クローゼットを物色していたら、こんなものが見つかった。ミニ四駆が流行ったのなんて随分昔のことだから、何ていうマシンかすら分からないけど。
しかし、近頃は、暇さえあれば、思い出探しのために部屋を漁っている気がする。昨日なんて昔の携帯電話を充電してメールを読み返していたし、さっきまでは高校時代に付けていた日記を眺めていた。
そんな生活をしているから、必然的にブログも後ろ向きな内容に偏重してしまう。現実を見つめようとせず、過去の記憶を食べて生きている。決して旨いもんでもないんだけど、そば屋のメリケン粉臭いカレーみたいなもんで、病み付きになる何かがある。
最近、すっごく後悔する。出鱈目な自分の生き方に。
オレは性格的に弱いから、他人を攻撃することで自分の心の安寧を保ってきたところがある。それは何て愚かだったかという。
一方で、他人に何かをしたことはあったのだろうかって思う。もちろん全くないわけではないけれど、それにしたって優越感に浸るための手段に過ぎなかった。要するに、傷付いた人を慰めながら自分の幸せを確認しているだけのことで、オレはそんな薄汚れた偽善的なところがある。本気で誰かのことを思って動いたことなんて、ただの一度もないんじゃないか。
いや、一回だけあった。高校の頃、オレと一番仲が良かった奴がクラスメートから虐められたという時、オレは本当に親身にあいつの話を聞いてやった。
学校から帰ってくるや否や電話が掛かってきて、そのまま夕食の時間まで話す。その後、22時くらいになると再び携帯電話が鳴り、夜中まで話す。そんな普通に考えたら迷惑この上ないスケジュールに、オレは嫌な顔ひとつせず付き合った。
でも、この電話の長さからも分かるように、客観的に見て、彼のそのウジウジした性格がイジメに拍車を掛けているのは明らかだった。だから、ある日、一緒に乗った電車の中でオレはひとこと言った。「火種を作ったのは(虐めている側の)○○や△△かも分からないけど、それに油を注いでいるのはお前自身だ」と。
これはオレとしては良かれと思って言ったのだけど、一方で傷付いている人間に対しての言葉としてはきつすぎるという反省もあった。だから、家に着くとすぐに「ちょっと言いすぎた、ごめん」とメールをした。しかし、待てど暮らせど返信はなく、ライフワークになりつつあった長電話もこの日はすることはなかった。
次の日、ヤツは学校を休んだ。怪我でもなければ病気でもなく。
朝から忙しく別室に呼ばれて色々と事情を聞かれた。オレとしてはありのままを話したまでだったが、気付くとイジメに加担したことにされていて、反省文まで書かされた。あの時の屈辱だけは一生忘れられないし、忘れるつもりもない。
とにかく、そんなトラウマもあって、オレはこの歳まで人間関係をサボってきてしまった。それは素直に反省すべきことだと思う。
人助けと言うと大袈裟だけども、ほんのひとこと声を掛けるだけで、相手の心を変えられるっていうことはあるんじゃないか。最近、そんな風に思うことがある。
オレ自身、周りに助けられてばかりの人生なのだから、ちょっとでも他人に恩返しをしなけりゃ罰が当たるだろう。
オールスターを見終わった頃にはもう忘れてしまうのかも分からないが、少なくとも今のオレが抱いている偽りなき気持ちとして、記しておきたいと思う。