですか。
障害者を注意したらいけないもんだって風潮はホント根強いですね。
触れたら死んじゃうとでも思ってる。障害者はツタンカーメンかよ(笑)。

毎年やっている日テレの24時間テレビもおかしな話ですよ。
車椅子の人がバスケをやったりしているのを見て、出演者がみんな泣いている。
じゃああなたは健常者がバスケをやってる姿を見て泣きますか、と。
結局あれも障害者蔑視なんですよ。美談でもなんでもない。
そもそも「愛は地球を救う」なんて大嘘。実際は「愛は徳光を救う」ですよ。
24時間泣いてるだけで、どれだけのギャラを貰ってるんだよって言いたくなります。
他の出演者にしたってあの場にいるだけで、自分はボランティア精心旺盛だと勘違いしてる。
どうせマネージャーが取ってきただけなのに。
「volunteer」は「自発的な」という意味なんですけどねぇ。
あの黄色いTシャツを水戸黄門の印籠か何かと間違えている。
あれを着ていれば周りは「ははぁ~。貴方様のボランティア精神には感服です」と跪くのか。
実際は若者の間で流行っているというホワイトベルトバンドと一緒で
「自分は福祉のことを考えている」と主張したいだけ。
そんなの偽善なんですよ。

まとめると、真の平等というのは相手が健常者だろうと障害者だろうと
良いことは良い、悪いことは悪いと素直に言えることなんですね。
そして福祉とは、よこしまな気持ちを一切持たず献身的に尽くすこと。
福祉の必要性を積極的に説く人に限って、その辺のことが分かってない気がします。