Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

なりきり変身セット

2013-06-26 02:38:56 | Weblog
 6月も下旬に入って、今年ももうすぐ折り返し地点を過ぎようとしている。

 最近、時の流れが妙に早く感じる。1日はとても長いのに、1年はものすごく短い。そう感じるのは自分が歳を取ったからか、それともニートだからなのか。少なくとも小中学生の頃とは明らかに違うし、大学の頃とも違う気がする。就職ヴァージンの僕は知る由もないけれど、社会人ともまた違うのかも知れない。

 外を歩ければ誰かに監視されている気がして、僕は移り気を6畳に侍らせてる。明日から頑張ると決めたのは昨日の僕で、それはあいつのエゴだから、やっぱり僕は頑張らなくていい。頑張りたい気持ちを強く持てば持つだけ頑張れない自分に失望するようで、昨日の僕が僕を殺さんとする。バタフライナイフよりずっと鋭利な刃物を持って、今にも菜の花咲く丘へと旅立ってしまいそうな僕がいる。

 こうやってブログを書く間にも僕は遅れてく。Twitterで若作りしたって所詮は27のおっさんで、ティーンの記憶を掘り返して現実逃避なうのスピリッツそのままに、アンニュイな毎日を何とかやり過ごしてる。現実に向き合えば遥か彼方にトリップしてしまう気がして、鏡に映る僕はiPhoneの顔文字のどれでもない表情をしている。

 僕は今、何をしている? 君は今、何をしている? 眠れぬ夜、気付けばそんなことばかり考えてる。見せかけのゴーイングマイウェイも自分自身は欺けなくて、他の誰にもなることのできない現実をそっと嘆いてる。僕の人生はいつも決しているはずのないウォーリーを探すようで、他人と比べたらみじめになるだけなのに、僕は自らの劣等感を確かめるように姿なき人の影を追っている。

 時は進む。どこまでも僕を置き去りにしていく。僕はやがてきっと28歳になる。考えればいつもメランコリーで、死にたい願望が発作を抑えれなくて。急に心変わりすることさえメランコリーであるがゆえ、僕はなりきり変身セットがクーリングオフかもなのです。

チリンチリン爺さん

2013-06-25 13:07:12 | 野球
 こないだのヤフオクドームの巨人戦。地上波の解説が野村克也だったのだけど、声を聞いているだけでイライラさせられた。

 あの人が「長野は1番バッターじゃない」とか言ってるのはもはやどうでもいい。原監督が高橋由伸を1番に据えて成功させたことなんてもう覚えちゃないんだろうし。しかも長野は出塁率を稼げるクチだし(それ以前に今季は不調というのはある)、足も結構使えるタイプ。要はパンチ力のある1番というのが好みから外れているだけで、本質には関係ない部分で難癖を付けていることがよく分かるから。

 でも、マッチのことをとやかく言ったら話は別だ。確かにあの打席は初球を打ち上げて好機を潰したからホークスファンの俺としても不満は残る内容だった。ただ、積極果敢な打撃は彼の持ち味でもあって、同時に対戦相手の脅威でもある。実際、6月23日まで21戦連続安打を続けていて、彼の打棒のおかげでホークスは交流戦優勝を決めたと言っても過言ではない。

 100歩譲って批判するだけなら許す。ただ、俺が看過できないのは言葉のチョイスで「教育が足りない」はないだろう。「勉強が足りない」ならまだいい。でも「教育が足りない」は一人前に扱ってない人間に対する言い種じゃないのか。お前が知らないだけで松田は押しも押されもせぬ名三塁手だ。バカなのか性根が腐っているのか知らないが、よく知りもしない奴が勝手なことを言うんじゃねぇよ。

