Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

重要なお話

2016-01-31 19:10:07 | Weblog
 どこか他の場所に書くことも考えたけど、俺のホームグラウンドはこのブログであって、ツイッターやらというのは福岡ソフトバンクホークスで言うところの北九州市民球場程度の位置付けに過ぎないから、ここで正々堂々と語ろうと思う。
 最初に断っておくけど、とても重要なお話です。

 俺にはとても大事な友人がいるのだけど、その彼とずっと不和な状態が続いていた。とても30前後の大人同士とは思えない、傍目には稚拙に映るであろう争いが起こっていて、互いに精神をすり減らしてきた。
 過去には俺が「さよなら」と言われたこともあるほどで、いつ終わってもおかしくない緊迫性を常に孕んではいたけれど、少なくとも俺は根っこの部分では彼を愛していたし、なんとか関係を修復できたらと自分なりに色々考えてきたつもりだ。

 でもぶっちゃけもう限界だなって思った。時間が経てば再び仲直りはできるのだろうけど、そのあとどうせまたケンカして、この先も延々と同じことが繰り返されるだけだって確信してしまったから。

 引き金となったのは前回の記事で、2015年を総括する漫才なんだけど、俺の中では超お気に入りなんだ。時間を掛けた甲斐あって本当にいいものができた。仮に大嫌いな奴の作ったネタだったとしても手放しで賞賛したと思う。
 細かいことを言えば「子供を殺して校門に首を置くゲームなのにガチャから生首出しちゃうってどうなの!?」とか、ツッコミどころは色々あるわけだけど、俺は意外にそういうのは気にしない方だから。
 しかし友達のフィルターを通すとあいつの愛する2ちゃんねるを批判したように見えるそうだ。恐らく後半部分のことなんだろうけど、いくらなんでも論理が飛躍しすぎだし、さすがの俺もそこまではフォローできない。
 というか、そもそも本当にそこで怒っているかだって分からないんだ。何か気に食わないことがあるとちょっとしたサインを送ってきて、あとはこっちに丸投げ。いつもそう。それでいて自分は「気に障ることがあったらメールかツイッターで教えてください」と言ってきたことがあるんだけどね。
 俺も決して勘は鈍くないから結構な確率で当ててきたはずだけど、必死に考えさせられること自体がストレスだし、そもそもあいつが「ブログにこんなこと書いてあったけどどういうわけだよ!?」と言ってくれたら済む話だろう。いい歳こいた大人にとって決して難しい要求だとは思わないし、「匿名じゃないと自分の意見さえ表明できないのか?」と皮肉のひとつも言ってやりたくなる。

 そもそも漫才のネタに2ちゃんねる批判を仕込むくらいなら他にやりたいことはいくらでもあった。
 例えば、一昨年の年越しライヴでの桑田佳祐のパフォーマンスがネットで大バッシングを受けたという。俺はネット界隈の事情に疎いし、進んで調べるつもりもさらさらないから、ラジオでの本人の釈明を聴いたのみの情報しか持っていないけれど、ちょび髭を付けて歌ったことに関して「ヒトラーを模したもので暗に安倍首相を批判している」と言われたらしい。
 匿名の人たちは本気で言っているのかも知れないけれど、その輪の中に入っていない人間からすれば醜悪なギャグとしか思えない。桑田佳祐は「BOHBO No.5」でMステに出た時も工事現場のおじさんのようなヘルメットを被っていたし、単に変な格好をするのが好きなんだろう。ビートたけしイズムと言ってもいい。
 心底あきれ返ったし、ブログでボロクソに言ってやることも考えたけど、そこはグッと堪えた。それはなぜか。友達のため以外に何があるっていうんだ。
 あいつは自分の好きなものを否定されるとナーバスな反応をするくせに、俺の気持ちはまるで理解しようとしもしてくれない。かつて野村克也は松田のことを「教育が足りない」と斬り捨てた。山崎勝己のことも「4流捕手」と吐き捨てるようにのたまった。俺はそれに対して反論しちゃいけないのか。幾度となく投げかけた疑問に結局あいつは明確な回答を寄越さなかった。相手にさえしてもらえなかった。

 そんなこんなで以前やり取りしたメールを読み返してしまったんだ。やめときゃいいのにって自分でも思うけどね。
 そしたら思いのほかひどくて驚いた。嘘だらけというか、むしろ本当のことがひとつも混じってなかった。それもひと目で簡単に見抜けるような嘘。
 ケンカの最中という事情を鑑みなくてはならないとはいえ、ちょっと吐き気がした。俺もあいつの主張を崩そうとはしているのだけど、最後は「言い争うのも面倒だからどっちも悪いってことで終わらせない?」と。

 確かに俺も過去には無神経な言葉で友達を傷付けたことがある。たとえ何年経とうと、その十字架は相手が納得するまで背負い続けなくてはいけない。俺に下ろす権利はない。そんなことは重々承知している。
 ただ、それでもあえて言わせてもらうなら、ここ数年で言ったら俺は誠意を持って彼に接してきたはずだ。あらぬ誤解を受けた俺が怒ると向こうはいつも「え、なんのこと?」と梯子を外してきた。自分が人一倍繊細な性格であるにも関わらず、俺に対して「気にしちゃダメでしょ」と言い放ったこともある。
 そういう仕打ちを受けるたび忸怩たる思いだったけれど、彼といつか分かり合えるよう、彼の心に寄り添えるよう、自分なりには努力してきたつもりだ。

