Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

「“ありがとう”が言えなくて」

2012-11-28 18:43:36 | ポエム
算数の授業中。教科書を忘れた僕は隣の席のあなたに見せてもらうことになりました。

その日は9月21日だったから出席番号21番の僕が先生に指されて、でも僕は答えれなくて、するとあなたは小声で答えを教えてくれました。

そんな優しくて勉強のできるあなたを僕は好きになってしまったのです。

いつもは長く感じる45分があっという間に過ぎて、本当はお礼を言いたかったのに、僕はそのまま休み時間の中へと逃げ込んでしまいました。

「放課後お礼を言おう」と掃除の時間にまでは思っていたのに、5時間目の国語がそんな思いをかき消してくれてしまいました。

でも僕は本当はすごく嬉しかったのです。嬉しかったから「ありがとう」が言えなかったのです。

僕は小数の分からない僕のままで、またいつか教科書を忘れてみようと思うのです。

「ウォーカーズハイ」

2012-11-27 18:23:16 | 小説
 おっきな太陽に背を向けるように、僕はどこかの街のどこかの道の端っこを歩いていた。

 もう歩き出してから何ヶ月、いや何年経っただろう。ひたすら土やアスファルトとにらめっこを続ける毎日だった。
 と言っても、僕は特に歩くことが好きなわけではない。むしろ常にやめどきを考えていた。歩くことで何かを得た実感もなかったし、快楽や満足感を味わったこともない。ただ、歩くことをやめたら大事な何かを失いそうな気がして、歩くことをやめそこなっていたまでだ。

 バックグラウンドが朝日なのか夕日なのか、季節が春夏秋冬のどれなのかさえも分からぬままに、ふと少しだけ顔を上げてみる。真っ先に目に入ってきたのは薄ピンクのジャージ上下、両耳にイヤホンをはめた若い女性だった。
 彼女は走っていた。それもかなりのスピードで。風をみじん切りで切り刻むように、荒い息遣いで駆け抜けてゆく。なのに表情は僕よりずっと明るくずっと爽やかだ。
 車も次々と通り過ぎてゆく。当たり前だけれど、僕より速いスピードで。そんな片田舎の片隅で、走ることもできず、止まることもできず、ただぼんやりと歩く僕がいる。取り残されゆく僕がいる。そんな不器用な僕がいる。

 誰が作ったのかも分からない轍の上をただ歩いたって、その延長線上にきっと幸せな未来なんて描かれないのだろう。やりがいのある仕事と出会うことも、誰かと結婚することも、普通の人が当たり前に享受できる幸福が僕にとっては夢のまた夢だ。幸せはいつも僕の隣をスポーツカーのスピードで駆け抜けてゆく。

 でも、ここで歩みを止めたら今度こそ粗大ゴミの日に捨てられてしまいそうな気がして、周りの風景から目を背けたままに、僕はもうちょっとだけウォーカーズハイを信じてみようと思った。

謝謝 very much!!

2012-11-23 01:41:11 | Weblog
 今日は勤労感謝の日です。皆さん、いつもお疲れ様です。本当にありがとう。謝謝。Thank you very very much!!

 しかし、僕もいつか必ず感謝される側に回ってみせます。今は体たらくの生活を送っているけど、こっちにだって意地はあります。僕は他人に感謝することが嫌いで、自分以外の男はゴミとしか見ていないし、女性はオナペットとしか見ていないし、とにかく僕は他人に感謝するのが大嫌いなので、お前らに感謝なんかしたくないんだよっ!

 そのためにはもっと頑張って生きなくてはならない。政治や社会のせいにしたって何も解決しないことを僕は知っているから、何としても自分自身の手で人生の風穴を開けたいと思う。未曾有の大災害を前に誰も己の無力を感じたに違いないけれども、世の中を変えることは困難でも自分を変えることくらいはできるんじゃないか。というか、変えなきゃいけないんじゃないのか。

 もうすぐ師走という時期ゆえ今年中の就職は厳しそうだけど、来年こそ、来年こそ、来年こそは、必ずや定職に就いてみせる。オレには見返してやらなくてはならない奴がいて、絶対に負けたくない事情があって、だからこそ木枯らしの吹きすさぶ人生におさらばしなくてはならない。来年こそはお前らに感謝させてみせる。

 って、去年の勤労感謝の日に思ってたんだよな~。偶然に思い出しちゃった。てへっ☆

コケコッコな僕

2012-11-21 19:11:39 | Weblog
 僕はあらゆる事象に対して好き嫌いの激しい人間なのだけど、その嫌い部門のピラミッドの頂きにいるのが鳥類で、さらにそのピラミッドの頂点がニワトリなんだよね。

 ただ、食べ物としての鶏肉は大好きだからさ。こないだもケンタッキーのチキンを食べたんだけど、つくづく自分がカービィじゃなくてよかったなぁと。

 だって、飲み込んだ瞬間にコケコッコだぜ。もし遅刻でもしたら、きっとからかわれるんでしょうね。「お前、ニワトリのくせに朝苦手なのかよ」とか。でも、そうじゃないんだって。原付に乗ることさえ叶わぬままにヨチヨチ歩いてきたから遅れたんだって。羽は一応持ってるけど、これは飛ぶ用じゃなくて手羽先好きのためにあるやつなんだって(笑)。