 サンデーモーニングでの発言だってそう。お前がメジャーを嫌うのは勝手だけども「川崎がメジャーで通用したのががっかり」はねぇだろう。イチローを追っかけての渡米という動機は不純でも、そのイチローと離れ離れになった後も真摯にアメリカ野球と向き合い、限られたチャンスでアピールを続け、ファンからの支持も得た。舌先三寸でおまんまを食っているお前よりはずっと立派なはずだ。

 その番組では「野村さんの知識をサッカー界にも生かしたい」と言う中西哲生に対して「サッカーは嫌い」と小馬鹿にするような発言もしていた。「手を使っちゃいけないスポーツなんかありますか?(笑)」と。何度も言うように野村が何を好んで何を嫌おうが知ったこっちゃないが、少なくとも野球人の代表として喋ってほしくない。というか、そもそもそういう器の人間じゃないんだよ。

 その他にも、例えば、大谷翔平の二刀流に苦言を呈するのはまだ分かる。ただ、自分はタイガースの監督時代、新庄に二刀流をやらせようとしているんだね。頭に鈴しか入ってないスッカラカンのチリンチリン爺さんだから、結局は瞬間瞬間でしか物が言えない。最低限の想像力さえないから「こんなことを言ったら高卒ルーキーが潰れかねない」みたいなことも考えない。バカじゃねぇのって思う。

 自分は美徳という言葉とは程遠い生き方をしているくせに他人にはそれを求めるのも気に食わない。御大は茶髪がお嫌いだから「身だしなみの整わぬ人間に一流はいない」とか言ってるけど、当然そんな適当な理屈には例外があるわけで、すると今度は「髪を染めている人間を一流と呼ぶわけにはいかない」と。そこまで行くともはや詐欺師みたいなもんで、よく恥ずかしくならねぇなって思う。

 彼に唯一優れている点があるとすればセルフプロデュース能力だと思う。基本好き嫌いでしか物を言えない(大谷を嫌うのも多分メジャーへ行こうとしたから)し、発言はどれも超適当なのだけど、好々爺のイメージを作って世間を騙し、「誰々は自分が育てた」アピールにも余念がない。それなのに田中将大には「野村さんに何を教わったわけでもない」とまで言われちゃってさ。ざまぁないね。

 まぁ好き嫌いは人それぞれなんで、俺も別に野村を好きな人をどうこう言うつもりはない。でも好きか嫌いかと言えば俺は大嫌いだ。好きだった頃には本も買ったし、それなりに色々知ってるつもりだけど、その上で大っ嫌い。だからせめてホークスの選手のことだけは言ってくれるなっていう、まぁそんな感じっすね。

rainyもレズビアン

2013-06-13 04:19:50 | Weblog
 6月の空はいつもどこか妙にcry。そんな梅雨空とシンクロするように、僕の心にも雨が降っている。

 もう何もかも上手くいく気がしない。朝方までパソコンをいじって、昼ごろ起きて、夕方からは野球を観て、一切の成長さえないままにまた今日を終わらそうとしている。そんな生活から抜け出したいという気持ちはとても強く持っているはずなのに、置いてけぼりの焦りと寂しさにただ呆然と立ちつくしてる。

 このままの生活を続けたら近いうちに人生が詰んでしまう気がする。大事な人から「絶対にやり直せるよ」と言ってもらって、その言葉は涙が出そうなくらい本当に本当に嬉しくて。それなのにそんな最高のエールにさえも応えられそうにない自分がいて。そんな友の広き心にさえも報いられぬ自分は、まさしくクズ以外の何物でもない。

 ドラッグ漬けの僕は、今にもホルマリン漬けにされそうになっている。高く高く天空を舞い踊れば、やがてきっと低く低く地上に舞い戻される。この惑星の抗えぬ重力に人は誰も縛り付けられている。どこまでも逃れられない苦悩に人は誰も縛り付けられている。ロウで固めた鳥の羽を付けても、僕は未だ羽ばたくことさえ躊躇してる。

