Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

某事件について体験したこと・考えたこと Part4

2023-06-24 02:38:04 | Weblog

 最後にAと顔を合わせたのは2020年11月2日。「辞めさせてほしい」と申し出ると、翌日が祝日ということもあり、終業後にサシ飲みすることになった。雨降る西麻布にひっそり佇む、鯛茶漬けのおいしい小料理屋だった。

 残念ながら実りある話し合いとはならず、一度は袂を分かつ決心をしたが、フルリモートを提案されたので迷った末に受け入れた。

 帰り際、六本木駅付近まで送ってくれたAは満面の笑みで手を振っていた。
 あんな男でもさすがに良心が痛んだのだろうか。踵を返し、彼の視線を背中に感じながら、ふとそんなことを思った。

 奇しくも2年後のちょうど同じ日、Aは逮捕された。

 俺が思うに、彼は警察のお世話にならないよう細心の注意を払っていた。
 メールのやり取りのみで仕事を受ける会社も多いなか、相談者との面談は欠かさなかったし、報告書もきちんと作成していた。報じられたエグい手口は会社が軌道に乗りきる前だったのが大きい。

 にも関わらず、警察の標的とされ、大手メディアにこぞって報じられたのは不運だった。もう同じ仕事はできないし、前の奥さんや娘との関係もより難しくなるに違いない。

 率直に言って、Aの裁判の戦い方はだいぶ不器用だったように思う。公判途中で否認から自白に転じたが、裁判官の心証をよくするためには最初から素直に罪を認めるべきだったはずだ。
 しかし、いち社員ならいざ知らず、一国一城の主たる社長にとって自らの仕事を否定されるのは耐え難きことだったのだろうとも思う。会社を興したことのない人間なので想像でしかないけれど。

 そんな戦い方が災いしてか、Aへの求刑はかなり際どいものとなったが、結果的には執行猶予付きの判決が下された。
 実刑を回避できた一番の理由は公訴事実が3件しかなかったことだろうが、すでに書いたとおり、彼が丁寧に相談者と向き合ってきたからこその結果だと思う。
 実際、調査後にお礼を持ってくる相談者もたくさんいた。どうでもいい土産物(面白い恋人とか)は俺らに回ってくるのに、千疋屋のゼリーをAが独り占めしたことは未だに根に持っているけど(笑)。

 振り返ってみると、あの会社で任された仕事自体はとてもやりがいがあった。
 体験談メインにしたのは俺が勝手に始めたことだが、問い合わせに繋げるだけでなく、読み物として成立させることを強く意識していた。駄作も量産してしまったけれど、何本かは名刺代わりになる記事も書けたと思う。
 Aには「htmlタグの勉強をしろ」と口を酸っぱくして言われたが、彼のアドバイスがスキルアップに繋がった実感もある。

 もちろん自分の頑張りが被害を招いたことは真摯に受け止めなくてはならない。
 俺は「おふざけしかできないライター」と見倣されがちで、ずっとコンプレックスでもあった。自分としては「こう書けば集客に繋がる」という感覚は持っているつもりだし、どの仕事でも一定の成果は出してきたが、特にマーケティングを一生懸命勉強している人からは「再現性がない」と評されることも多かった。どうすれば自分の価値を証明できるか散々考えてきたが、必ずしも上手くいっているとは言い難かった。
 そんな事情もあり、とにかく数字を伸ばそうと必死になった結果、あらぬ方向にアクセル全開で進んでしまった。特にリモートワークを始めて、被害者に取材する機会を失くしてからは歯止めが効かなくなった気がする。大いに反省しなければならない。

 今回の事件を受けて、一時はライター業から足を洗うことも考えた。
 正月、母に強く諭されたこともあるが、今後の人生を考えたとき、この道の先に明るい未来が待っているとは思えなかったからだ。もう少し具体的に言うと、合法の仕事という縛りで収入を維持する自信が持てなかった。
 俺が燻っている原因は「行動力がない」「人付き合いが苦手」などいくつも浮かぶが、どれも改善が難しい部分ではある。弱点を補って余りあるスキルでも身に付けない限り、ここからの逆転はきっと容易ならざることなのだろう。

