みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

広いココロとユーモアと。

2009-09-01 23:00:25 | ちょっと論じる
たびたび選挙関連の話で自分もイヤなんですが・・・、

何でも神奈川の投票所で同伴の子供に間違えられたために
怒って帰っちゃったワカイコチャンがいたとか。

怒るヤツも怒るヤツだし、こんなことをわざわざニュースにするヤツも
するヤツだと思う。


若いコに間違えられるなんて、これから数年後には、願ってもできなくなるのに。
でも、現時点で子供に間違えられてるんだから、この方はしばらくは
実年齢以下に見られる期待ができるかもね。

そう受け止めて、
「わ~い、若く見られちゃった♪」
とか言えなかったのかねぇ・・・。
そうすれば、単なる笑い話で終わったのに。


或いは、投票所の方も応戦すればよかったのに。
「子供に間違われて怒るなんて、子供に失礼じゃないか!!」
と。

それくらいの応酬があったなら、記事にする価値もあったろうよ。



何だか最近、表層的・刹那的なことで怒り歎くヒトが多い気がするな。

先般学力テストの結果にまたしても怒りをあらわにしてた
某ハシモッチャン知事も、そう。

大阪なんて、勉強ができる人じゃなくて、おもろい人の方が
クラス委員に認められちゃうような土地柄よ?
(↑少し前のNHKの番組でそう言ってた。)
そんな文化が根付いてる地域の知事で学力テストの結果を
どうのこうの言うのなら、ヨシモト完全否定をするくらいの覚悟を
していただかないとねぇ。

・・・ってのも、極論ですが(笑)。

でもさ、学力テストの結果だけをとらえてどうのこうの言うのって、
結構ナンセンスだと思うんですよねぇ。
あれって、その時点での自分の実力を知るものでしょう?
問題は、そこで知った事実から、どう飛躍していくかってことなんじゃ~
ありませんこと??


15年ほど前(ちょいサバ読み)、高校2年生のときに受けた実力テスト。
理系志望の友人Aの数学の結果は20点ですごい落ち込んでた。
ちなみにそれを笑いながらなぐさめた文系志望の私の数学は5点だった(笑)。

でも、そこから彼女は奮起し、見事第一志望の国立大学に行かれた。
ちなみに私は別の模試で世界史偏差値30点台というすげい点数をとりましたが
そこから数ヶ月間のまさかのスパートで、世界史選択で都の西北にたどりついた。


これって、それぞれのテストでの「ひでぇ結果」がないと、
もしかしたらたどりつけなかった結果かも知れない。
そう思うと、「ひでぇ結果、万歳!」って感じだ。

別に勉学に限った話じゃなくて、テストの点数は悪くても、
この子はスポーツができるぢゃん、この子は歌が上手いぢゃん、って、
それぞれの個性を、広い気持ちで認めてあげるのが、
オトナの役割なんじゃないかなぁ?


勉強はできないよりはできた方がいいだろうし、
文武両道ができるに越したことはないと思う。
でも、「勉強はできるけどつまんないやつ」「成績いいけど友達いない」
「勉強以外の取り柄がない」って人は、勉強ができない人と同じくらい
いや、もしかしたらそれ以上モンダイなんじゃないかと思う。

だって、勉強しかできないコは、教科書に書いてない、「人生の楽しみ方」
ってのが分からないってコトだもの。


それって、すげぇコワイと思わないかなぁ??



人生に面白さを見出して、人生を面白く変えていって。。。
その能力が備わってないと、ニッポンはどんどんギスギスしちゃうよ~~・・。





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