みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

犠牲とは。

2007-04-21 12:44:54 | ちょっと論じる
休日出勤を2回挟んだ、ドトウの12日連続出勤がようやく終わりました。
年度末のまとめと、新年度の“仕込み”が重なっちゃって、ドはまりな
日々を過ごしているわけなのですが、いやはや、1日1日は短く感じるものの、
12日も連続すると長いねぇ・・・(苦笑)。
戦いの日々(?)は、来週も続きますが、ひとまず週末は徹底して気ぃ抜いて
過ごします。

仕事で疲れたツカレタとよくこのブログでも書いてはおりますが、
基本的にはムリし過ぎず、ペース配分に気をつけて励んでいるつもりはあります。
ド残業に関しては、本人は納得のうえでやっているものの、
そんな自分の状況を知っている母上様からしきりに心配されるので、
ますますもって本気でムリはしないようにしている・・つもり。
母が心配するのは、子を思う優しさってのもモチロンあるのでしょうが、
ウチは父親が仕事関係でちょっと病んでしまった過去があるため、
ことのほかナーバスになっている気もします。

激務によりカラダやココロを病んでしまう方を、社内外含めて
何人か知っています。
結構ペース配分ができるタイプだと思っていた方がそうなることも多く、
明日は我が身、と怖くなることもしばしば。
(と、思ってるヤツは大抵大丈夫だったりする。)

使命感を感じて前向きに仕事をする、というのはいいことだと思いますが、
それが昂じて仕事で心身を弱らせてしまう、ということほど
報われないことはない。
前述したとおり、家族友人に余計な心配をかけるだけです。

我が身のことも含め、誤解を恐れずに言ってしまえば、
大切な家庭や体調不良を省みずに仕事に励むことは、
ニンゲンとしては褒められたことではないんだと思う。
それで全てが円滑にまわっている間はいいが、心身や人間関係に
ダメージが生じた瞬間、これまでの努力は一転して虚しいものとなってしまう。
そんな「自己犠牲」だけは、しないようにしたいと思っています。


そんな中、「カッコいい」という表現は大変語弊がありますが、
素晴らしい・・というのか、心を打たれる「自己犠牲」の話を知りました。

米国の大学であった痛ましい銃撃事件。
そんな中で、皆の命を守るために我が命を賭した教授がいらっしゃったのを
ご存知でしょうか?

【参考記事:asahi.com】
http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200704170381.html
【参考記事:livedoor】
http://news.livedoor.com/article/detail/3126078/

(記事概要)
 バージニア工科大学での銃乱射事件で、犯人は銃を手に2階の
 教室を巡っていたそうなのですが、その教室の1つで授業をしていた
 76歳の教授は銃声を聞くや、扉に立ちふさがり学生たちに
 窓から飛び降りて逃げるように指示。自らは扉を押さえて
 犯人進入の阻止に努め、学生がたを救う代わりに犯人に
 撃たれて亡くなってしまったという話です。


私にこんなことができるかなぁ・・・。
指示されるまでもなく、窓から飛び降りちゃうタイプのような気がする(爆)。

こんな犠牲に憧れる、というとまた語弊がありますが、
同じ犠牲を払うなら、時間や体力を削って、誰も救われないような
結果となるものではなく、何かの、誰かの、ためになるような犠牲を
払いたい。払って欲しい。

ちょっと損得勘定してるみたいな表現になりましたが、
そういう意味でもなく・・・。 う~~~ん、表現がムズカシイ。



でも、ちょっと損得勘定かも。
そう、相対的な損得勘定ですよ。
自分カワイラシサに相手を犠牲にするのは最低です。
誰も救われないのに、自分だけが犠牲になるのは悲しいです。
プラスを残せるところでいかに自分が、
もしかしたら自分じゃなくてもいいような犠牲になる、という、
ココロの幅と勇気をもてるか。



最低な犠牲や悲しいだけの犠牲は、出して欲しくないなぁ。


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