 ニワトリになったら鏡も見れなくなっちゃうね。当然、身だしなみもままならず、バイト先で「寝癖を付けたまま来るとは何事だ。トサカが乱れてるぞ」なんて叱られたりなんかして。てゆうか、そもそも赤い髪はダメだろ、みたいな。それ以前の問題として今以上に作業効率が下がっちゃうのはまずいだろ、みたいな(笑)。

 ニワトリは接する機会が少ないからまだしも、厄介なのがハトだよね。ヤツはどこにでもいるじゃん。高校時代に使ってた駅にもたくさんいて、またさ、僕が電車を先頭で待ってる時に限って寄ってくるんだよ。そしたらこっちは内心恐怖に震えてるんだけど、それを露骨に出しちゃうのはカッコ悪いって意識はあるわけ。

 だから、そんな時は携帯をいじりながら「あ、用事思い出しちゃった。せっかく座れそうなのに残念だなぁ」てな小芝居を挟みつつ、その場を離れることにしている。で、ハトさんがいなくなったのを見計らって列の最後尾に並ぶのだけど、当然座ることは叶わず、潔癖症の僕は吊り革を掴むこともできないから翌日は足腰が筋肉痛になっちゃうという(笑)。

 駅のハトといえば、うちの高校の近くに伝説の高校があってさ。そこの制服を着た連中がよくハトと鬼ごっこで遊んでいたのだけど、それがまた楽しそうなんだ。ひどい時には唾をかけたりなんかしてね。当時は僕も分別の付かない人間だったから(←今もだろ)、友達と一緒に後ろ指をさして笑ってた。

 それが今はもはや後ろ指をさされる側に回ってしまった僕がここにいて。未だ次のステージに進めぬチキンな自分がやっぱり好きになれないのです。

バッドアフタヌーン

2012-11-16 14:48:27 | Weblog
 小春日和の平日昼間、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕はニートしています。iTunes storeで色んな曲を試聴してたら、あっという間に午後になってしまいました。バッドアフタヌーンです。

 雲ひとつない青空とは裏腹に僕の精神は不安定です。でも僕は大丈夫。僕は大丈夫。僕は大丈夫。自殺なんかしません。天寿をまっとうしてみせます。

 僕は慢性的な鬱だけど、慢性的な鬱だからこそ、自殺はしません。一番危ないのは平坦だと思った道にあるちょっとした段差なわけで、僕の場合ははなからデコボコ道なのは明らかなわけで、はなから気を付けて歩けばいいのです。だから僕は大丈夫なのです。

 今からHello workとかいう場所に行って、その帰りにまた夕陽でも撮ってきます。感傷に浸ってきます。

 そしたら僕はもう大丈夫なのです。

あの日にタイムスリップ

2012-11-10 10:34:33 | Weblog

 ツイッターの方にはもう載せた夕陽画像だけど、せっかくなのでこちらにも。

 僕は金環日食などに全く興味がなくて、世間の大騒ぎにも関わらずスルーしたのだけど、その言い訳をさせてもらうなら、あんなの結局は「太陽が月の陰に隠れて……」云々の理屈ありきじゃん。皆既日食のように辺りが暗くなるならまだしも、専用の眼鏡がなかったら何も分からない程度の現象なわけでさ。

 だったらオレは日々の朝焼けや夕焼けの方により強く心を動かされる。天体に関する知識が皆無な自分だって、昇りゆく太陽に励まされることはあるし、沈みゆく太陽に感傷を誘われることもある。人間にとって最も尊いのは理屈と関わりのない場所に芽吹く感情だと思うから、こんな僕がガラにもなく川辺で夕陽を眺めてしまったりもする。

 夕陽はきっとタイムマシンみたいなものなんだと思う。子供にとっては日没が友達との別れの合図で、空があかね色に染まると否応なしの帰宅を強いられる。やがて大人になり門限がなくなっても、夕暮れ時にふと西の空の眺めれば、幼き日の寂しさや侘しさ、それら全てが甦る。あの日のあの時間に時計の針を戻すことができる。

 子供の頃と比べたら今はずっと自由なはずなのに、それでいて見えない鎖に縛られた僕がここにいて。小さなベッドで孤独に震え、真っ暗な明日に足がすくみ、そんな不毛な現在を生きているがゆえ、たまにはふらっとタイムマシンでドライブしたくもなるのです。

朝焼けマジック

2012-11-03 07:18:38 | Weblog
 眠りが浅くなってしまったのか、最近は休みの日でも朝早くに目が覚める。今日も午前7時に起床なう。

 窓の外を眺めると、朝焼けがとても美しい。「今日こそは良いことがあるんじゃないか」とか「今日こそは頑張るぞ!」といった気持ちにさせられる。

 でも、そんなの錯覚なんだよね。オレの身に降りかかるのはいつも悪いことばかりだし、太陽の高度が上がりきらずして腑抜けの自分に戻る毎日だ。

 なのに、カーテンを開ければ、しばし東の空に見入ってしまう僕がいる。朝焼けに騙されながら、絶望するきっかけを失ったままに、僕はまた今日を生きるのです。