 学生時代、一番仲のよかった友達に「お前は自分の好きなことしかやろうとしない」とガチ説教を受けたことがある。
 当時は反発してしまったが、アラフォーの大人になれば、いかに彼の指摘が正しかったかよく分かる。とにかく努力が嫌いで、天性のセンスだけでこなせる仕事に逃げた結果、俺は警察に捕まりかけた。
 あのとき耳を傾けていれば違う人生が待っていたはずだし、年齢的にも堅気の道に戻るためのタイムリミットは迫っている。引き返すなら今しかないのは確かだ。

 しかし正直言って、今はライターのキャリアを終えるのが怖い。この仕事をしていて楽しいと思ったことはないが、一方でいい文章を書くことでしか多幸感を得られない因果な性格でもある。
 劣等感の強い俺が何とか自我を保っていられるのは、実力勝負の世界で戦えている自負があるからだ。
 実際、紙媒体に軸足を置いているライターなら俺よりすごい人はいると思うが、webライターという括りで見れば、自分が圧倒的に劣っていると感じたことはない。
 たとえそれが勘違いだったとしても、そう信じているうちはペンを置くべきではないのかもしれないし、キャリアを終えるなら誰かに技術を継承してからにしたい気持ちもある。

 とはいえ、俺はいかにしてキャリアを立て直せばいいのだろうか。
 例えば「この人を倒せばトップに立てる」という明確な目標がある状況だったらどれだけ楽かと思う。俺は全力でそいつを打ち負かそうとするし、負けたら負けたで自分の力量不足を憂えればいいんだから。
 ところが今の自分は何を目指せばいいのかさえ分からない。目の前の仕事をこなしたところで何の反響もない。自分の評価が上がっているのかも分からない。それでいて1通のメールもなく首を刎ねられることもある。頑張っても、頑張っても、チェーンの切れた自転車を漕いでいるようで、前に進んでいる実感がない。生きている実感さえ得られないままに、ただ疲労感が募るだけ。
 今回のように、被疑者になるくらいのイベントが起きて初めてリアルを感じられる。目標もない、仮想敵もいない、喜びも悲しみもない、そんな世界を過ごしているようなのだ。

 最後に、今回の事件から得た教訓を書いておこう。

 神経の図太い人は悪いことしてもいいけど、そうじゃない人間は真面目に生きなきゃダメ!

 ここまで気取った書き方で振り返ってきたけれど、一時は捕まることにマジでビビりまくっていた。例えば自分が殺人犯だったら腹括るなり逃げるなり作戦は立てやすいが、どちらに転ぶか分からない状況は本当にしんどかった。
 ずばり連行される夢も見たし、なぜか逃走中のハンターに追われる夢も見た。ある日、窓の外にワンボックスカーを見つけた時は「ついに来たか!」と身構えた。
 ネット上の逮捕経験者のブログはあらかた読ませてもらったが、警察は朝6時や7時ぴったりに来ることが多いそうで、毎朝心臓バクバクだった。

 一方で、マスコミに逮捕映像を撮られたらどうやってボケようか、みたいなことも考えた。トムジェリのパーカー(フードがトムの顔になってる)を着ていこうかな、とか。
 冷静に考えれば、悪目立ちするような行為は慎むべきだが、とにかく普通の精神状態ではなかったのだろう。

 今回俺が命拾いしたのは、ほとんどまぐれのようなものだったと思っている。家宅捜索にビビったAが記事を隠したのは大きかったし、他にもいくつかのラッキーが重なった。
 またとない僥倖に恵まれただけと心得つつ、今後は自分の能力を適切に使っていこうと思う。

 そうは言いつつも、元々さほど遵法意識の高い方ではないので、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのかもしれないけれど……。


某事件について体験したこと・考えたこと Part3

2023-06-23 23:52:49 | Weblog

 竹下通りでの取調べの数日後、担当の刑事さんから電話があり、検察庁に行くよう指示を受けた。あらかじめ「検察の取調べがあるかも」と聞いていたので驚きはなかったが、いわゆる書類送検!?と思うと若干へこんだ。

 当日は乗り換えをミスってしまい、約束の16時ギリギリで霞ヶ関駅に到着。ま、東京地検のホームページに「B1a出口から徒歩3分」と書いてあるし、どうにか間に合うでしょ……と思いきや、歩けど歩けど建物に辿り着かず。賃貸物件の駅徒歩とかなら珍しくもないが、君らが詐欺るのはどうなのさ、と我が身を棚に上げて腹を立てる。

 それにしても霞が関という土地からは独特の威圧感を感じる。半端者の自分は明らかに群衆に溶け込めていない。カジュアルな服装で来たこともあるけれど、それだけではない気もする。

