Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

「シャイなふたりの純ブライド」

2012-06-30 01:20:31 | 小説
 男は自分の気持ちを言葉にするのが苦手だった。マクドナルドのドライブスルーを何も注文せずに通り過ぎたこともあるし、神龍を召還したにも関わらず願い事を言えずじまいだったこともある。

 それは交際中の彼女に対しても同様だった。付き合うことになったのも自然のなりゆきで、告白などというプロセスは踏まなかったし、その後も面と向かって相手への思いを述べることはまずなかった。
 しかし、胸の内を伝えたいという気持ちは強く持っており、彼はそのために自分のブログを使った。彼女にブログの存在を教えた記憶はないが、読んでいることは何となく分かっていた。根拠はないが、何となく分かっていた。だからデートで喧嘩してしまった翌日は決まって彼女への愛情を表現した文章をアップし、すると次に会う時はお互い笑顔だった。
 また、彼女にもシャイなところがあり、恐らくアカウントを取得したことを間接的に伝えたかったのだろう。ある日、執拗にfacebookの話を出してきたことがあった。彼がその意図に気付いたのは帰宅後だったが、以降、彼女がSNSサイトについて触れることはなかった。

 ふたりの関係が客観的に見て面倒だということは薄々感じていたが、男はそれでもそんなガールフレンドを愛していた。交際期間は2年を数え、お互い結婚適齢期に差し掛かってきた2011年冬のある日、彼は密かにエンゲージリングを購入した。会社勤めも4年目となり、ささやかではあるが家族を養うことへの自信も芽生えた。ここが年貢の納め時だと思った。

 いつものように小田急線に揺られ、待ち合わせの駅に着くと、改札の入り口で待っている彼女の姿があった。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところ」
「そう…良かった……」

 妙な緊張感から、何気ない会話さえもどこかぎこちなくなってしまうことを感じた彼は、言葉の接ぎ穂を求めるように、スマートフォンをポケットから取り出した。メモ帳にしたためておいた小ネタを披露して、場の空気を盛り上げようという魂胆である。

「iPhoneには音声認識があるじゃない?」
「siriのこと?」
「そう。この間、あの機能をフィーチャーしたCMを真似て『サカナクション流して』って頼んでみたんだよ」
「そうなんだ」
「でも、流れなかった。なぜなら……」
「なぜなら?」
「オレのiPhoneにはサカナクションが入ってなかったから!」
「…………」

 思いのほか滑ったことに気付いた彼は、次のネタに切り替えた。

「ところでトマトダイエットって話題になったじゃん?」
「知ってる知ってる。だけど、納豆の時と同じで、どうせ効果ないんでしょ」
「そう思うだろ? でも、食べれば本当に痩せるんだよ」
「え、そうなの!?」
「福島県産のトマトに限るけどね」
「どういう意味?」
「痩せるだけじゃなくて、きつい治療で毛が抜けちゃう」
「…………」

 結局、プロポーズはできなかった。
 いつも通りのセックスを済ませた翌日、家路に着いた彼は、テープレコーダーを再生するかのように、デートでの自分の発言を思い返した。不謹慎な話で彼女を引かせたこと、大事なデートを台無しにしてしまったこと、そして何よりシャイな自分を克服できなかったこと。それら全てが重く背中にのしかかるのを感じた。
 そんな憂鬱を振り払うため、彼はブログを更新した。


 梅雨に似つかわしくない一面の青空にブーケが舞う。真っ白なドレスに包まれた新婦の隣に、はにかんだ表情でそっと幸せを感じる男の姿があった。

Rainy Heart

2012-06-28 16:12:51 | Weblog
 ここ数日、「よし頑張るぞ!」の自分と「もういいや……」の自分が交互に訪れる。

 まぁ平たく言えば、いわゆる躁鬱ってやつなんだろうけどさ。厄介なのは、ひとりでいる時に躁の状態が多くて、他人といる時に鬱が多い。絶対に逆の方がいいというのは分かっていても、こればかりは自分でも制御できない。

 なんていうか、オレは相当にめんどくさい人間だってことに、この歳になってようやく気付いた。まるで梅雨空のようにジメジメとウジウジと、何かに追い立てられるかのごとく、あじさいやカタツムリも不在のままに、性懲りもなく次々に新しい悩み事を作る。

 6月は頑張ってブログを更新してきたけど、今書いている小説を週末までに仕上げて、そしたら7月はちょっとペースを落とそうかな。高校や大学時代のエピソードなんて「何度目だよ?」ってなやつばかりだし。今読み返しても、気に入った記事が見当たらない。このブログは自分を楽しますためにやっているのに、これじゃあ意味がない。

