一昨日のテストで、三年生の前期が終了。長い休みが明ければ、ぼちぼち就職活動が始まる。
確かにオレは単位が極めて危ない状況にあるんだけども、それをクリアして、かつ就職活動を頑張れば、何とか就職先は見つかるんだろう。それも少なくとも工場のラインみたいなマヌケな仕事ではない、いわゆるホワイトカラーの職種のはずだ。
これは本当に親のお陰だと思う。まず大学まで出してくれたことに感謝だし、全く勉強せずとも大学に入れるだけの脳を授けてくれたことも非常にありがたい。だから具体的な不満なんてひとつも思い浮かばないのだけれど、片一方でこんな声も聞こえてくる。
周りに合わせて何となく就活をして何となく就活先が決まって、お前、本当にそれで満足なのか。お前は気持ちのどこかで、自分にしかなれない何かがあると思っていいるんじゃないのか、と。
ガキみたいなことを言っているのは分かっている。だけども、刻一刻と未来の地図が塗り潰されていくようで、気付いた時には前にも後ろにも動けなくなっていそうで、水かさが増えゆく川の中洲に取り残されたような、妙な焦燥感と孤独感を覚える。こういう感覚っていうのは、オレと同世代の奴なら誰も大なり小なり持っているんじゃないのか。
でも、じゃあその“自分にしかなれない何か”って何なんだ。スポーツ選手になれないことなんて端から分かっているし、他にだって特別な才能があるわけじゃない。それどころか人並のことすら出来ていないじゃないか。
そんなオレがこんなことを言っているのは滑稽なのかも分からないが、この休みを使って頭を冷やせたらと思っている。たとえ何の結論も導き出せなくとも、自分の未来のために悩むことは決して無駄にはならないはずだから。