 止めどなく雨は降る。僕は濡れる。燃ゆる心が鎮火していく。命からがら飛び乗ったバスの曇る窓に小さな画伯の描いた猫が歩く。俺は隣に鏡文字で「死にたい」と書く。この些細な自己主張は誰かの元に届くのか。僕の声を受け止めてくれる人はどこにいるのか。バスを降りて雨に打たれれば、こぼれくる涙さえも気付かない。

 夜汽車に乗り換え、僕はやがて容疑者になる。僕はどこまでも堕ちていく。堕ちれば堕ちるだけ飛びづらくなる。梅雨が終われば今年も憂鬱の夏がやってくる。

未練みたらし団子

2013-06-09 00:02:45 | Weblog
 このままの人生じゃまずいので僕は今ちょっとだけ公務員試験の勉強をしている。ちょっとだけじゃダメだろ(笑)。

 でも、これはつくづく思うけど、10代の頃に机に向かう習慣を作っとかないとダメだな。俺はもう本当に昔から勉強をしない奴だったからさ。小中学生の頃から宿題なんてやったことがないし、高校ではもう完全に色々やる気を失くしてしまった。そして、大学受験の最中もダビスタばかりやっていて、そのツケを払いきれぬまま現在に至る、みたいな。

 誰しもが勉強する定期テスト前にさえも俺は普通に遊んでた。確かうちの中学はテスト2週間前くらいから部活が休みになったのだけど、とりあえず塾へ行ってみると、みんななぜか勉強してやがるんだよね。マジックザギャザリングというカードゲームが流行っていたからデッキを持っていっても誰も相手してくれない。ただ煙たそうに俺を見るばかり。薄情な奴らだよ(笑)。

 でも、中学の頃の俺は、テスト前2日間だけは必死に勉強した。その間の集中力だけは誰にも負けなかったと思う。大筋は授業で理解してあるから、それを固めるためにひたすら問題集を解いた。その時の俺は近寄りがたい雰囲気さえ出していたと思う。高校以降の姿しか知らない人には信用してもらえないかもだけど、俺にもそんな風に勉強に打ち込んでいた時期があった。(※ただし2日限定)

 それが今やその期間限定やる気スイッチさえも入らなくなってしまって。野球を観ようとブログを書こうと時間はたっぷり余っているはずなのに、どうしても勉強に気持ちが向かない。何となくパソコンを立ち上げて、何となくHな動画を見て、僕の何かさえも勃ち上がる。幸い自慰の所要時間は短い方なのに、欲望の滴から引く糸で作るハンモックにて昼寝してしまうで候。

 あの頃と今とで何が違うかと言えば、やっぱり目標の有無だと思う。中学の頃までは「学年で○位にいなくちゃいない」というのがあったから、そのためなら少しは努力できた。でも今の自分は「どうせ俺なんて落ちこぼれだし~」という意識が強いから、はなから向上することを諦めちゃっている。いつの日からか諦めれば楽になることを知ってしまった。

 恥ずかしながら俺も昔は自分を秀才と思っている時期があった。抜き打ちテストは大好物だったし(定期テストだとみんな勉強するから差が付かない)、「勉強量の割には」という注釈付きではあるものの学年でもそこそこの順位はキープしていた。今となっては根拠のない自信だったと我ながらに思うけれど、それが勉強のモチベーションになっていたのも事実なんだと思う。

 歳を取るごとに人は丸くなっていく。もちろん俺も例外ではなくて、変に他人を見下すことはなくなった代わりに、今は過剰な自信を持つこともできなくなった。それは人間的な成長なのかも知れないけれど、一方で「もう少しぎらついた気持ちが必要なんじゃないか?」と思ったりもする。熱い気持ちを失くしたら人間死んだも同然だろう。

 でも、どこかで「死んじゃった方が楽じゃね?」と考える自分がいる。いるけど、やっぱりどこかで生きることを望んでしまってる。未練タラタラみたらし団子の串で、今にも脳天を串刺してしまいそうな僕がいる。