 まぁブログも就活もぼちぼちやっていこう。後者はいつ投げ出すか分かんないけどな(笑)。

バイセクシャル

2012-06-27 01:15:12 | Weblog
 CSでそのアニメを観るたび記憶が甦るのだけど、大学の頃、友達と一緒に課題のレポートをやり終えての帰り際、「どっか遊びに行かない?」と誘ったところ「アニマックスでドラゴンボールZを観なきゃいけないから」と断られたことがある(笑)。

 オレはそうやって断られると凹んでしまう性格だから、自分から誰かを誘うことは滅多にないのだけど、たまに勇気を出してみたらこの仕打ちかよ!?と。DBシリーズはアニマックスの主力コンテンツゆえ、同じ話が1日に3回くらい流れるわけで、やっぱりあいつはひどいよ。この件に限らず、僕が勇気を振り絞るといつもロクなことがない(笑)。

 彼のような薄情者と違って(笑)、オレは友人の誘いを無下に断ったりはしないけど、我ながら問題だと思うのは、人間の好き嫌いが激しすぎるんだよね。しかもひとたび嫌いになると、それを本人にはっきり伝えて、口も利かなくなっちゃう。もうちょっと大人になってほしいよなぁ。

 話は飛躍するけど、究極の博愛主義はバイセクシャルだと思う。異性だけにはいい顔をする奴ってたまにいるんで、両方の性を愛せる者ならば人類全てとフレンドリーになれるわけでしょ。それが下心に拠るものだというところに目を瞑りさえすれば、こんなに幸せなことはないだろう。

 時々思うのは、表向きは異性愛者の顔をしていても実際はバイセクシャルだっていう奴が案外いるかも知れないんだよね。純粋なホモならば結婚はしないだろうし、もちろん子供も作れないけれど、バイはそこら辺の問題が容易にクリアできる。強いて言えば、非混浴の銭湯や温泉で興奮しちゃうとまずいよなぁ、ってくらいでさ(笑)。

 まぁオレはそっち方面の偏見は持ってないんで、別にどうだっていいんだけど。もし多田野がホークスに来てくれるなら、普通に歓迎するしね。ただ、彼の加入と同時に柳田あたりが不調に陥ったりしたら、それはちょっと嫌かも(笑)。

チェンジ

2012-06-24 03:51:04 | Weblog


 最近、深夜の西友で駐車の練習をよくしているのだけど(←なぜか職質されたことはない)、その時に音楽を聴くためのbluetooth対応イヤホンが欲しかったので、つい衝動買いしてしまった。

 イヤホンに7000円てのは僕の感覚からすると高すぎるんだけど、なんつーか、今は「自分を変えたい」ブームが到来しちゃってるんでさ。ここにはネガティヴなことを書きつつ、一方で前向きな気持ちもあって、何とか人生の閉塞感を打開したいという意気込みは強く持っているから、あえてオレらしくない行動をとろう、みたいな。

 iPhoneを買ったのも、そういう意味合いが強かった。ちょっと前までのオレだったら「何がスマホだよ。タッチパネルなんて使いづらいに決まってんだろ」となっていたはずだけど、だからこそ機種変更しなきゃと思ったし、実際に手にしてみたらもう以前の携帯には戻れないと今は感じている。危うく固定観念に縛られて損をするところだったんだよね。

 ブログで言えば、この回は「自分が普段、絶対に書かない文章の形」という明確なコンセプトの元に取り組んだ。顔文字のような表面的な部分だけでなく、文章の組み立て等から徹底的にオレらしさを排除していて、短い文ながらかなり骨が折れた。そして、今までいかに手癖に任せてブログをやっていたのかも痛感した(笑)。

 オレは自分の性格を、他人が気付かない部分も含めて、ある程度冷静に分析できてるつもりでも、それが逆に自らを縛っている気はする。例えば、3年くらい前、初めての女性に「すごく話しやすい」なんて言われたことがあって、その時は「社交辞令だろ?」くらいにしか思わなかったものの、もしかして自分にそんな一面があるのも事実かも知れない。実際、美人だと緊張しちゃうけど、決してそうでもなかったおかげで(笑)、割とナチュラルに話せたしね。

 要するに、「自分の作った自分像」にとらわれるがゆえに、必要以上に苦しんでいるんじゃないか。オレは他人から変わり者と見られることが多いだろうし、そういう部分があることも否定はしないけど、案外、普通の子だったりするもの。平凡すぎるくらい平凡な人間だから、せめてブログ上ではキチガイをやってみたいだけでさ。でも、キチガイになりたいと思った時点で、僕はキチガイではないってことなんだよ。