 ようやく検察庁に到着すると、入り口の門のところで守衛のおっちゃんに呼び止められた。自分や社長の名前を伝えるも、照会に手間取っているようで、大幅な時間ロス。「巨大の巨です」「大臣の臣ね」というやり取りが3回ほど繰り返された(笑)。
 中に入ってからも、手荷物検査を受けたり、空港の金属探知機のようなゲートを潜らされたり、変なバッジを付けさせられたりと、やたら段取りが多い。俺は慣れない場所で慣れないことをするのが病的に苦手だ。

 エレベーターの出口で迎えてくれた検事さんはとても朗らかで優しそうな女性だった。失礼ながら普通のおばちゃんというか、ステレオタイプの女検事とは程遠い感じ。
 事務官の女性は恐らく20代だったと思うが、お風呂上がりのような匂いがして、危うく興奮しそうになった。

 オフィスの一角のような場所で行われた取調べは、警察と同様、ショートメールに関する質問が中心。室内には担当検事と事務官以外にも数名いたが、こちらの会話に耳をそばだてている様子はなかった。
 ちょうど俺の正面に「在宅」「身柄」という紙の貼られた棚があって、透明人間になったら女湯の次に覗きたいなーと思った。

 いくら朗らかな女性検事とはいえ、さすが激ムズ試験を通ってきただけあって「○○攻撃は存在しないと分かっていたのに、被害者が病気とも思っていなかったと。矛盾してません?」とドキッとするようなことを聞かれた。
 一瞬狼狽したものの「病気でなくても猜疑心の強い人はいる。そういう人たちだと認識していました」と自分でも驚きの満点回答。

 その後は、調書の作成に苦労していたので助け舟を出すと「さすがライターさんですね」と褒めてもらうなど、和やかなムードで取調べは進んでいった。

 しかし1つだけ聞き捨てならない話を聞かされた。検察が俺を呼んだのは、Aが「サイト周りは全てMに任せていた」と供述しているからだという。
 まず断言しておくと、それはあまり正しくない。記事の些細な言い回しにまで赤ペンが入ることも珍しくなかったし、特に機嫌の悪い時は八つ当たりのように修正指示を出してきた。サイト運営の全権はAにあったというのが俺の認識だ。
 そもそもAは自分や会社への忠誠心を強めに求める人だったのだから、いざという時には自ら泥を被るのが道理ってもんじゃないのか。

 一方で「Aさんミスったな」と冷静に考える自分もいた。俺に全て任せていたというのは無理筋であって、過去のメールを漁ればすぐに嘘がバレる。俺が反証を挙げることだって容易い。
 だから自分がAの立場だったら「Mに権限を与えたら暴走した。私は窘めていた」くらいに留めたと思う。これなら反証を挙げるのは難しかったはずだし、憎きライターにかすり傷くらい付けられたかもしれない。

 ともあれ、ここが今日のハイライトだと思ったので、マスクの下で唇を噛み、1オクターブ低い声で「(サイト周りを全て任されていたというのは)事実と異なります」ときっぱり否定。我ながら姑息だと思うが、当時はとにかく必死だったのでお目こぼし願いたい。

 他で気になったのは、やたら「会社の人たちから連絡とか来てません?」と心配されたこと。そう言えば警察でも同じことを聞かれたっけ。「Aはすでに釈放されたのか?」「部下はキャッチ&リリースだったのか?」など色々想像したものの、真相は知る由もない。

 正直、べらぼうな熱量でAを追い詰めんとする警察に比べて、検察はどこか冷めているようにも感じた。少なくとも事件が大々的に報道されたことに対しては不快感を示していた。
 検事さん個人の気質などもあるにせよ、より法律に詳しい検察官にはAらの起訴が難しく感じられるのか?とこの時点では思ったりした。

 取調べが終わると調書や証拠品に押印していったが、何度押しても苗字の左半分がかすれてしまう……。
 検事さんには「ハンコが欠けてるんじゃないですか?」と言われたが、家で試すと問題なかったので、朱肉の問題か、緊張で手が震えていたかのどちらかだと思われる。

 検察庁を出たのは18時過ぎ。警察の取調べより短時間で終わり、まだ余力もあったので、ふと思い立って神宮外苑まで歩くことにした。
 しかし運動不足のアラフォーには割としんどい距離だったうえ、いちょう並木も緑強め。JKとおぼしき女の子がたくさんいて目の保養になったことだけが救いだった。