 特に最近は彼が俺を煙たがっているのも感じていた。
 俺自身、彼の言動にどうしても疑心暗鬼になってしまう部分があって、恐らくそれが面倒だったんだろう。確かに俺の性格的な問題もあることは否定しないけれど、あいつがはっきりした物言いを避けることも要因のひとつじゃないのか。というか明らかにそっちの方が大きいはずだ。
 もっと言えば、ツイッターなどで会話するとき、基本的に俺の側のリプで終わることが多かったけれど、まれに「ちょうど話も切れたし」と返信しないと、向こうは明らかに不安な素振りを見せていた。記憶のみに頼って言っているので自信はないけれど、NMBの山本彩の画像を貼って俺に感想を求めてきた時はまさにそんな感じだったし、他にもそんなことは何度もあった。
 もちろん俺はそんなことどうでもいいのだけど、逆の立場だったら彼は面倒がったに違いないし、それを露骨に態度で示したんじゃないのか。

 誰になんと言われようが、俺にとってブログは非常に大事なものだ。人生が上手くいかなくて、どうしようもない気持ちになって、本当に死にたくなることもしばしばだけど、そんな時でも「俺にはまだこれがあるから」とギリギリのところで踏み留まってきた。
 さすがに俺だって30にもなって自分の才能を迷いなく信じるほどバカではないし、自分なんて所詮大した存在ではないことも誰より知っているつもりだ。
 でも俺には他人に言えないコンプレックスがたくさんあって、本当に何もできなくて、本当にダメな人間で、謙遜なんかじゃなしに心からそれを痛感しているからこそ、そんな自分が授かった数少ない能力があるとすれば文章を書くことだと思ってきたし、それだけが心の支えだったと言っても過言ではない。

 残念ながらそんな気持ちは友人に蔑ろにされ続けた。ブログに難癖を付けられるのは何度目か。恐らく両手両足に真ん中の足まで加えても数え切れないくらいの回数だろう。
 そのたびに俺は「どこがどういけないの?」と神経をすり減らしてきたし、それは向こうの想像の何倍もしんどいものなんだと思う。
 そもそも文章としての体裁を考えるならクレームに応えるのは完成形を崩すことを意味するし、悪意もない記事に赤ペンを入れることは不本意としか言いようがなかった。
 あらぬ誤解を受けたのは「春の足音」が最初だったと記憶するけれど、正直今だってあの記事に問題はなかったものと思っている。「近しい人の不幸さえも願っているんじゃないのか」というのはあくまでパラドックスであって、ニュアンスとしてはむしろ友人も含めた近しい人々への情愛を描いた表現だ。本当に申し訳ないけれど、あまりにも軽忽な解釈だと思った。

 今回も大人しく該当箇所を直しておけばここまで大事には至らなかったのだろう。
 でも俺には「赤iPad(=赤紙)」以上のオチが発想できなかったし、たとえ直したところで時間が経てば「別に怒っていたわけじゃない」で済まされる。「忙しくて時間がなかっただけ」と。
 それが被害妄想でないことは経験則から明らかだ。

 もうその不条理には耐えられない。ふたりの大事な思いまで汚れてしまう前に、この辺りでカタを付けたいと思う。
 本当のことを言えば、去年の秋頃にツイッターでブロックされた段階で身を引くつもりだった。mixiやPSネットワークのフレンドを解除したし、ありすとの対談でそれを告げる準備もしていた。
 でももう一度だけと思って堪えた。結果的に向こうにとっては傍迷惑だったのかも知れないし、俺にとっても心の傷をひとつ増やすだけの無駄骨になってしまった。

 何年か前、某所に書いた文章にあいつの彼女からコメントをもらったことがある。「お友達を許してあげてくれませんか?」と。ガールフレンドである証拠はどこにもないけれど、まぁまず間違いないだろう。
 その時はすごく腹が立った。事情も分からぬ人に読まれていいような記事ではなかったし、そもそも男ふたりのケンカに第三者が関わってくること自体がどうなんだと。子供のケンカに親がしゃしゃり出てくるのと何が違うんだと。
 ただ、今にして思えば、そんなことをやっていた頃の方がずっとマシだった。彼女に助太刀を頼んだのは俺との関係を修復したいがためだったのだろうし、そう考えればむしろ喜ぶべきだったとさえ思えてくる。

 まぁいずれにせよあいつはそんな優しい彼女を見つけて本当に幸せ者だと思う。その分だけ友達の運には恵まれなかったのかも知れないけど、どう考えても男女関係の方が大事だろう。仲の悪い両親をずっと見てきただけにそう思う。
 本当に彼が羨ましくてならないし、責任を持って大事な女性を幸せにしてあげてほしい。それが俺からの最後のアドバイスだ。

 ガールズバーでお店の女の子に俺らふたりの顔が似ていることを指摘されたとき、あいつがボソッと「顔まで似てきちゃった(笑)」と呟いたのが印象に残っている。それまであまり意識したことがなかったのだけど、確かに似ている部分はたくさんあるのかも知れない。むしろ顔が似ているというのは彼に失礼な気もするけれど。
 だからここまで仲良くやってこられたとも言えるし、だからここまでぶつかり続けたとも言える。人間関係はつくづく難しいものだと思う。

 偉そうなこともたくさん言ってしまったけど、結局のところ、友達の気持ちに応えきれなかった俺が悪いんだと思う。
 そういう部分も含めて、俺の存在を記憶から丸ごと消してもらいたい。

 というわけで、今までありがとうございました。
 さようなら。