 今はまだイヤホンやスマホを買ったりする程度だけど、やがて自分のダメなところ、弱いところを変えれたらいいなと思ったり思わなかったりする、そんな宝塚記念前夜。

後悔

2012-06-23 10:58:50 | Weblog
 昨日は久しぶりに電話で弟の声を聞いた。彼は今、就活の真っ最中なのだけど、色々上手くいかないようで、ちょっと落ち込んでるようだった。

 もっとも、あいつは兄貴と違って真面目だから、そのうち必ずやいい結果が得られるものと信じてる。彼が偉いと思うのは、商業系の高校を卒業するとき、オレと同じ大学ともうひとつ、推薦を貰ったんだけど、勉強したいことがあるってことで別の学校を一般受験したんだよね。自分が同じ歳だった頃なんて何も考えてなかったわけで、とても同じ血の通った兄弟とは思えない(笑)。

「お前、他人の心配してる場合じゃないだろ!」という声が聞こえてきそうだけど、正直もうオレは自分の人生を諦めちゃった。いくら頑張ろうと手応えは一切ないし、年齢的にも30まで時間がないし、客観的に見て完全に終わってると思う。野球でいえば、先発投手が初回に炎上してしまったようなもので、鶴岡のパスボールで失点してしまったようなもので、あとは雨乞いするくらいしかないだろっていうね。

 あまり考えたくないけど、学生時代にどうしてもっと行動しなかったかという後悔は付きまとうよね。この記事で触れたように、当時は当時で色んな葛藤があったとはいえ、所詮は甘ったれてただけなんでさ。あの頃の自分を全力で殴りたい。いや、殺したい。惨殺したい(笑)。

 ついでに言えば、そんな自分のことを心配してくれる友人もいたわけで、なぜ素直に忠告を受け入れなかったんだっていう。すごく記憶に残ってるのは、いつものようにオレが説教(?)されている流れで「お前は自分の好きなことしかやろうとしない」みたいなことを言われたんだよね。

 その時は、率直に言って、カチンときた。というか、しばらくは顔も見たくなかったほどだけど、それは結局のところ、図星だったんだろう。しかし、悲しいかな、当時の僕はそれを受け入れる度量がなくて、自分を変えようというところにまで考えが及ばなかった。ただ不機嫌な表情を浮かべるばかりで、向こうはオレがなぜ怒っているのかさえも分からなかったんじゃないか(笑)。

 その説教的なアドバイスを生かさなかったとはいえ、あの頃は、置かれる立場に見合った焦燥感は抱いていたと思う。今一番嫌なのは、それさえもなくなっちゃったんだよね。悲惨な状況なのは薄々感じていても、親からも含めてうるさいことは言われないし、オレはお尻にムチが入らないと走り出さない駄馬だし、明日にも全てを投げ出してしまいそうな自分がいる。

 まぁオレの人生なんてもうどうでもいいんだけどね。このあとはクスリで捕まり、東京でホームレス生活を送るらしいんで、ブログの更新が途絶えたらそういうことだと思ってください。そして、そんな僕をあざ笑ってください。来世ではきっと素直な子に生まれ変わります。

平凡な方の頭痛

2012-06-21 03:31:22 | Weblog
 視力が極度に悪いせいか、オレは結構ひどい頭痛持ちでさ。バファリンを常備しておかないと不安で頭が痛くなっちゃうくらい、ずっと昔から悩まされている。今も少し辛い。

 ただ、自分の中ですっごく悔しいのは、恐らく偏頭痛ではないのよ。病院で診てもらったことはないけど、インターネットで調べても普通の頭痛ぽくて、何だろう、この損しちゃった感じ。

 要するに、オレの中で偏頭痛って頭の良い人間がなるようなイメージがある。賢くてちょっと気難しい奴が人知れず悩んでる、みたいな。逆にバカが罹りそうなのは中耳炎だな(笑)。←自分がかつて患っていた病気を挙げてみた

 あと、関係ないけど、よく他人に「お前を見てると頭が痛くなる」とか言われるのは、どういう意味なのだろう。僕、偏頭痛じゃないから分かんなーい(笑)。

物足りない台風!?

2012-06-20 21:15:19 | Weblog
 昨日の台風は思いのほか東寄りの進路を取ったこともあって、21時過ぎあたりを中心にかなり強い風が吹いたけど、去年の9月に浜松に上陸したやつには及ばなかったね。あの時は台風フェチの自分でさえも、恐怖の方が勝ったほどだったから(笑)。

 と、どうでもいい更新でお茶を濁しつつ、もっとどうでもいいことを書かせてもらうと、イオンのCMで使われているザ・ビートモーターズの「時代」という曲はJ SPORTSの野球中継で流れる曲だよね。

 でも、この歌、オレはあまり好きじゃないんだよなぁ。近年のJスポ曲を好きな順に挙げると…

ブギーナイトフィーバー(キャプテンストライダム・2009)>欲望(PUFFY・2011)>Sugar!!(フジファブリック・2010)>時代(ザ・ビートモーターズ・2012)

 って感じ。ま、今年からホークスの主催試合は日テレプラスに引っ越したから別にいいんだけど。ただ、そこで流れてる藤井フミヤの曲はもっと嫌い(笑)。

呼べない名前

2012-06-19 01:33:02 | Weblog
 オレは他人の名前(ファミリーネーム・ギヴンネーム・ニックネーム問わず)を呼ぶのがすごく苦手で、いつも「ねぇ」とか「キミ」とか「自分」で済ましてしまうのだけど、こういう感覚、分かってくれる人はいるだろうか。

 なんつーかさ、恥ずかしいっていうのかな。僕は意外にもシャイなんだよ。だって、そこそこ親しい間柄でもオレに名前を呼ばれたことない人、結構いるはずだもの。それが普通じゃないというのも分かるんだけどね。

 逆に自分が名前を呼ばれなかったら嫌な気はするし、年に数回はこの感じを克服しようと思い立つけど、イマイチその方法が分からない。結局のところ、オレは他人とコミュニケーションを取る能力が著しく低いんだろうね(笑)。

USA48

2012-06-17 11:57:32 | マンガ



 僕の夢は漫画家になることだと噂で聞いたから、久々に4コマ漫画を描いてみた。あんまり時間を掛けずに作ったんで、内容が薄いのは勘弁してください(笑)。

 ところで、指原莉乃がHKT48に移籍するらしいじゃん。HKTと言えば、福岡ソフトバンクホークスの公式応援隊なので、指原ファンの皆さん、ぜひホークスを応援しましょう。今年は弱いけど、オフに孫さんが大補強してさえくれたら、来年はきっと優勝、のはず(笑)。

 でも、一番の補強は秋山監督のクビを切ることだな。昨日は江川をベンチに下げて松中を1塁に残したせいで、最終回に城所を代打で使うはめになってしまった。あんな采配で勝てるわけないって。

 今日もし負けるようだとDeNA相手に3敗1分。ディフェンディング・チャンピオンも形無しだなぁ……。

「60歳の夏休み」

2012-06-15 18:27:08 | 小説
 まだまだ残暑が厳しい9月のある日、60歳になったばかりの宮本は病院で末期癌の宣告を受けた。
 あまりの衝撃に自分の体が自分の物ではないような、ふわふわしたような、そんな気持ちのままにタクシーに乗り込むと、彼はセミの鳴き声をBGMに自らの人生を回顧した。

 宮本が生まれたのは1985年の8月末。直前に大きな飛行機事故が起こり、産婦人科のテレビもそのニュース一色だったと、母から聞いたことがある。
 彼が育った家庭は極端に裕福ではないが、かと言って貧乏でもなかった。家には兄弟ふたりが遊ぶのには十分な程度の庭があったし、父が乗っていた車もマークⅡやクラウンマジェスタだ。テレビゲーム等のおもちゃも、特に不自由なく買い与えてもらっていた。
 幼稚園に通っていた頃は、よく幼馴染の女とおままごとをして遊んでいた記憶がある。休日、母とバスに乗ってイトーヨーカドーに行くのも楽しみのひとつだった。
 もう人生、そこから先はいい思い出がない。小学校に上がると、勉強はどちらかと言えばできる方ではあったものの、宿題を全くやらず、教師や母親に怒られる毎日だった。それでも、すでに知っている英単語を反復して書くことには価値を見出せなかったから、その姿勢は一向に改まらなかった。
 高校に入ると下り坂の勾配が増したような転落人生。学業では落ちこぼれ、人間関係でも苦労し、2年いっぱいでドロップアウト。最後の1年は通信高校に転校したが、簡単なレポート作成と月数回のスクーリングで卒業できるような学校だったため、学力低下に歯止めが掛からず、大学受験にも失敗し、浪人生活に入った。
 そんな状況に置かれた当時にさえも勉学に集中することはなかった。予備校をさぼっては近くの競輪場に入り浸り、100円単位の車券で遊ぶ日々。高校時代のトラウマゆえ友達をひとりも作らず、同じ高校に通い仲の良かった女子に話しかけられた時も気の利いた対応ができず仕舞いだった。当然のごとく、受験では惨憺たる成績を突き付けられ、唯一受かった滑り止めの大学に入学するほかなかった。
 不完全燃焼の自覚はあったから、1年後に他大学を再受験するつもりでの学生生活スタートだった。キャンパスの場所を知ったのは入学式前日だったし、下宿もしなかった。大学へと持っていくバッグの中には予備校のテキストを忍ばせていた。しかし、生来のサボタージュ体質がここでも顔を覗かせ、やがてこの大学を卒業することを決意。
 そこからは単位との勝負だった。仮面浪人のツケは大きく、1年次は最低限の講義しか受けなかったため、特に3年生への進級要件を満たすのには苦労した。友人らの助けでどうにか滑り込んだような感じだった。
 周囲が就職活動を始める頃になると、大きな葛藤と戦うことになった。自分もみんなと同じように就活を始めるのか。そしてサラリーマンにでもなるというのか。流れに抗うこともないままに夢を諦めていいのか。
 夢というのは漫画家だった。幼少の頃から絵を描くのが大好きで、小中学校の絵画コンクールで入賞したことも何度かあった。発想力にも絶対の自信を持っていた。趣味でブログにアップした漫画を読み返すたび、己の才能に陶酔した。オレは天才だと思った。
 しかし、一方で、自信を持てば持つだけ芽生える猜疑心もあった。才能を確信するまでの拠りどころはなかったし、その「拠りどころ」を得るために他人からの裁きを受けるのは怖すぎた。普通の人が当たり前にできることすら満足にこなせない彼にとって、漫画を描くことは自我を保つための精神薬みたいなものだった。そこをもし否定されようものなら生きていけないと、本気でそう思っていた。
 結局、就活はしなかった。そんな様子を見かねて厳しく叱咤してくれる友人には申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、最初の一歩を踏み出そうとするたび足がすくんでしまう自分がいた。普通のサラリーマンになることも、漫画家になることも、どういうわけだろう、どちらも未来の姿として想像しえなかった。
 現在までのところJAPAN最後の優勝となっている2009年WBCの直後、彼は無職という身分に放り出された。それでもなお、将来の明確なビジョンは描けず、バイトで最低限の食い扶持を稼ぎつつ、親のすねも少しだけかじりつつ、気が付けばフリーター生活も4年目を迎えていた。

 そのような暮らしに転機が訪れたのは、もうすぐ27歳になろうかという夏の初めだった。ほんの気の迷いから覚醒剤に手を出し、警察に逮捕されてしまう。
 初犯ということもあり実刑こそ免れたが、代償はあまりに大きかった。バイトは当然クビになり、親にも勘当された。頼れる知人もいなかった彼は、人の群れへと逃げ込むように東京の駅構内に居を構えた。
 時はただ過ぎていった。ゴミ箱の空き缶を拾ったり日雇いで稼いだりした金で飲む安い酒が唯一の楽しみだった。シラフでいると自殺に走ってしまう気がして、ひたすらにアルコールを摂取した。
 そんな生活を随分と長く続ければ55歳になっていた。冬のある日、どうやって居場所を突き止めたのか、弟が彼の元を訪れた。親父は4年前に心筋梗塞で、お袋も去年肺炎で、それぞれ亡くなり、特に母はどこにいるかも分からない長男を最期まで気に病んでいた。だから、これも親孝行と思い、兄と暮らす決心をしたということらしい。
 居心地が良いような、悪いような、そんな日々だった。弟の奥さんが作る料理はどれもおいしく、風呂や寝床が確保された生活は夢のようにも思えたが、働きもせず一日中ぐうたらしていることへの罪悪感も計り知れなかった。この歳になっても人見知り気質は治らず、義妹との接し方に苦労したこともあって、弟からの小遣いを持って開店から閉店までパチンコ屋に入り浸った。
 予備校時代と何ら変わらぬ生活に自嘲する彼だったが、ただひとつ、決定的に変わってしまったこともあった。漫画家になろうという夢も、絵描きとしてのささやかな自信も、そしてそれゆえに抱いた不安や葛藤も、その全てをいつの日からか失っていたのだ。心の炎は消え、目は死んで、若き日の抜け殻を纏ったままに、気が付けば初老の年齢になろうとしていた。

 宮本はそっと呟いた。
「死ぬのも惜しくない人生だな……」

 家に着き、物語のカタルシスを噛みしめるようそっと深呼吸をした彼は、キッチンから持ち出した包丁で自らの背中を刺した。苦しみに悶え、薄れゆく意識のなか、大空をひらりと舞う夢想に耽った。